「本当に狂ってる」と言われたタイガー・ジェット・シンが慈善活動を続ける理由

カナダでは英雄のタイガー・ジェット・シン(写真:ZUMA Press/アフロ)

タイガー・ジェット・シンは、日本で最も知られたインド人の一人である。トレードマークは頭に巻いたターバンと凶器のサーベルで、プロレスの世界では悪の限りを尽くすヒール(悪玉)として1970年代に名を馳せた。今月4日、筆者はシンの独占インタビューに成功。ラジオ日本で放送された『真夜中のハーリー&レイス』から、その様子を紹介したい。

とてつもなく凶暴な男

かつて、タイガー・ジェット・シンは、とてつもなく凶暴なレスラーであった。観客の目があろうとなかろうとお構いなし。新宿で買い物中のアントニオ猪木と乱闘を起こした事件はあまりに有名だし、カメラマンや記者にも容赦なく襲いかかってくることから「シンだけは本当に狂ってる」というのが関係者の共通認識だった。ところが、そんな男が今、慈善活動に力を注いでいるのだから、人生はわからない。今年2月には、在トロント日本国総領事から表彰されたニュースも伝わってきた。希代のヒールレスラーは、いったいいつから慈善活動に取り組むことになったのだろうか?カナダ最大の都市トロント近郊の街、ミルトンに住むシン本人にリモートインタビューを申し込んだところ、快諾してくれたのである。

悪玉から善玉へのターン

最後に試合をしてから既に10年以上が経つというシンは、現在76歳。驚くほど饒舌で、口調も力強い。「慈善活動に取り組むことになったのは、5歳だった孫が重い病気に見舞われたのがきっかけなんだ。医者からは手の施しようがないと言われたんだが、奇跡的に助かった。人間は当事者にならないと、なかなか苦しみや悲しみを理解できないものだよ。それからの私は、苦しんでいる人がいれば、助けに行かねばならないと考えが変わったのさ」と語る。12年前、家族とともに立ち上げたタイガー・ジェット・シン財団に集まった寄付金は120万カナダドルにまで達し、医療機関や教育施設を継続してサポートしているという。今回の表彰も、東日本大震災で被災した児童への募金活動が評価されてのものである(表彰式では新たに2万カナダドルの供与も発表された)。

かつての宿敵への想い

タイガー・ジェット・シンは、ミルトンでは日本人が思う以上の英雄である。カナダ政府からは特別功労賞を授与され、街にはシンの名前が付いた公立学校も存在する。「あなたは有名人でお金もコネクションも持っているからと、いろんな依頼がある。しかし、学校に関しては心の底から善行を続けていくために実現したんだよ。自分が善行を続けていると、奇跡は起こるし、奇跡は連鎖していくものさ」と、ヒールレスラーとは思えない台詞が続く。プロレスで築いた地位を使って社会貢献に力を注ぐ姿は、猪木にも重なる。かつての宿敵についても訊いた。「ババ、ツルタ、チョーシュー、フジナミ、サカグチ…日本ではいろんなビッグネームと試合をしてきたが、やはり最大の敵はイノキだったし、人生を懸けた試合をしたと思っている。最近のイノキの姿を動画で見たときには、神のご加護があるよう、すぐに祈ったよ。ベッドに横たわっているときも笑顔でイチ、ニ、サン、とやっているイノキの姿は、昔と変わらないね」。シンが「人生を懸けた」と語る通り、2人の対決は常に命懸けだった。リングの中でシンは猪木に腕を折られたし、反対に猪木の首を絞めて失神させたこともある。死に物狂いで闘った相手の健康を案じる言葉に、こちらの胸が熱くなる。現時点でシンの最後の来日は、2011年の大晦日。格闘技イベントに息子とともにサーベルを持って乱入し、猪木と一触即発のシーンを作ってファンを喜ばせた。

狂虎が考える生きる理由

凶悪さと慈悲深さ。それにしても、いったいどっちがシンの本性なのか?筆者の問いに対する答えは明確だった。「ヒールレスラーとしてのタイガー・ジェット・シンは、自分のためにやったことであり、プロレスのためだ。リングで虎が生き残るためにやっていたことさ。だからと言って、過去に自分が痛めつけた相手に対しては何も悪いことをしたとは思っていないよ。ただ、私の中には二匹の虎がいるんだ。一匹はもちろん、リングの中で暴れる野獣としての虎。そしてもう一匹は、リングで起きたことはすべて置いて帰る、ファミリーマンとしての虎だ。引退した今は100%のファミリーマン。家族を大切にする一人の男なんだよ」ーーシンの言葉から感じるのは強烈なプロ意識である。引退後のレスラーが健康面、経済面で苦しむ例は少なくないが、シンにはまったく当てはまらない。「我々がすべきは、とにかく与えること、平穏と幸せと愛。それが生きる理由さ」。サーベルを置いた虎は、残りの人生を他者のために生きると決め、息子や孫に囲まれて穏やかに暮らしている。

文中敬称略