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オリンピックシーズンに観るならこれ。異色のスポ根ドラマ『ドリームプラン』の楽しみ方

清藤秀人映画ライター/コメンテーター
『ドリームプラン』のウィリアムズ一家

北京オリンピックが様々な問題を提起して閉幕した今週、タイムリーな形で公開されるのが、アスリートの育成法とスポーツビジネスの在り方について言及した『ドリームプラン』だ。共に女子テニス界をリードして来たヴィーナス&セリーナ・ウィリアムズ姉妹を独自の哲学で世界の頂点に押し上げた、”テニス界の星一徹”とも言うべき父親、リチャード・ウィリアムズの物語である。

今は時期的にオスカー・シーズンなので、改めて『ドリームプラン』の賞レースに於ける戦績を振り返ってみよう。昨年9月のテルライド映画祭で好評を博したのを皮切りに、アメリカ映画協会(AFI)とナショナル・ボード・オブ・レビューで年間最優秀作品の1作に選出され、後者ではウィル・スミスが主演男優賞とリチャードの妻、ブランディを演じたアーンジャニュー・エリスが助演女優賞を受賞。それらも含めて合計で29の映画賞を制覇した後、来る第94回アカデミー賞では作品、主演男優、オリジナル脚本賞を含む全6部門で候補に挙がっている。

コンプトンの公営テニスコートで
コンプトンの公営テニスコートで

ことの始まりは、ウィル・スミスがTVのインタビューでリチャードが娘のヴィーナスを擁護する姿を見て興味を持ったことだった。ヴィーナスとセリーナがまだ5歳にも満たなかった頃から、テニスアカデミーには頼らず、自ら綴った78ページにも及ぶテニス教育法を基に、娘たちに一からテニスを教え込んだことで知られるリチャードの異端児ぶりに、人気俳優の演じてみたい欲求に火がついたのだ。こうして、ワーナー・ブラザース配給、ザック・ベイリン (現在『クリード3』が撮影中)の脚本、主にTV界で活躍するレイナルド・マーカス・グリーンの監督、そして、ウィル・スミスと妻のジェイダ・ピンケット・スミス、それに、ヴィーナス&セリーナ・ウィリアムズ等の製作による完璧な布陣で、テニス界に旋風を巻き起こしたコーチの物語が映画化に向けて始動する。

描かれるエピソードはテニス・ファンならば勿論、スポーツに興味のない人をも惹きつける驚きと示唆に満ちている。いわゆる天才テニスプレーヤーが辿る、才能の発掘→アカデミー入門→専任コーチの就任→ジュニア大会への出場→若くしてのプロデビュー→スポンサー契約という流れを、リチャードはことごとく逸脱し続けるのだ。そこが、この映画の見どころの1つでもある。全米で最も危険な街と言われるカリフォルニア州南部の街、コンプトンで暮らすウィリアムズ一家は、リチャード、ブランディ、ヴィーナス、セレーナ、それに3人の娘たちで構成されている。リチャードとブランディは警備員と看護師の仕事をしながら娘たちを養い、上の2人をテニス選手にしたいと考えたリチャードは、周囲にギャング団が蔓延るコンプトンの公営テニスコートで特訓を開始。自らの理論に則った練習を続けながら、一方で学業にも手を抜かず、勝者となった時には敗者への礼儀を教え込み、危険地帯にあえて娘たちを置き去りにして、自己防衛の大切さを身に染み込ませる。娘たちが反抗しても決して手は上げない。

リチャードとセリーナ。2002年のUSオープンで。
リチャードとセリーナ。2002年のUSオープンで。写真:ロイター/アフロ

映画がスポーツ・ドラマとして急進力を増していくのはここからだ。リチャードは高額なコーチ料を理由に有名コーチからの申し出を断り、ジュニアでのプロデビューを許さず、アカデミー入門の条件として学校に通わせることを約束させる。さらに、安易なスポンサー契約を拒絶。それは、娘たちにはよりリッチな未来が待ち受けていることを知っていた父親コーチの予想図とは違っていたからだ。

