元WBA世界スーパーフェザー級、ライト級王者の畑山隆則氏(46)。

1993年にプロデビューし、直後からKO勝利を量産。23戦無敗で世界王座を獲得するという偉業を成し遂げた伝説のボクサーだ。

引退から19年経った現在、自身の半生を振り返る。

夢はプロ野球選手だった

ーーー早速、畑山さんの学生時代から振り返っていきたいのですが、確か出身は青森県ですよね。

畑山:青森県青森市出身です。高校は青森山田高等学校に。

ーーー高校時代はどうでしたか。ヤンキーだったという噂も。

畑山:ヤンキーというか、不良ですよ。ビー・バップ・ハイスクールとか仁義なき戦いなんかを見ていたので、アウトローに憧れていました。

ーーー高校では野球部に所属していたと聞きました。

畑山:高校には野球推薦で進学したので。でも結局、先輩といざこざがあって1ヶ月で辞めてしまいました。体育会系の厳しい上下関係についていけず…。

ーーー剛腕で投球スピードも速かったそうですね。

畑山:中学3年の時にMax130km/h以上出ていたんじゃないですかね。当時はずっとプロ野球選手になろうと思っていました。

きっかけは辰吉丈一郎氏

ーーーでは、なぜボクシングを始めようと思ったのですか。

畑山:元々野球をやっていたのは金持ちになるためだったんですよ。プロ野球選手になれば、契約金で何千万、何億とかもらえるじゃないですか。

それで両親に家を買ってあげて、フェラーリに乗ってとか、そんなことを考えていました。

でも辞めてしまったので、次は何をしようかなと思っていた時に、テレビで辰吉丈一郎さんが8戦目で世界チャンピオンになった試合を見たんです。それでボクシングの世界チャンピオンになれば儲かるだろうと思って始めました。

ーーー辰吉さんの8戦目というと1991年、ちょうどボクシングの最盛期ですね。

畑山:そうです。私がボクシングを始めたのは16~17歳の頃で、その当時1990年代前半は「日本ボクシングの黄金時代」と言われていました。どこのジムにもプロボクサーになりたい人がわんさかいるような。

ーーーすごい時代ですね。

畑山:私は東京のヨネクラジムという名門ジムに入門しましたが、そこにも500人ぐらい練習生がいました。

ーーー全員がプロ志望ですか。

畑山:ほとんどがそうです。ヨネクラジムは当時500人ぐらい練習生がいて、99%がプロあるいはプロ志望でした。そういう人達しかいないわけですよ。

今私が経営しているジムには会員が200人ぐらいいますが、プロは5人しかいないんです。全体の2~3%ですね。ほとんどの人がフィットネスや健康のために来ています。

ーーー確かに、最近はその傾向にありますね。畑山さんが引退した頃ぐらいからでしょうか。

畑山:そうですね。私も竹原さんと20年前に「竹原慎二&畑山隆則 ボクサ・フィットネスジム」というジムを開業しましたが、その時に「ボクサフィットネス」の商標を取りました。

その頃からボクシングを通じたフィットネスが徐々に浸透していったように感じています。

プロを志しヨネクラジムへ

ーーーなぜ畑山さんはヨネクラジムに行かれたんですか。

畑山:ヨネクラジムは、ガッツ石松先輩や中島成雄さん、柴田国明先輩や大橋ジム会長の大橋秀行さんなど、世界チャンピオンをたくさん輩出していました。

そういったジムに通った方が世界チャンピオンになれるんじゃないかと思ったからです。

ーーー黄金時代を代表するような選手が在籍していたのですね。ジムにはどのくらい通っていたんですか。

畑山:半年ですね。半年経って、ちょっとこのジムは俺の感じではないなと。当時は練習生もたくさんいて、私のようなアマチュア経験のない選手は相手にされないわけですよ。

このジムでは埋もれてしまうと思いまして、小さくてもいいから私みたいな何もない人間を見てくれるジムを探しました。

ーーー確か京浜川崎ジムに行かれたんですよね。

畑山:そうです。

ーーーヨネクラジム所属で今でも交流のある選手はいましたか。

畑山:日本チャンピオンでしたら嶋田雄大さんですね。

ヨネクラジムに通っていた時は新聞配達をしながら通っていたんですけど、その新聞屋で知り合ってすごく仲良くなって、辞めた後も親交がありました。

写真:築田純/アフロスポーツ

名トレーナーの指導を求め移籍

ーーー移籍した京浜川崎ジムはどうでしたか。

畑山:全然違いました。ヨネクラジムでは基本合同練習だったので、一斉に選手が集まって練習していました。1時間練習して30分休憩という時間割で、5部制という感じでしたが、京浜川崎ジムは好きな時間に練習に行ってよかったので。

それに街が私に合っていたんですよね。ヨネクラジムは池袋で、まさに東京という感じで落ち着きませんでしたが、川崎に来たら居心地がよくて。それも川崎を選んだ理由ですね。

ーーー柳和龍先生がいたというのも理由の一つですか。

畑山:そうです。世界チャンピオンを育てたトレーナーが川崎のジムにいると聞いて。

柳先生は私をずっと見てくれて、2週間ぐらい経ったある日、事務所に呼ばれて「おまえは何のためにボクシングをやっているんだ」と聞かれ、「僕は世界チャンピオンになるために青森から出てきたんです」と答えました。

年齢を聞かれたので「17歳です」と言ったら、3秒ぐらい考えてから「俺と一緒にやるか?俺が必ず世界チャンピオンにするから」と言ってくれたんですよ。

ーーーいきなりですね。

畑山:驚きました。私はボクシングに限らずスポーツは才能だと思っていたので、可哀想な言い方ですけど、素質のない人間が100年やったって100ラウンド練習したって世界チャンピオンになんかなれないと考えていました。

そう考えると柳先生が2週間だけ私を見て「必ず世界チャンピオンにする」と言ったことは私の考えとも合ったわけです。やはり素質だ、と。

だからその時は嬉しくて、もう世界チャンピオンになったつもりでいましたね。世界チャンピオンを育てた人がそう言ってるんですから。

【後編に続く】