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第5の波 (3)「ワクチンによる集団免疫獲得で11月1日をコロナ独立記念日に」平野前阪大総長に聞く

木村正人在英国際ジャーナリスト
ロンドンの診療所でワクチンの1回目接種を受ける筆者(今年2月11日、妻が撮影)

[ロンドン発]「コロナはサイトカインストーム症候群」といち早く見抜いた世界的な免疫学者、量子科学技術研究開発機構(QST)の平野俊夫理事長(前大阪大学総長)は昨年4月に続いて今年5月、政府に対し2度目のコロナ提言を行った。今年10月末までに16歳以上の希望者全員にワクチン接種を完了するよう求めている。(聞き手、在英国際ジャーナリスト・木村正人)

――イギリスでは昨年3月、感染のピークを先に遅らせる遅延作戦から封じ込め作戦への逆戻りを余儀なくされ、冬の第2波で医療システムが破綻することに危機感を募らせました。同年5月には年内ワクチン接種を実現するためワクチンタスクフォースを発足させました

どのような事象でも刻々と変化し状況は変わるので、当然段階に応じて戦略も変わる。コロナを早急に収束という志は同じでも戦略は変わってくる。

ワクチンも治療薬もない1年前だったら、検査体制整備により感染者を隔離するとともに医療体制を整え、できるだけ重症にならないようにし死亡率を減らすというのが最大の戦略だった。1年前の提言では、長期戦となる認識の下、検査と医療体制の整備に関する具体的提言をした。

そのための戦術が必要となる。極論すれば、すべての国民をカプセルに詰め込めば3週間で解決できる。これは非現実的だが、何が物事の本質かを教えてくれる。

この考えに可能な限り準じたことをやれば良い。中国は強力な都市封鎖を実行し、比較的短期間で感染流行の収束に成功した。程度の差こそあれ、欧米や日本は中国に比較してより穏やかな都市封鎖や社会的距離政策を行った。

日本は一番緩やかだった。東アジアでは中国を含め台湾やベトナムはいち早く封じ込めに成功した。日本は欧米に比べて死者が一桁少なかったが、遺伝要因など複数の要因によると考えられており、台湾やベトナムと比較するとよくわかるが、必ずしも政策が良かったとは言えない。

感染症流行には、その地域の人々の遺伝的要因、過去の感染症の歴史や公衆衛生、社会的距離といった社会的要因などの複合要因が多大なる影響を与える。

第3の波では、ヨーロッパから持ち込まれた天然痘で南米のアステカやインカ帝国は滅びた。コロナの場合、東アジアでは新型ではない他の風邪コロナウイルスのようなコロナウイルスの感染が以前から広がっていて、交差免疫が働いて新型コロナウイルスにも少しは効果があるのではとも考えられている。

欧米に比べて日頃より社会的距離が遠いことも影響しているだろうし、ネアンデルタール人由来遺伝子などの遺伝的要因もある。BCG接種により自然免疫が訓練された可能性も指摘されている。

遺伝的要因、社会的要因、過去の感染症の歴史、いろいろなことがミックスしてたまたま日本は死者が少なかった。

1年前は中国のように極端なことをはじめ、アメリカやイギリス、スウェーデンなどの国々がそれぞれ試行錯誤しながらやった。日本は最も穏やかな3密回避に代表される社会的距離政策を採ったが、全ては国民頼みだった。

――どこで段階が変わったと思われましたか。どうしてこれほどスピーディーにワクチンを開発することができたのでしょう

昨年末から今年1月にかけて段階が変わった。ワクチンは過去の経験からすぐには開発できないと考えられていた。ワクチンをつくるのに3年ぐらい要して、安全性や有効性を確認していたら5年から10年かかる。あげくの果ては病気を逆に悪化させてしまうようなワクチンになる恐れもある。

ところがm(メッセンジャー)RNAワクチンが短期間で開発された。これは決して奇跡でもなく偶然でもない。何十年にわたる地道な基礎研究と前臨床や臨床研究の成果の賜物だ。

ジル・バイデン大統領夫人とワクチン接種を視察するファウチNIAID所長
ジル・バイデン大統領夫人とワクチン接種を視察するファウチNIAID所長写真:ロイター/アフロ