これ等のエピソードは、テニス界では常識とされている高額なコーチ料や、一時期問題視された低年齢でタイトルを獲った後に燃え尽き症候群に陥り、薬物所持で逮捕されたジェニファー・カプリアティの実例が下敷きになっていることは明らかだ。また、昨シーズン物議を醸した試合中のコーチング問題にも触れている。そして、テニス界に根強い人種差別の実態が、ウィリアムズ親子を介して描かれる部分も見逃せない。その過程で、かつてコートを賑わせた何人かのスター選手の顔や、記憶に残るシーンや事件が、次々と蘇ってくるのだ。そうして、様々な形で降りかかる差別や甘い罠から娘たちを守り抜き、頂点へと押し上げたリチャードという人物が、アメリカン・ドリームの体現者であると同時に、異色過ぎる反面、理想の父親像として見る側の脳裏に刻まれるところが本作のポイントだ。

渾身の役作りを見せる
渾身の役作りを見せる"キング・ウィル"

それは、ウィル・スミスの功績でもある。その独特のルックスと話し方でリチャードをコピーした彼を見たヴィーナスとセレーナは、父親とそっくりだと認めたというし、感情を抑制し、相手を下から覗き込むような演技は、研究に研究を重ねて上での結果だろう。スミスは出演料として受け取った4000万ドルの中から、共演者たちに小切手でボーナスを支給したという噂があるが、真偽はどうであれ、この作品が彼にとってどれだけ重要なものだったかは想像に難くない。彼はリチャード役で『ALI アリ』(2001年)、やはり製作も兼ねた『幸せのちから』(2006年)に続いて3度目のオスカーノミネーションを受け、現時点で主演男優賞のフロントランナーである。

また、克明に再現された1980年代から90年代に主流だったテニスウェアやラケット、ヘアスタイルも見逃せない。セレクトしたのは『Ray レイ』(2005年)と『ドリームガールズ』(2006年)で2度オスカー候補になっているリアルクローズの名手、シャレン・デイヴィスだ。ヴィーナスたちが着る懐かしいスコートを見ると、ここ数年でテニスウェアがいかに進化しているかが分かるし、実在のコーチを演じる俳優たちが着るややタイトめのショートパンツや、センター分けのヘアスタイル、スペース広めの口髭にもけっこうノスタルジーを感じてしまう。リチャードはコンプトンの隣人から『バンツがキツキツ過ぎるわよ』と揶揄われている。因みに、ウィリアムズ姉妹のコーチ、リック・メイシーを演じるジョン・バーンサルは、タイトなテニスウェアが似合う体にするために1日3時間のトレーニングに挑戦し、30キロの減量に成功。その傍らで、コーチングの勉強を積んで撮影に臨んでいる。ウィル・スミスだけではない、周囲もこの魅力的な物語に並々ならぬ情熱を注いだのである。

ウィル・スミスの両脇は娘たち。右端はジョン・バーンサル。UKプレミアで。
ウィル・スミスの両脇は娘たち。右端はジョン・バーンサル。UKプレミアで。写真:REX/アフロ

オスカーに話を戻すと、今年はウィル・スミスと『マクベス』のデンゼル・ワシントンが2002年以来となる主演男優賞候補に名を連ねている。20年前に黄金像を手にしたワシントンは、その時、名誉賞を授与されたシドニー・ポワチエに対して、『ずっとあなたを追いかけて来たのに、ここでまた先を越された』とスピーチしたが、今年1月に他界したポワチエの姿はもう会場のドルビー・シアターにはない。しかし、セレモニーの中で彼に対するトリビュートが最大の感動を呼ぶ可能性はある。そういう意味で、時代を代表する3人の黒人俳優たちが再び大きなスポットを浴びるに違いない、今年のオスカーナイトなのだ。

『ドリームプラン』全国大ヒット上映中

配給:ワーナー・ブラザース映画

(C) 2021 Warner Bros. Entertainment Inc. All Rights Reserved

映画ライター/コメンテーター

アパレル業界から映画ライターに転身。1987年、オードリー・ヘプバーンにインタビューする機会に恵まれる。著書に「オードリーに学ぶおしゃれ練習帳」(近代映画社・刊)ほか。また、監修として「オードリー・ヘプバーンという生き方」「オードリー・ヘプバーン永遠の言葉120」(共に宝島社・刊)。映画.com、文春オンライン、CINEMORE、MOVIE WALKER PRESS、劇場用パンフレット等にレビューを執筆、Safari オンラインにファッション・コラムを執筆。

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