集団免疫論に惑わされた英国の悲劇 EU離脱の影響配慮が裏目か 米研究所が死者6万6000人の予測

ジョンソン英首相を励ますNHSスタッフ(英紙タイムズの1面)

首相がICU搬送

[ロンドン発]ボリス・ジョンソン首相が新型コロナウイルスに感染し、集中治療室(ICU)で治療を受けるイギリスの死者が8月4日時点で6万6000人を超え、欧州の中で最も多くなると米シアトルの健康統計・影響評価研究所(IHME)が予測しています。

コロナ第一波によるイギリスの死者数は欧州全体15万1000人の4割以上を占めるそうです。イギリスが当初、感染して抗体を持つようになった人が壁になって感染を防ぐ「集団免疫」論にとらわれ、ロックダウン(都市封鎖)するのが遅れたのが原因だとIHMEは指摘しています。

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日本の予測は含まれていませんでした。

社会的距離が死者を抑える

IHMEのクリストファー・マレー所長はこう語っています。「社会的距離が適切に実施され、維持されている場合は、流行を抑制し、死亡率を低下させることができるのは明白です。社会的距離や他の予防策を緩めると各国の死亡率の軌道は劇的に悪化します」

「第一波が強硬な社会的距離政策によって感染が制御されている場所で第二波を減らすには、広範囲なワクチン接種が可能になるまで、大量検査、濃厚接触者の追跡、隔離を検討する必要があります 」

死者の予測が471人と少ないポルトガルが不要不急のサービスを閉じたのが2月19日、その時の死者はゼロ。休校措置を取った3月16日は死者1人、外出禁止となった3月19日は死者4人でした。

これに対してイギリスは不要不急のサービスを閉じ、休校措置を講じたのが3月20日、その時の死者は177人。外出禁止措置をとったのは3月23日の時点で死者は335人。イギリスの人口はポルトガルの6倍以上ですが、公衆衛生的介入の遅れが犠牲を拡大させたのは明らかです。

IHMEのモデルによると、イギリスでは8月4日までに6万6314人の死者(最小1万4573人~最大21万9211人)が出ると予測。病院が一番逼迫するのは4月17日で、ICUベッドは2万3745床不足、全体の病床は8万5029床不足。人工呼吸器は2万862台必要になると予測しています。

英メディアによると現時点で使える人工呼吸器は約1万台だそうです。これに対して英政府専門家チームのインペリアル・カレッジ・ロンドンのニール・ファーガソン教授は「IHMEの医療需要の数値は実際の2倍で、イギリスには当てはまらない」と主張しています。

ファーガソン教授はこれまで、公衆衛生的介入措置が全くとられない場合はイギリスで26万人が死亡。ロックダウン(都市封鎖)によって犠牲者を2万人以下に減らすことができると述べていました。イギリス政府の対応を振り返っておきましょう。

イギリス政府の対応

3月3日、感染者51人、死者0人

ジョンソン首相が(1)封じ込め(2)遅延(3)研究(4)緩和の4段階からなる行動計画を発表。「ハッピーバースデーを2回歌いながら手を洗おう」と呼びかける。

3月9日、感染者321人、死者5人

ジョンソン首相が「遅延フェーズの準備に入る」と表明。

3月12日、感染者590人、死者10人

ジョンソン首相が「多くの家族が彼らの愛する人たちを失うことになる。熱や咳のみられる人は1週間自宅で自己隔離して」と呼びかけ。政府首席科学顧問が「集団免疫」に言及して世界中の批判を招く。休校や集会禁止の措置はとらず。

3月13日、感染者798人、死者11人

サッカーのイングランド・プレミアリーグが4月最初の週末まで全試合を中止

3月16日、感染者1543人、死者55人

ジョンソン首相はこの日から毎日記者会見。一転「生命を救い、人々を守る」決意を表明。(1)1人でも高熱か長く続く咳の症状があれば2週間、家族全員が自宅に留まる(2)市民全員に自宅勤務と、パブ・クラブ・レストラン・映画館・劇場を避ける(3)70歳以上の高齢者と妊婦、基礎疾患を持つ人に約12週間自宅待機する――よう要請。