米国立アレルギー感染症研究所(NIAID)のアンソニー・ファウチ所長が指摘しているように、ワクチンのプラットフォーム、特にRNAの最適化研究や、ウイルスのスパイク蛋白(たんぱく)の抗原性を高めるための構造生物学的研究などを、生化学者、構造生物学者、ウイルス学者、免疫学者、臨床研究者などが異分野領域を超えて学際的研究を行った成果であり、まさに調和ある多様性の創造により、もたらされた成果である。

長年にわたり、エイズ、RSウイルス感染症、MERS(中東呼吸症候群)、SARS(重症急性呼吸器症候群)に対するワクチン研究開発の過程で得られた知見が新型コロナウイルスワクチン開発に活かされ、わずか1年という歴史上、前例のない速さでワクチン開発は成し遂げられた。

このように地道に、継続してワクチン開発を推進できるワクチン研究センターがNIAIDに整備されていたことと、研究者がビオンテックやファイザー、モデルナと共同研究を継続していた成果でもある。

イギリスにおいてもオックスフォード大学とアストラゼネカの共同研究により短期間にワクチンが開発された。日本も見習わなければならない。

ファウチ博士が指摘しているように、今回のワクチン開発の裏に隠された素晴らしい成功物語は一般には理解されていない。皮肉にもこの驚異的なスピード開発がワクチンに対する不信感の原因の1つにもなっているが、これは大きな誤りである。

今回開発されたmRNAワクチンはmRNAの転写効率が高い上に、体内に入ってもmRNAがすぐに分解されないように脂質二重膜の中に封入した結果、免疫細胞に取り込まれやすくなっている。

また、mRNAに変異を導入することにより、体内で作られるスパイク蛋白は、免疫原性が高まるように設計されている。したがって強い免疫応答を誘導できる。

今までのワクチンだったら有効性は50~60%。今回のmRNAワクチンの有効性は90%を超えている。RNAは自然免疫を活性化する性質もあり、その結果としてワクチン接種により、発熱もするしリンパ腺も腫れる。これは免疫反応の結果なので過度の心配は不要だ。

これまでのワクチンは効果を高めるアジュバント(非特異的免疫賦活剤)を使っていた。自然免疫のお尻をたたくようなものを加えないと、うまく免疫反応が起こらなかった。だからアジュバントによる副反応もいろいろあった。

今回はアジュバントを使わなくて、強い免疫反応が得られるようになった。だからある意味で今までのワクチンより副反応は少なくなったと考えられる。

また、mRNAは体の中で潰れてしまうので、遺伝子治療のイメージから受ける漠然とした不安、すなわちヒトの遺伝子に悪い変化を誘導する可能性もない。

このように、mRNAワクチンは非常にタイムリーに開発された。これが3年前に新型コロナが起きていたら、間に合わなかっただろうと思うと人類にとって幸運だったとしか言いようがない。昨年1年間、みんな半信半疑でワクチンはどうなるかと待っていた。

結果的にできた。副反応も非常に少ない。そういうターニングポイントが昨年末から今年初めにかけて起きた。

そこで段階は完全に変わった。もちろん検査体制、医療体制は今でも非常に重要だ。1年前は感染症対策の基本である検査体制と医療体制整備が戦略だった。治療薬とワクチンの開発も続けていたが、いつできるか分からなかった。

――イギリスは昨年12月8日、世界に先駆けてワクチンの集団予防接種を始めました

段階が変わってから、いち早く戦略を切り替えた国は成功した。各国の政治指導者がどうのように対応したのかが問われている。真っ先に切り替えたのはイギリスだ。ボリス・ジョンソン英首相は迅速に対応した。科学者の意見をよく聞かれたのだと思う。

続いてアメリカだ。大統領選でドナルド・トランプ前大統領からジョー・バイデン大統領に変わった。ヨーロッパも追従した。残念ながら日本は気づくのが遅かった。

日本政府も今年1月にワクチン接種が切り札であると気づいていればもっと早く準備ができていたはず。今頃、ワクチン接種率が16歳以上人口の50%ぐらいになっていたかもしれない。

段階に応じた戦略目標が何かということを判断するのがリーダーだ。どんなリーダーを選ぶかでその組織の命運が決まる。コロナは一つの例としてそれを示している。国や文明の存亡にもつながる。政治家、経済人、ジャーナリストや市民、若い人も真剣に考えなければいけない。

