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英国のスパイマスターが教える10のレッスン「紙切れ1枚でファイブアイズをシックスアイズにはできない」

木村正人在英国際ジャーナリスト
トランプ米大統領のツイートには「誤解を招く」と警告表示が連発されている

フォークランド紛争を勝利に導いた英国の情報収集力

[ロンドン発]電子情報の収集を担当する英政府通信本部(GCHQ)長官を務めたスパイマスターのデービッド・オマンド英キングス・カレッジ・ロンドン客員教授(73)が新著『スパイはいかに考えるか(仮訳、HOW SPIES THINK)』を出版しました。

インターネットやソーシャルメディアの浸透で真偽が定かではない情報が氾濫する時代に、いかに情報を分析して迅速かつ適切に対応するか――オマンド氏は英有力シンクタンク、国際戦略研究所(IISS)のテレビ電話会議を通じて講演し、スパイの心得を伝授してくれました。

デービッド・オマンド氏(Zoom会議の映像をスクリーンショット)
デービッド・オマンド氏(Zoom会議の映像をスクリーンショット)

オマンド氏はケンブリッジ大学を卒業後、GCHQや国防省でキャリアを積み、1996~97年にGCHQ長官。内務省事務次官、内閣府で事務次官や首相に助言する初代安全保障・情報調整官を歴任し、合同情報委員会のメンバーを7年も務めたスパイマスターです。

1982年3月31日水曜日の午後、オマンド氏はマーガレット・サッチャー首相にGCHQが収集した情報ファイルを渡しました。解読されたアルゼンチン海軍の通信はフォークランド諸島周辺で偵察活動を行うためアルゼンチン海軍の潜水艦が配備され、演習を終えた艦隊が再編成されたことを示していました。

サッチャー首相に「これは非常に深刻な事態だわね」と尋ねられたオマンド氏は「はい、首相。アルゼンチンの軍事政権はフォークランド諸島への侵攻準備の最終段階にあり、おそらく決行日は今週の土曜日です」と答えました。オマンド氏は当時、ジョン・ノット国防相の首席私設秘書を務めていました。

旧ソ連国家保安委員会(KGB)将校オレグ・ゴルディエフスキー氏は冷戦中、英秘密情報部(MI6)に情報提供した最も重要な二重スパイでした。彼が命懸けでもたらした情報は、アメリカが核の先制攻撃を仕掛けてくるかもしれないとパラノイアになる旧ソ連指導部の心理状態を西側が理解するのを助けました。

その後、ワシントンはモスクワがエスカレーションと見なす可能性のある軍事的な変化を避けるよう心掛け、最終的には軍備管理の合意につながる信頼が構築されたとオマンド氏は評価します。

「私たちの知識は常に断片的で完全ではなく、時に間違っている」

オマンド氏が『スパイはいかに考えるか』を執筆しようと思い立ったのは2016年、イギリスが離脱を選択した欧州連合(EU)国民投票とドナルド・トランプ大統領を生み落とした米大統領選がきっかけでした。スパイの心得が氾濫する偽情報と歪曲に惑わされず、合理的な判断を下す助けになると考えたからです。

オマンド氏が長年、インテリジェンスの世界で培った経験を生かして新著の中で示している10の教訓は次の通りです。

(1)状況認識(Situational Awareness)。世界に対する私たちの知識は常に断片的で、完全ではない。そして時に間違っている。だからこそ信頼できる一貫した情報が必要だ。何が起きているのかについての無知を減らすため、インテリジェンスをより賢く利用する必要がある。

(2)説明(Explanation)。相関関係は因果関係ではない。事実はデータで説明されなければならない。固まった事実でさえ、いくつもの解釈が可能だ。私たちが見ていることをどう説明するかの選択も私たち自身の無意識の感情や偏見によって簡単に左右される恐れがある。

米中央情報局(CIA)のジェームズ・アングルトン氏とスパイ小説『スパイキャッチャー』の著者で元英情報局保安部(MI5)のピーター・ライト氏は旧ソ連がKGBエージェントであるハロルド・ウィルソン氏を首相にするため労働党のヒュー・ゲイツケル党首を殺害したという妄想的な冷戦ファンタジーを信じ込んでいた。

(3)推測(Estimations)。予測には十分なデータと説明に役立つモデルが必要だ。いくつかのデータを確認したことから次に何が起こるかを知っていると思い込んでしまう帰納的誤謬を回避せよ。十分なデータだけでなく、見ているものの背後にいる人々の動機を説明するなど優れたモデルが必要だ。

(4)戦略的通知(Strategic Notice)。サプライズによって驚かされてはならない。私たちが予期していなかった何かが頭の後ろからぶつかってくることはよくある。将来、何が起こり、何が課題になるのかを事前に知らせておけばサプライズ自体に驚かされることは少なくなる。

(5)私たちをミスリードする可能性が最も高いのは私たち自身の悪魔だ。

(6)私たちは全員、取り憑かれた状態の心の影響を受けやすい。

(7)私たちはいつも見ていることを信じているわけではない。巧みな操縦と欺罔、ウソを見抜け。

(8)敵対する側にいる自分を想像しろ。

(9)信頼に値することが持続するパートナーシップを構築する。

(10)破壊と扇動は今やデジタルからもたらされる。

「英米のデジタルインテリジェンスは何世代もかけて構築された」

筆者はアングロサクソン5カ国による電子スパイ同盟「ファイブアイズ」に日本を加えて「シックスアイズ」にするというアイデアについてオマンド氏に質問してみました。

オマンド氏「同じ種類の質問が他の国でも取り上げられています。例えばフランスです。なぜフランスがファイブアイズに加わるべきなのか? しばらくの間、フランスの指導者は確かにそのようなことを示唆していたように見えました。そのような関係を築くためには、まず信頼を確立する必要があります」

「私たちイギリスがアメリカと持っているデジタルインテリジェンスは何世代もかけて築き上げてきたものです。一枚の紙に署名するだけではファイブアイズがシックスアイズになることを期待することはできません。ファイブアイズを一つにする過程でもかなりの浮き沈みがありました。それが最初のポイントです」

「第二のポイントは極東、東アジアではアメリカを中心に、情報共有のための非常に優れた取り決めがすでにあるということです。そして、歴史的に大西洋を中心としたアメリカとイギリスの関係よりも、アジアの情報共有の枠組みの上に構築することを考える方がおそらく良いでしょう」

「オーストラリアは現在、非常に重要な地理的位置にあります。オーストラリア、日本、アメリカ、台湾、この地域に関心を持つ他の国々の間で情報協力を深めると考える方がもっともでしょう。私は歴史に基づく関係の性質を変えることなくファイブアイズをシックス、セブン、エイトアイズにできると単純に言うことにはやや反対です」

(おわり)

在英国際ジャーナリスト

在ロンドン国際ジャーナリスト(元産経新聞ロンドン支局長)。憲法改正(元慶応大学法科大学院非常勤講師)や国際政治、安全保障、欧州経済に詳しい。産経新聞大阪社会部・神戸支局で16年間、事件記者をした後、政治部・外信部のデスクも経験。2002~03年、米コロンビア大学東アジア研究所客員研究員。著書に『EU崩壊』『見えない世界戦争「サイバー戦」最新報告』(いずれも新潮新書)。masakimu50@gmail.com

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