インペリアル・カレッジ・ロンドンの専門家チームが、強硬な公衆衛生的介入がとられないと死者はイギリスで25万人、アメリカで110万~120万人に達するとの予測を公表。

3月18日、感染者2626人、死者104人

ジョンソン首相が20日から学校やカレッジ(中等・高等教育機関)、保育園の一斉休校に入ると発表。NHS病院では新型コロナウイルス・シフトが敷かれる。

3月20日、感染者3983人、死者177人

パブ、クラブ、レストランを閉鎖。全事業者に従業員の給与の80%(上限は1人当たり月2500ポンド)を政府が肩代わり

3月23日、感染者6650人、死者335人

ジョンソン首相が国家非常事態を宣言。生活必需品の購入や健康のための運動を除き原則、全国的に外出禁止令。違反者は警察が摘発。

EU離脱の影響か

新型コロナウイルス・パンデミックが終息するのはワクチンが開発されて広範囲に接種可能になるか、集団免疫を獲得するまで感染が広がるかしかありません。しかし都市封鎖など強硬な公衆衛生的介入をとらない限り、死者がどれだけ膨れ上がるのか想像もつきません。

イギリスが他の欧州諸国に比べて介入が遅れたのは欧州連合(EU)離脱の経済的影響に配慮して、できれば自粛要請で済ませたいという思惑が当初は働いていたからでしょうか。政府の対応は専門家チームが「25万人死亡」という不都合な真実を公表してから180度転換しました。

ジョンソン首相は今、ICUのベッドの上です。新型コロナウイルスに感染してICUに運び込まれた場合、生還率は半々です。回復できたとしても現場復帰までには2カ月かかるという専門家の声を英大衆紙は報じています。EU離脱にパンデミック、そして「政治の空白」という未曾有の危機がイギリスを襲っています。

強制力を伴わない日本の対応は十分か

安倍晋三首相は4月7日、7都府県を対象に緊急事態宣言を発令。日本は死者や重症・重篤者の増加率はまだ低いとはいえ、東京や神奈川、福岡の医療機関は感染者であふれています。中国や欧米の例を見るとできることは限られています。日本だけが例外ということはあり得ません。

(1)強硬な公衆衛生的介入をとる。休業を伴う場合、補償とセットでなければ実効性は期待できない(日本政府の対応:外出自粛要請。売り上げが減った中堅・中小法人に200万円、個人事業主に100万円支給)。

(2)ICUと人工呼吸器の確保。無症状や軽症の感染者は自宅療養やホテルなど他の施設で収容して病床を空ける(日本政府の対応:ホテルの協力で関東で1万室、関西で3000室を確保。民間の協力で臨時施設を建設)。

(3)感染者の治療に当たる医療従事者のゴーグル、N95マスク、防護服を確保。高齢者施設にも防護具を支給。

(4)韓国やドイツ並みに検査能力を拡大して、投網をかけるように無症状病原体保有者をあぶり出して隔離する。

(5)新型コロナウイルスの迅速検査キットやワクチン、治療法の開発を急ぐ(日本政府の対応:抗インフルエンザ薬「アビガン」の備蓄量を現在の3倍、200万人分まで拡大)。

安倍晋三首相は「東京都の感染者は今のペースが続けば2週間後には1万人、1カ月後には8万人を超える。人と人との接触機会を最低7割、極力8割削減することができれば2週間後には感染者の増加をピークアウトさせ、減少に転じさせられる」と記者会見で述べました。

外出自粛のお願いは5月6日までの1カ月限定です。欧米とは異なり、強制力は伴いません。お上に従順と言われる日本人ですが、緊急事態宣言の実効性がどの程度あるのかは、しばらく様子を見てみないと分かりません。

(おわり)