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93分間退屈しない珠玉のファッション・ドキュメント「ドリス・ヴァン・ノッテン」

清藤秀人映画ライター/コメンテーター
ドリス・ヴァン・ノッテン

 去る10月31日、バーバリー社は過去17年間に渡り同社のプレジデント兼チーフ・クリエイティブ・オフィサーを務めてきたクリストファー・ベイリーが退任することを発表した。この知らせに我が耳を疑ったジャーナリストは多いはずだ。何しろ、ベイリーの場合は近年相次ぐデザイナーのすげ替えとは訳が違う。彼はチェックの裏地が付いたコートにブランドのイメージが集約されていたイギリスの老舗中の老舗を、スポーティブな人気ブランドへと進化させた革命の立役者なのだ。

 ベイリーは来年3月に現職を離れた後、年末まではマルコ・コベッティCEOとチームのサポートに回るとのこと。その後、誰がバーバリーを引き継ぎ、ベイリーがどこに再就職するかは、現段階では未定となっている。

 近年、そのように衝撃的なデザイナー交代劇が相次ぐのは、ハイブランドを傘下に置くオーナー企業の利益優先主義が原因と言われる。デザイナーの独創性より目先の利益を優先する企業倫理が、才能の使い捨てを容認しているのだ。

アトリエでメンズの試着
アトリエでメンズの試着

 そんな中、デビュー以来25年間、どこの企業傘下にも組み込まれず、1人で、毎年4回のメンズ&レディース・コレクションをコツコツと発表し続けている希有なデザイナーがいる。ドリス・ヴァン・ノッテンだ。今更説明の必要はないだろうが、主に花をモチーフにしたナチュラル素材の服で独自の路線を歩むベルギー人デザイナーである。

 1980年代初頭、ベルギーのアントワープにある王立芸術学院を卒業したノッテンは、同窓生のアン・ドゥムルメステールやウォルター・ヴァン・ベレインドンク等と共に"アントワープの6人"の1人として注目されて以来、徹底してパリやミラノとは違う、コマーシャリズムとは無縁の独創性を尊ぶ服作りで高い評価を得てきた。

レディースの試着
レディースの試着

 トレンドもブランドを支えるデザイナーの顔も瞬時にして入れ替わる時代に、果たして、ドリス・ヴァン・ノッテンは何を思い、何を達成してきたのか?それを詳らかにするのが話題のドキュメンタリー「ドリス・ヴァン・ノッテン ファブリックと花を愛する男」だ。そこで、まず言っておきたいのが、この作品が多くのファッション・ドキュメントにありがちな、薄い素材を作為的な演出でカバーしようとする安易さや、やたらと挿入される所縁の人々のコメントや、頻繁に時間軸を移動させる忙しない構成を排除して、ひたすら、天才デザイナーの仕事と私生活に寄り添っている点。ノッテンが作る服と同じく、ナチュラルでミニマムな映像集は、従って93分間を通して退屈する暇を与えない。

アトリエの床に並べられたファブリックたち
アトリエの床に並べられたファブリックたち

 毎シーズン、「服をデザインするのではなく、ある1人の女性のライフスタイルをイメージしてワードローブ全体を具現化していく」と言うノッテンは、そこから、彼のコレクション最大の魅力であるファブリック選びに着手する。ノッテンが取引している生地工房は世界中に散らばり、例えば、インドの刺繍工房ではノッテンの指示を受けて職人たちがビーズの編み込みに着手する。スタジオでは、集まった素材同士をどう組み合わせていくかを、ノッテンと彼のスタッフたちが全部の布をフロアに並べて吟味して行く。

 カメラは2014年9月にパリのグラン・パレで開催された2015年春夏レディース・コレクションから、2016年1月に念願適ってパリのオペラ座で発表した2016/17秋冬メンズ・コレクションの本番直前までの1年間に密着する。その間、ノッテン自身が過去のコレクションをビデオで見ながら、各々のテーマや苦労話を語って聞かせる。ファッションに興味のあるなしに関わらず、そこから各時代の空気感と、人気モデルの推移が読み取れる有り難い構成だ。

私邸の庭で花を摘むノッテン
私邸の庭で花を摘むノッテン

 同時に、カメラはノッテンのイメージソースである花が広大な庭に咲き誇るアントワープ郊外の邸宅にも潜入して、ノッテンが公私に渡るパートナーであるパトリック・ファンヘルーヴェと共に、庭の花を摘んでは邸内の各所に飾り付ける様子も映し出す。ドリスとパトリックがいかに出会い、恋に落ちたかについて、不躾にも監督はマイクを向けるが、パトリックはそれを笑顔で拒否。しかし、丹精込めたショーのラストで、ランウェイに出て拍手喝采を浴びた後、舞台裏に帰ってきたノッテンがまず、パトリックとハグ&キスする様子からは、2人の絆がいかに強固かが伺える。

ショーのラストでランウェイに登場
ショーのラストでランウェイに登場

 演出による作られた感動ではなく、自然に行われる行為をただ映すだけで、そこから物作りの本質と、人が生きる上で何が最も大切かが伝わって来る本作。ファッション・ドキュメントという括りには収まらないナチュラルな仕上がりは、重ねて、ドリス・ヴァン・ノッテンがデザインする服そのもの。教えられることが多すぎる必見のドキュメンタリー映画である。

ドリス・ヴァン・ノッテン ファブリックと花を愛する男

http://dries-movie.com

1月13日(土)より、ヒューマントラストシネマ有楽町、新宿武蔵野館他全国順次ロードショー

配給:アルバトロス・フィルム

(C) 2016 Reiner Holzemer Film-RTBT-Aminata-BR-ARTE

映画ライター/コメンテーター

アパレル業界から映画ライターに転身。1987年、オードリー・ヘプバーンにインタビューする機会に恵まれる。著書に「オードリーに学ぶおしゃれ練習帳」(近代映画社・刊)ほか。また、監修として「オードリー・ヘプバーンという生き方」「オードリー・ヘプバーン永遠の言葉120」(共に宝島社・刊)。映画.com、文春オンライン、CINEMORE、MOVIE WALKER PRESS、劇場用パンフレット等にレビューを執筆、Safari オンラインにファッション・コラムを執筆。

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