そういう良い機会を新型コロナはわれわれに与えてくれたと前向きに考えた方が良い。もっと真摯に考えた方が良い。その上で第5の波がどうなっていくかによって人類の未来は決まると思う。第6の波を人類が迎えることができるか否かは、第5の波を人類が助け合って乗り越えられるかどうかにかかっている。

これまでの4つの波はそれぞれ20万年、1万年、400年、200年続いた。だんだん短くなってきている。第5の波は50〜60年ぐらいしか続かないかもしれない。すでに第5の波に入って30年が経った。あと20〜30年で終わる可能性もある。2050年ぐらいに、遅くても21世紀中に第6の波に入っているだろう。

生物学的寿命の突破、心の問題、サイボーグ、人工知能(AI)、それこそサイバーと現実空間の区別がつかないようになっているかもしれない。どのような第6の波になろうとも、これを迎えるための関門は、いかに第5の波を乗り越えることができるかにかかっている。そのためには世界は一つにならなければならない。地球市民にならなければならない。

さもなければ、世界中で多様性の爆発が起こり、さまざまな紛争やテロが勃発する。サイバー攻撃により社会システムが大混乱に陥り、さまざまな事故が同時多発するかもしれない。人工的に作られたウイルスがまき散らされる恐れもある。ミサイルをはじめステルス戦闘機や原子力空母などは時代遅れとなる。米ソ冷戦や第二次世界大戦とは全然違う形で人類が滅びる可能性がある。

キーワードは「調和ある多様性」だ。多様性の爆発だから、大きな力と大きな力がぶつかるのではなく、小さな力が衝突して爆発する。それに対応するためには、コロナがいみじくも教えてくれたように地球市民という自覚を持って調和ある多様性の創造を成し遂げなければならない。

――イギリスではジョンソン首相の両脇にはいつも政府首席科学顧問とイングランド主席医務官が控えています。ワクチンタスクフォースは科学顧問の助言でした

政府首席科学顧問とイングランド主席医務官を両脇に従えて記者会見するボリス・ジョンソン英首相(中央)
政府首席科学顧問とイングランド主席医務官を両脇に従えて記者会見するボリス・ジョンソン英首相(中央)写真:代表撮影/ロイター/アフロ

政治と科学の連携も不可欠だ。

日本にも科学コミュニティーはあるが、科学が政治に助言するようなシステムは全くない。アメリカでは大統領の首席医療顧問であるNIAIDのファウチ博士が大統領に助言している。日本では政府に科学的なことを助言するようなきちんとしたシステムはない。

今回の新型コロナを見ていると、まずは厚生労働省が対応する。そこで急遽(きゅうきょ)新型コロナウイルス感染症対策本部が設けられ、専門家が全国から集められた。今は内閣府のもとに諮問委員会ができたが、政府が招集している。あくまでも臨時の対策本部であり、諮問会議だ。

今回行った提言の中で、司令塔の危機管理センターや感染症センターが必要だと指摘した。日本には感染症や放射線障害も含めて何かあった時に国の司令塔がない。急遽招集しても平時から活動をしていなければタイムリーに戦略や戦術をつくることは難しい。

日本でも国立感染症研究所があるが、これも予算がどんどん削減されてきちんとした機能がない。アメリカのNIAIDとは雲泥の差だ。

だからこそ常時活動できてワクチンの開発もできるし、免疫や感染症、疫学の基礎的な研究に加えて前臨床や臨床研究もできる、研究だけでなく世界の感染症の情報も手に入れる、世界のどこかで感染症が出たら日本から駆けつけていって助けることによって情報を得る……。

そうした常設の国の機関が必要だ。それが残念ながらない。そのために日本政府も右往左往している。

時には政治的判断だけでやってしまう。最終的には政治的判断が求められるが、科学に基づいて総理大臣が政治判断できる仕組みをつくらなければならない。どこまで科学に基づいて今のコロナ対策が行われているのか国民にもよく分からない。だから不安になる。

今回はとても傍観しておれなくなり昨年と今年の2回にわたって政府や知事に提言を出した。

全国のさまざまな学術分野の方々に呼びかけて34名の賛同者を得た。5月28日に政府や全国の知事、経済団体、学術団体などに提言書を送付した。

政府にある有識者会議もどういう人選で集めたのか分からないが、必ずしもいろんな分野の専門家が集まっているとは思えない。疫学中心の発信が多いのも気になる。最初は疫学的な、公衆衛生学的なことは大変重要だったが、段階が変われば戦略も戦術も当然変わる。

