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旗揚げ50周年“歴代最強外国人”スタン・ハンセンは、他のレスラーとはここが違う!

清野茂樹実況アナウンサー
新日本プロレスに初参戦した頃のスタン・ハンセン(写真:東京スポーツ/アフロ)

今月18日に開催された全日本プロレスの日本武道館大会に合わせて、スタン・ハンセンが来日した。今年旗揚げ50周年を迎えた新日本プロレスと全日本プロレスの両方で、エース外国人の座に君臨し続けたレジェンドは、いったい何が凄かったのか?他の外国人レスラーと何が違ったのか?今回の来日を機にハンセンのことを知った新規ファンにも向けて、その偉業を紹介したい。

猪木と馬場からベルト奪う

新日本プロレスと全日本プロレスの老舗2団体はこの半世紀、競い合うように外国人レスラーを招聘してきた。両方のリングを経験している選手は珍しくはないが、アントニオ猪木とジャイアント馬場という団体のエースとシングルマッチで対戦し、両者に勝ってチャンピオンベルトを腰に巻いたのはハンセンが唯一である。しかも、新日本で5年間、全日本で18年間常にトップ戦線に居続けたハンセンの試合はテレビ朝日と日本テレビの両方でオンエアされたため、日本における認知度はどの外国人レスラーと比べても高い。

タッグでも実績残すシングルプレーヤー

ハンセンはシングルマッチのみならず、タッグマッチでも無類の強さを発揮した。具体的に言えば、チームワークを得意としていた。全日本に移籍後が顕著で、旧友のブルーザー・ブロディと結成した“ミラクルパワーコンビ”を筆頭にテッド・デビアス、テリー・ゴディ、ベイダーらパートナーを替えながら世界タッグ王座を8度獲得、年末恒例の世界最強タッグ決定リーグ戦では4度優勝している。シングルプレーヤーでありながら、タッグでこれほどの実績を残している外国人レスラーはハンセン以外には存在しない。

日本を主戦場とした外国人

そして、主戦場を日本に置いたという点でもハンセンは特殊な外国人だった。これに関しては80年代後半からの話だが、同時期に活躍した外国人レスラーが皆、本国のスケジュールの合間を縫って来日していたのに対し、ハンセンは基本的には米国ではほとんど試合をしなかった。現役時代の来日回数が130回に及んでいるのも断トツ。日本の試合に専念したため、コンディションは常に良好で、名勝負もたくさん残すことになったのだ。ちなみにハンセンの妻は日本で知り合った13歳年下の日本人である。

次世代に与えた影響の大きさ

最後に、ハンセンが日本のプロレスに大きな影響を与えた点も忘れてはいけない。ハンセンの必殺技・ウエスタンラリアートは長州力や阿修羅・原によって使われるようになり、80年代から日本のリングでラリアートが流行技となったのは間違いなく、ハンセンの影響だ。また、小島聡には直接、技を伝授したことも知られているし、90年代に入ってからは当時20代だった三沢光晴、川田利明、小橋建太らの壁となることで、彼らの成長を促したとも言える。仮にハンセンがいなかったら、80年代以降の日本のプロレスはずいぶん変わったものになっていたように思う。

以上が筆者の考えるハンセンの功績である。2000年に現役を引退後、米国コロラド州で余生を送るハンセンは、2010年に猪木がWWEの殿堂入りしたときにはインダクター(紹介者)を務め、2012年に新日本と全日本の旗揚げ40周年合同興行が開催された際には特別ゲストとして招聘されるなど、セレモニーには欠かせない顔になった。プロレス黄金時代を彩った外国人レスラーが次々に他界していく中で、老舗2団体を知るハンセンの存在はあまりに貴重だ。現役時代からは考えられない柔和な眼差しで、まだまだ日本のプロレスを見守ってもらいたいと願うばかりである。

※文中敬称略

実況アナウンサー

実況アナウンサー。1973年神戸市生まれ。プロレス、総合格闘技、大相撲などで活躍。2015年にはアナウンス史上初めて、新日本プロレス、WWE、UFCの世界3大メジャー団体の実況を制覇。また、ラジオ日本で放送中のレギュラー番組「真夜中のハーリー&レイス」では、アントニオ猪木を筆頭に600人以上にインタビューしている。「コブラツイストに愛をこめて」「1000のプロレスレコードを持つ男」「もえプロ♡」シリーズなどプロレスに関する著作も多い。2018年には早稲田大学大学院でジャーナリズム修士号を取得。

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