新庄剛志の「もう一回、プロ野球選手になる」は無謀な挑戦か?

「もう一回、プロ野球選手になる」と現役復帰宣言をした新庄剛志(三尾圭撮影)

 メジャーリーグでもプレー経験があり、2002年にはワールドシリーズにも出場した新庄剛志氏が現役復帰に向けて動き出した。

 「99%無理」と無謀な挑戦であることは本人も十分に理解しているが、その難しい夢に楽しみながら挑戦することに意味がある。新庄氏は現役時代から野球に対しては真剣に取り組んでいたので、現役復帰に向けた今回の挑戦も本気であると思われる。

 

 「もう一回、プロ野球選手になる」と言う新庄氏が目指す舞台がメジャーなのか、日本のプロ野球なのか、それとも独立リーグなのかは分からないが、参考までにメジャーでのカムバック例をみてみよう。

メジャーでは3年間で打率.245、20本塁打、100打点の成績を残した新庄剛志氏(三尾圭撮影)
メジャーでは3年間で打率.245、20本塁打、100打点の成績を残した新庄剛志氏(三尾圭撮影)

 ボルチモア・オリオールズを3度のワールドシリーズ優勝に導き、サイ・ヤング賞を3度も受賞。通算268勝(152敗)を記録した殿堂入りのジム・パーマーが45歳で現役復帰に挑戦した例がある。

 38歳だった1984年のシーズン途中に解雇されたパーマーは現役を引退。引退後はテレビ解説者として活躍。ABC局のエース解説者として、オールスターゲームやワールドシリーズの解説も担当してきた。

 45歳となった1991年には現役復帰を目指してオリオールズのスプリング・トレーニングに招待選手として参加したが、オープン戦の初登板試合で2回を投げ、5安打、2失点を喫して、復帰を諦めた。

 パーマーができなかったメジャー復帰を成功させたのが、1963年に21勝(7敗)を上げ、翌64年にはリーグ最多の37試合に先発登板したジム・ボウデン。

 実はボウデンはメジャーリーガーとしてよりもベストセラー作家としての方が有名。

 ニューヨーク公立図書館が1996年に発表した「20世紀を代表する本」やタイム誌の「最高のノンフィクション100冊」に選ばれた名作「ボール・フォー」を現役引退直後の1970年に発表。この本は日記の形でメジャーリーグの内側を描いている。それまでは公にすることがタブー視されていたニューヨーク・ヤンキース時代のチームメートだったミッキー・マントルが大酒飲みだったことまで暴露して物議を醸した。

 31歳だった1970年に現役を引退したボウデンが現役復帰を試みたのが1975年のこと。この年は1Aで5試合に先発して、4勝1敗、防御率2.20という立派な成績を残している。翌76年は1年間休んだ後、77年には1Aで5勝1敗の好成績が評価されて2Aに昇格したが、そこでは0勝6敗、防御率5.26と散々だった。

 メジャー復帰の夢を諦めきれなかったボウデンは、78年に2Aで11勝9敗、防御率2.82と立ち直り、その年9月に39歳で待望のメジャー復帰。5試合に先発して、8年ぶりの白星も手にした。

 ボウデンがメジャーに復帰できたのは、身体的負担が少ないナックルボーラーだったことが大きな要因として挙げられる。

 1990年のワールドシリーズでMVPに選ばれたホゼ・リホは、95年に右肘のケガで引退。何度か復帰を試みたが、その度に失敗。それでも諦めることを知らないリホは、2001年に6年ぶりにダイヤモンドへ帰ってきた。1A、2A、3Aとマイナーの階段を1段ずつ上り、8月にはリリーバーとしてメジャーに復帰。その年は1勝も上げられなかったが、37歳だった翌02年には5勝しており、新庄氏とも対戦している。(5打数1安打)

 大谷の前に「二刀流」としてメジャーで活躍したリック・アンキールは2013年シーズンを最後に現役を引退。2018年夏に現役復帰を目指してトレーニングを始めたが、今年7月に復帰の道を断念した。

 現役では46歳のバートロ・コロンがメジャー復帰を目指して、トレーニングを積んでいる。

 2018年はテキサス・レンジャーズで28試合に登板。そのオフにフリーエージェントとなったが、どこのチームからも声が掛からずに19年は『浪人』。本人に引退したつもりはなく、来シーズンのメジャー復帰を狙ってトレーニングに励んでいる。

 打者の球界復帰は投手以上に難しいが、年齢、ブランク共に新庄氏と同じような条件で復帰に挑戦した選手がいる。

 メジャーリーグで歴代4人しか達成していない「通算3000安打&500本塁打」を記録したラファエル・パルメイロだ。

 2005年に引退したパルメイロは、10年後の2015年に独立リーグで選手として復帰。これは息子と同じチームでプレーするための「1試合限定プロモーション」だったが、2018年にはメジャー復帰をぶち上げて本格的に復帰。18年も独立リーグで31試合にプレーして、打率.301、6本塁打、22打点を記録。53歳としては悪い成績ではなかったが、19年シーズン序盤に解雇されて挑戦は失敗に終わった。

