衰退するモノづくり大国

[ロンドン発]ドイツ総選挙の投開票が26日行われ、2005年以降、ドイツだけでなく欧州を導いてきたアンゲラ・メルケル首相が政界から引退します。誰が次のドイツ首相になっても欧州債務危機やイギリスの欧州連合(EU)離脱(ブレグジット)で浮き彫りになった「欧州の衰退」は止められないでしょう。

ドイツの過去、現在、未来を各種予測から見ておきましょう。経済協力開発機構(OECD)が2010年時点の米ドルに換算した購買力平価のデータを公開しています。東西を分断していたベルリンの壁が崩壊し、ドイツが再統一した1990年、世界のGDPは1位アメリカ、2位日本、3位ドイツでした。

旧東ドイツ出身のメルケル首相が誕生した2005年には1位アメリカ、2位中国、3位日本、4位インド、5位ドイツの順に入れ替わりました。今後、購買力平価で見た世界のGDPは2050年には下の表のように様変わりします。モノづくり大国のドイツも日本と同じように産業の空洞化、高齢化による生産年齢人口の減少という問題を抱えています。

各種データをもとに筆者作成
各種データをもとに筆者作成

「ドイツのお母さん」と呼ばれるメルケル首相が胸の下で親指と人差し指を合わせて「菱形」をつくるお馴染みのポーズは安心感を与えます。メルケル首相の16年間は欧州単一通貨ユーロが崩壊するかもしれない瀬戸際まで追い込まれた欧州債務危機、100万人を超える難民が押し寄せた欧州難民危機、テロ、ブレグジット、コロナ危機と危機の連続でした。

こうした危機を乗り越え、欧州連合(EU)の崩壊を防いだというのがメルケル首相最大の功績でしょう。

ビスマルク、コールに続く歴代3位

ドイツ歴代最長の首相は次の通りです。初の女性宰相、メルケル首相は歴代3位です。

(1)オットー・フォン・ビスマルク(首相在任期間1867~1890年)「ドイツ問題は鉄と血によって解決される」という信念の下、ドイツ統一を果たした鉄血宰相

(2)ヘルムート・コール(同1982~1998年)冷戦で東西に分断されたドイツの再統一を果たす。ユーロを軸にしたEUという欧州統合プロジェクトを主導

(3)アンゲラ・メルケル(同2005~2021年)欧州債務危機や欧州難民危機、ブレグジットに対処。コロナ危機では初の債務共有化に踏み出す

(4)コンラート・アデナウアー(同1949~1963年)ナチスにより強制収容所に収容される。強硬な反共主義者で自由主義陣営に参加。独仏和解を軸に西ドイツの主権回復、再軍備、奇跡の経済復興を果たす

(5)アドルフ・ヒトラー(同1933~1945年)第二次世界大戦を始める。ナチズムとユダヤ人大虐殺(ホロコースト)という歴史の悲劇をもたらす

調整型リーダー

メルケル首相の師匠だったコール氏の政治家としての原点は第二次世界大戦です。コール氏が第二次大戦の終戦を迎えたのは15歳のとき。コール少年は進撃してきた米軍に追われ、ポーランド人がヒトラーユーゲントに激しい殴打を浴びせるのを目の当たりにしました。ウクライナからフランスまでが廃虚と化し、5千万人以上が犠牲になりました。

フランスのフランソワ・ミッテラン大統領と手を携えて欧州統合のリーダーシップを発揮したコール氏と比して政治家としてビジョンを全く感じさせないと批判されてきたメルケル首相は旧東ドイツの共産主義体制下、自分の本心を覆い隠す外見上の凡庸さを身につけました。その政治スタイルも、目標を掲げて主導するのではなく、調整型です。

だからこそ遠心力が急激に強まったEUを崩壊させずに済んだという面はありますが、ハンガリーやポーランドの増長を許し、自由や法の支配といったEUの基本的価値を踏み外しても厳しく咎めませんでした。メルケル首相は選挙に勝つため、ロシアの資源を買い、中国に自動車を売るツールとしてのユーロと欧州単一市場を守っただけと言われても仕方のない面があります。

メルケル首相はコール氏やミッテラン氏のように「1つの欧州」という理想を高らかに掲げることはできませんでした。国内では脱原発、全国一律の最低賃金制度、同性婚の合法化と保守政党の枠を越えてリベラルな政策を実現しましたが、彼女にとって歴史に残る英断となった難民に対する門戸開放は国内やEU内で猛烈な反発を受けます。

米中に振り回されない第3極を目指すEUでは高齢化が進み、成長力を取り戻すのは難しいかもしれません。ブレグジットで国際社会における影響力も低下しています。格差拡大で極右や極左のポピュリズムも台頭しています。こうした難問に対処できる政治家は欧州にはメルケル首相をおいて他に見当たりません。

欧州外交評議会(ECFR)の世論調査では、EU市民はドイツを信頼できる親欧州の国とみなしています。メルケル首相が近い将来、実質的な意味での「初代EU大統領」になるというシナリオはまだ消えていないように筆者には思えるのですが…。

(おわり)