2階級王者の粟生隆寛が引退「帝拳ジムじゃなかったら世界チャンピオンになれなかった」
ボクシング元WBCフェザー級、S・フェザー級王者の粟生隆寛(36)が自身の誕生日4月6日にSNSで引退を表明した。
粟生は史上初の高校6冠を達成し、プロデビューから大きな注目を集めたボクサーだった。
インスタライブで引退発表
粟生はここ2年ほどリングから遠ざかっていた。
再起を目指しジムとも協議を重ねていたようだが、復帰は叶わなかった。
表情からは悔しさも感じられたが、誕生日で区切りとなるこの日に引退を決意したようだ。
本人は「自分のこれまでの戦績に関しては、悔いも後悔もありません。こんな性格の自分がよくやったなと思います」と話した。
また「16年間面倒見てくれた帝拳ジムには感謝しかない。帝拳ジムじゃなかったら世界チャンピオンになれなかった」
「今まで応援してくださった方々には本当に感謝しかないです。いろんな方々の協力やバックアップがあってチャンピオンになれた。本当に感謝してます」
と、ライブ中にジムや周囲への「感謝」の言葉を何度も口にした。
粟生について
粟生は元ボクサーだった父の影響で3歳からボクシングを始めた。
ボクシングの名門習志野高校に進学し、高校時代には史上初の高校6冠を達成している。
その後、2003年に帝拳ジムでプロデビュー。3年後には日本フェザー級王座を獲得した。
順調なキャリアを経て、無敗で挑んだ初めての世界タイトルマッチでは王者のオスカー・ラリオス(メキシコ)と戦った。
試合では1度ダウンを奪ったが、2-1の判定で惜しくも敗れた。
プロでの初黒星、初めての挫折を味わったが、翌年に行われた再戦で勝利し、WBC世界フェザー級王座を獲得した。
2010年にはWBC世界スーパーフェザー級王座を獲得し2階級制覇を達成。
粟生はサウスポースタイルからのカウンターが武器で、絶妙なタイミングでパンチを打つ。
気づいたら相手が倒れているような、一瞬の隙をみて放つ左ストレートは芸術的だった。
パワーがあるタイプではないが、天性の感覚を持っている選手で、多くのファンを魅了した。
これまでの戦績は、33戦28勝3敗1引き分け1ノーコンテストとなる。
粟生とのエピソード
私がボクシングで初めてスパーリングをしたのが粟生だった。
中学生の時、天才ボクサーと呼ばれていた彼にまったく歯が立たずボコボコにされた思い出がある。
その後、習志野高校で粟生が後輩になった。入学当初から期待され1年生で全国大会に出場していた。
高校時代には、後に帝拳ジムの同門になる元WBC世界バンタム級王者山中慎介氏(37)や元WBC世界スーパーフェザー級王者の三浦隆司氏(35)とも拳を交えている。
帝拳ジムで一緒に練習していたが、プロでもめきめきと頭角を現し、その時代を引っ張っていく選手となった。
ジムでも中心的な存在で、彼の活躍に刺激され、影響を受けた選手も多いだろう。
私も、後輩ではあったが粟生から刺激を受けていた。
今後については「ボクシングには必ず携わっていくと思う。将来的にはジムをやれたらいいなと思います」と話していた。
ボクシングキャリアでは栄光も挫折も味わった。今までの経験を活かして引退後も活躍してほしい。