不良だった渡嘉敷勝男を変えたのは具志堅用高の世界戦「俺がこの人を倒しにいく」

写真スタッフ撮影

不良少年からボクシング世界王者になった、元WBA世界ライトフライ級王者の渡嘉敷勝男氏(60)。

5回の防衛記録を残した偉大なチャンピオンは、なぜボクシングの道を志したのか。彼のボクサー人生を振り返る。

弱きを助け強きを挫く

ーーーボクシングを始める前は不良少年だったと聞きましたが本当ですか。

渡嘉敷:そうですね。無免許でバイクを運転したり、夜は街を徘徊したり、警察のお世話になることも何度かありました。

そんな時に高倉健さんが出演していたヤクザ映画を見て、侠客の「弱きを助け強きを挫く」というの信条に感銘を受けて心を入れ替えました。

ーーーなぜ非行に走ってしまったのですか。

渡嘉敷:幼稚園の頃、外(沖縄)から来たということでいじめられていました。当時はウルトラマンとか仮面ライダーとかヒーローものに憧れがあったので、俺が強ければみんなを助けてあげられると。

俺のようにいじめられている連中を守るために暴れてしまって。それがだんだんエスカレートしてしまい「不良」「渡嘉敷は怖い」というイメージがついてしまいました。

ーーー喧嘩が強かったそうですが、当時から何か格闘技はやっていたのですか。

渡嘉敷:小学生の頃は空手をやっていました。

クラスに空手の強い友人がいて、空手では瓦やレンガを手で割ると聞き興味を持ち始めました。

ーーー幼少期からスポーツをやっていたのですね。

渡嘉敷:中学ではサッカーと空手をやっていました。その他にも野球、サッカー、ラグビーなど小学生の頃から多種目やっていましたね。

まぁ、その間に悪いこともしていました。学校では寝ていて、昼はスポーツ、夜は街を徘徊みたいなライフスタイルでした。

不良漫画のような高校時代

ーーー高校生活はどうでしたか。

渡嘉敷:大阪の高校に進学しました。入学前から当時の大阪にはワルそうな連中がいて、かくいう私も、高校生活初日から小さい体で長ランを着て登校しました。

周囲の人から見たら上着しか見えないから「学生服が歩いているぞ!」と指をさされたりしましたね(笑)。

ーーー漫画みたいな世界ですね。

渡嘉敷:めちゃくちゃですよね。そんな格好で歩いていたので変に目立ってしまって、初日から先生に「君は退学だ!」と言われてしまいました。

周囲にも同じような格好をしていた先輩たちもいたのですが周りはでかいから、そんなに目立たないんですよね。

ーーー先輩に目をつけられたりしませんか。

渡嘉敷;つけられましたね。各クラスに各校の番長クラスがいるような学校で、入学初日からそんな感じでしたから。

打倒・具志堅用高

ーーーボクシングを始めたきっかけは。

渡嘉敷:高校の友人たちと具志堅用高さんが出ている試合を見た時です。

ハイメ・リオスとの世界戦でした。フックを受けてすぐに具志堅さんがダウンしてしまったのですが、ボコボコされながらも立ち向かい、勝利をもぎ取った姿に感激しました。

「自分より強い相手に立ち向かって勝つ!これこそ男だ!」と。友人から私とあまり体格の変わらない選手だときいて「俺がこの人を倒しにいく!」と公言してしまいました。

ーーーそこからボクシングを始めたのですね

渡嘉敷:はい。公言した翌日から朝5時に起きてランニングを始めて、サンドバッグでパンチの練習しました。

すぐにでも勝負を仕掛けに行きたかったのですが、すぐに行って勝てるわけないですし、長期滞在になるだろうから朝晩働き半年後に100万円貯めて17歳で上京しました。

ーーーそれで具志堅さんの所属していた協栄ジムに入会したのですね。

渡嘉敷:はい。でも、最初は協栄ジムに具志堅さんがいると知らず、たまたまバイト先に向かう途中の電車から見えたジムが協栄でした。

ジムに具志堅さんのパネルが貼ってあって具志堅さんのいるジムだと知り、ここに入会すれば毎日勝負できると喜んで入会しましたね。

【後編に続く】

渡嘉敷勝男(とかしき・かつお)

60歳。沖縄県コザ市(現・沖縄市)出身、兵庫県宝塚市育ち。元WBA世界ライトフライ級王者。現役時代は協栄ボクシングジムに所属。引退後はタレント活動や渡嘉敷ボクシングジムの開設、YouTuberとしても活躍している。