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旗揚げ30周年、1993年に誕生したプロレス団体「パンクラス」が最先端だった理由とは?

清野茂樹実況アナウンサー
パンクラス旗揚げを表明した選手たち(写真:Kodansha/アフロ)

今月21日、パンクラスが旗揚げから30周年を迎えた。現在は総合格闘技団体として知られるが、1993年9月21日に東京ベイNKホールで行われた旗揚げ戦に駆けつけた7000人の観客のほとんどはプロレスファンであった。K-1、UFCと同時期に現れたプロレス団体が、当時はいかに画期的だったかを改めて解説したい。

相手の技を受けない試合

まず、第一に画期的だったのが、リングの中で完全実力主義を実践したことだ。つまり、選手にとって目的は勝利のみ。船木誠勝や鈴木みのるなど、プロレスラーが相手の技を受けずに勝つことだけを考えてリングに上がれば、試合は瞬く間に終わることをファンは旗揚げ戦で知ったのである。試合タイムは5試合全部で、わずか13分5秒で、短時間での決着を意味する「秒殺」という言葉が誕生したほどだ。当然ながら、そんなに早く終わってしまうプロレス興行は過去にまったく存在しなかったのである。

プロレスに代わる呼称

第二は、プロレスに代わる「ハイブリッドレスリング」という言葉を標榜した点である。不透明決着を排除した競技性の高いプロレスについては、「シューティングプロレス」や「プロフェッショナルレスリング」などの呼称を使用したUWFの流れだが、パンクラスは競技性を徹底的に突き詰める一方で、プロレス団体であることはけっして否定しなかった。団体の名付け親はカール・ゴッチであり、入門テストや道場などのプロレスの伝統は受け継ぎながら、試合に様々な格闘技のエッセンスを交配(ハイブリッド)するという発想も新しかったのである。

脂肪をそぎ落とした肉体

第三は、リングに上がった選手全員の肉体である。まるでボクサーのように脂肪をそぎ落とした体つきは、従来のプロレスラーのイメージを覆すものであった。こうした体作りは、プロフェッショナルレスリング藤原組から継続参戦したケン・シャムロックに倣ったものと言われているが、ストイックな食生活と練習量を想起させる意味で、この肉体改造は大成功だったと思う。レスラーはたくさん食べて大きくするという古い価値観から脱した彼らの肉体は「ハイブリッドボディ」と呼ばれ、パンクラスの代名詞となったからである。

ブランド戦略

最後はリング外のことだが、ロゴマークやポスターなどビジュアル制作にプロのデザイナーを起用した点もパンクラスは早かった。選手の顔よりもブランドロゴを全面に押し出すブランド戦略で、洗練されたイメージをファンに植え付けたのである。結果、戦略は大当たりで、当時を知る坂本靖(現運営本部長)によると、旗揚げ戦のグッズ売上げは当時としては異例の300万円を超えたという。また、翌年に新設した王座を「チャンピオン」ではなく「キング・オブ・パンクラス」と呼んだのも斬新であった。

ここまで読んでもらえれば、パンクラスがプロレス界でいかに革新的だったかを理解してもらえるだろう。この30年の間に試合場はリングからケージに代わり、選手の顔ぶれもずいぶん変わってしまったが、ロゴマークや団体のテーマ曲は不変だ。プロレス団体として生まれたパンクラスがこの先、総合格闘技の発展にどのように関わっていくのかを見届けるのは、旗揚げの頃を知る世代にとっては大いなる楽しみなのである。

※文中敬称略

実況アナウンサー

実況アナウンサー。1973年神戸市生まれ。プロレス、総合格闘技、大相撲などで活躍。2015年にはアナウンス史上初めて、新日本プロレス、WWE、UFCの世界3大メジャー団体の実況を制覇。また、ラジオ日本で放送中のレギュラー番組「真夜中のハーリー&レイス」では、アントニオ猪木を筆頭に600人以上にインタビューしている。「コブラツイストに愛をこめて」「1000のプロレスレコードを持つ男」「もえプロ♡」シリーズなどプロレスに関する著作も多い。2018年には早稲田大学大学院でジャーナリズム修士号を取得。

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