最終的なゴールであるコロナを収束させることは同じだが、段階が変われば何が問題の本質か、戦略目標も変わってくる。

日本は東京五輪・パラリンピックを開催しようとしている国だから、mRNAワクチンの安全性と有効性についてきちんと理解していればもっと早くに動いていなければならなかった。専門家が総理大臣にきちんと伝えていれば良かったと思う。

世の中を良くするためなら一時的に権力を行使してもよい。コロナ対策にしても政府がやっていることには何でも反対、反対と攻撃しても何の解決にもならない。

与党も野党もマスコミも社会の構成員全員が一緒になり、どうすれば解決できるかを建設的に考えて意見交換をし、具体案を出さなければならない。

いくら学術経験者が動いても政府が動かないと問題は解決しない。1年前の提言では担当大臣や一部の知事にも説明したが、深く受け止めてもらえなかった。今回はどうしたら提言が少しでも実現するかを考え、経済界と連携して政府に働きかけるのが一番だと考えた。

――感染力が非常に強いデルタ(インド変異)株が広がる中、東京五輪・パラリンピックの開催が迫ってきています。今からでもできることはありますか

来年春ではなく冬が始まる10月末までに希望者全員にワクチン接種を完了して集団免疫を獲得するためにはできることは何でもすべきだ。ワクチン接種のチャンネルが渋滞しているのなら、さまざまなチャンネルを増やして、総動員して短期決戦でやるべきだ。

感染力が極めて強いデルタ株に対してもワクチンの効果はあるので、ワクチン接種を急がなければならない。デルタ株はワクチン接種を2回打っていると重症化リスクはかなり下がっている。

mRNAワクチンの優れたところはウイルスの変異に合わせて新しいワクチンをタイムリーに開発できることだ。

とにかく早い時期に2回接種を終わらせる。おそらく来年からは年に1回打つことになるだろう。

リーダーたるものは戦略目標を明確に示さなければならない。冬に入るまでの今年10月中にワクチン接種を終わらせるというゴールを立て、11月には乾杯しようということぐらいは言わなければならない。

そうすると国民は一生懸命、全力を挙げて困難を乗り越える気になる。関経連や経団連も同じ見解で知事や政府に働きかけた。そして経団連が6月1日に同じ趣旨の緊急提言を発出した。

政府も動き出し、6月9日には総理大臣が10〜11月に希望者全員へのワクチン接種を終えることを表明された。英断だ。出口が見えた。トンネルの先に光が見えた。

リーダーが戦略目標を明確にすると、国民はついてくる。それに向かって自治体が、企業が、大学が、戦術を立てて出口を目指して突き進むことができる。

ジョー・バイデン大統領も7月4日はコロナ独立記念日だと言っている。ジョンソン首相もデルタ株の流行で4週間延期されたものの6月21日に正常化するという戦略目標を立ててきた。

治療法も劇的に効くものはまだないにしても、いろいろとある。医療現場もだんだんECMO(人工肺とポンプを用いた体外循環回路による治療)や人工呼吸器の使い方にも慣れてきた。ワクチン展開がある程度進むと重症化して亡くなる人は劇的に減る。

(つづく)

平野俊夫(ひらの・としお)

1972年、大阪大学医学部卒業。73年より3年間米国立衛生研究所(NIH)留学。86年にIL-6遺伝子を発見。89年大阪大学医学部教授。2008年に医学部長、11年から4年間、大阪大学総長。日本免疫学会会長などを歴任。クラフォード賞、日本国際賞などを受賞。16年から現職。

在英国際ジャーナリスト

在ロンドン国際ジャーナリスト(元産経新聞ロンドン支局長)。憲法改正(元慶応大学法科大学院非常勤講師)や国際政治、安全保障、欧州経済に詳しい。産経新聞大阪社会部・神戸支局で16年間、事件記者をした後、政治部・外信部のデスクも経験。2002~03年、米コロンビア大学東アジア研究所客員研究員。著書に『EU崩壊』『見えない世界戦争「サイバー戦」最新報告』(いずれも新潮新書)。masakimu50@gmail.com

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