メジャー通算3000安打、500本塁打の実績を誇るパルメイロでも、10年以上のブランクを乗り越えてのメジャー復帰は無理だった(三尾圭撮影)
メジャー通算3000安打、500本塁打の実績を誇るパルメイロでも、10年以上のブランクを乗り越えてのメジャー復帰は無理だった(三尾圭撮影)

 

 シカゴ・ホワイトソックスで背番号が永久欠番になっているミニー・ミソーノは38歳だった1964年にメジャーを去った後にメキシカン・リーグでプレー。76年にはホワイトソックスのコーチに就任したが、オーナーのビル・ベックは50歳のミソーノを現役復帰させて、指名打者として3試合に出場させた。

 54歳だった80年にも代打で2試合出場。90年にも球団主導で64歳のミソーノを復帰させようとしたが、さすがに「試合の尊厳を損なう」としてコミッショナーからストップがかかった。

 メジャーではないが、独立リーグのセントポール・セインツが1993年と2003年に話題作りを目的に、ミソーノを試合に出場させている。

 今オフにフィラデルフィア・フィリーズの監督を解任された直後に、サンフランシスコ・ジャイアンツの新監督に就任したゲーブ・キャプラーも引退後にメジャー復帰を果たした一人。

 メジャーで7年プレーした後、2005年には読売ジャイアンツで1年プレー。日本の生活環境と野球スタイルに馴染むことができずに、シーズン途中に自ら球団に契約解除を申し込んだキャプラーは、アメリカに帰国後すぐにボストン・レッドソックスとメジャー契約を結ぶ。06年は72試合で打率.254、2本塁打、12打点と不甲斐ない成績に終わり、現役引退を表明した。

 07年にはレッドソックス傘下の1Aチームで監督に就任したが、9月に現役復帰を発表。ミルウォーキー・ブリュワーズと契約を結び、08年には96試合で打率3割と復活した。

 近年の打者の復帰劇として最も成功したのがジョシュ・ハミルトン。1999年のドラフト全体1位指名を受けたハミルトンだが、薬物に溺れて2004年のキャンプ前に球界から追い出された。

 2年間は野球を離れて、薬物からの更生に取り組み、06年からトレーニングを再開。06年夏に4年ぶりとなるマイナーリーグの試合に出場して、07年開幕戦で念願のメジャー・デビューを果たした。ハミルトンは2年間野球から離れていたが、戻ってきたのが25歳とまだ若く、復帰後はMVPを取る選手にまで成長を遂げた。

2012年オフに5年総額1億2500万ドルの大型契約を手にしたジョシュ・ハミルトン(三尾圭撮影)
2012年オフに5年総額1億2500万ドルの大型契約を手にしたジョシュ・ハミルトン(三尾圭撮影)

 最後に元メジャーリーガーが日本で復帰した例も紹介したい。

 1956年にMVPとサイ・ヤング賞を同時受賞したドン・ニューカムは、ブルックリン・ドジャースなどメジャーで10年間プレーして、通算149勝(90敗)を上げた。

 1960年にメジャーの表舞台から消えたニューカムは、62年に日本行きを決意。中日ドラゴンズに入団したが、ポジションは投手ではなく外野手。

 実はニューカムは打撃も良く、メジャーでは打率.271、15本塁打を放った「隠れ二刀流」選手だった。投手以外のポジションを守った経験はなかったが、代打として100回以上も起用された。

 中日では外野手と一塁手として80試合に出場して(投手としても1試合だけ登板)、打率.262、12本塁打の記録を残したが、1年で退団して現役を引退した。

 ニューカムの場合は61年にマイナーリーグで野球を続けていたのでブランクはなかったが、新庄氏は13年ものブランクとなる。

これまでに4つの夢を全て叶えてきた新庄氏は、5つ目の夢を追ってトレーニングを始めた(三尾圭撮影)
これまでに4つの夢を全て叶えてきた新庄氏は、5つ目の夢を追ってトレーニングを始めた(三尾圭撮影)

 新庄氏がトライアウトに挑戦する来年は48歳、13年のブランクという大きな壁に新庄氏がどのように挑んでいくのかが楽しみだ。

 一見、無謀だと思われる新庄氏の挑戦だが、その姿に勇気と力を与えられた人は多く存在しており、それこそが新庄氏が挑戦をぶち上げた理由の1つだろう。

 「みんな夢はあると思うけど、それに挑戦できずに人生が終わってしまう人はいっぱいいる。みんなと一緒に挑戦に向けてやっていきたい」

 この挑戦は新庄氏一人のチャレンジではなく、新庄氏の挑戦する姿を見て、多くの人たちがそれぞれの夢に向かって踏み出すことを新庄氏は願っている。その挑戦の道は過酷なものであっても、楽しみながら挑んでいくのが新庄流。

 もう一回、プロ野球選手になれるか、なれないかではなく、夢を追い求めて真剣に挑む姿が美しく、意義がある。