交渉期間が1年しか残されていない英国とEUのFTA交渉の行方を占ってみた

これからEUとのFTA交渉に臨むボリス・ジョンソン首相(写真:代表撮影/ロイター/アフロ)

[ロンドン発]欧州連合(EU)からの強硬離脱を主導するボリス・ジョンソン英首相が予想以上の地滑り的勝利を収めた総選挙から1週間。英議会で19日、エリザベス女王による開会式が開かれ、EU離脱関連法案を含む20以上の法案が読み上げられました。

ジョンソン首相の最重要課題は次の通りです。

(1)2020年末までに移行期間を終わらせ、EUから完全に離脱する

(2)国民の痛みを和らげるため、原則、税金と国民保険料で賄われている国民医療サービス(NHS)を拡充する

(3)社会的強者が社会的弱者を助けることによって、国を分断させるのではなく一体感を強めていこうという「ワン・ネーション・コンサーバティズム(一国保守主義)」を実践する

与党・保守党は先の総選挙で、事実上の過半数より45議席も多い365議席を獲得しました。英国の議会制度は「民主独裁」と呼ばれるほど、下院の過半数を制した政府に非常に強い権限が与えられています。過半数割れを喫したテリーザ・メイ前首相の時代と状況は一変しました。

英国とEUが今のところ一致しているのは無関税かつ輸入割当制のない自由貿易協定(FTA)を目指すことです。

【今後のスケジュール】

2019年12月20日、英下院でEU離脱協定書を承認。その後、欧州議会やEU加盟国議会で承認手続き

2020年1月31日、47年間加盟していた欧州連合(EU)から離脱。新たな通商協定をEUと交渉する移行期間に入るため、現状変更はほとんどなし

3月1日、EUが欧州委員会に交渉権限を委譲

6月、2020年末までの移行期間を最大2年間延長するか英・EU双方の合同委員会が判断

11月26日、欧州議会に新たな通商協定を提示

12月31日、移行期間が終了、EUとの新たな通商協定がまとまらなければ、EUが英国に対して域外関税を適用する「合意なき離脱」へ

2022年12月31日、移行期間が最大2年延長された場合の最終期限

(注)英紙フィナンシャル・タイムズを参考

ジョンソン首相がEUからの完全離脱を急ぐ理由は今後の交渉を有利にするためのブラフではありません。低賃金労働を強いられ、慈善団体から食料を分けてもらわなければ生活していけなくなった有権者が「EUに拠出金を払う余裕があるなら私たちに回せ」と激怒しているからです。

英国はEUに離脱清算金として328億ポンド(約4兆7100億円)を支払うことが決まっています。英国がEUに支払ってきた拠出金はネットで年110億ポンド(約1兆5800億円)。2020年末を越え拠出金をEUに払い続ければ、「離脱の完遂」を約束したジョンソン首相は有権者を裏切ってしまうことになります。

しかし英国の歳出は8649億ポンド(約124兆2400億円)なので、EUへの拠出金は約1.3%に過ぎないのです。英国が移行期間を延長するかどうかについて、内閣府の首席エコノミストを務めたことがある英大学キングス・カレッジ・ロンドンのジョナサン・ポルテス教授は筆者にこう話しました。

「2020年末を過ぎたら次の2年間は新しいルールを導入するための『実行期間』に入ることになるだろう。今と大きくは変わらない。政治的に移行期間という言葉は使えない。法的に移行期間を事実上延長するのは難しいが、合意なき離脱の壁を回避するため政治的にはそうすべきだ」

EU法を専門にするケンブリッジ大学のキャサリン・バーナード教授に「移行期間の事実上の延長」が可能なのか尋ねてみました。

「これまでの再三にわたる離脱期限の延長はEU条約50条(EU脱退を希望するEU加盟国のための手続き)を法的根拠に行われてきた。これは英国のEU離脱に伴って2020年1月31日に切れてしまうので、移行期間の延長手続きを取らずに事実上延長すると言っても法的根拠が必要だ」

「EUは法律に基づくシステムだ。最もあり得るのはEUと第三国の通商交渉のプロセスを定めたEU条約218条が適用されるシナリオ。移行期間の期限までに新たな通商協定で合意できない場合、期限を延長するため218条を新たな50条として使うことになる」

しかし218条は50条と違って、27のEU加盟国だけではなくベルギーにある7つの地方議会が発言権を持っています。英国にはこれまで以上の困難が待ち受けていると言えるでしょう。

行き当たりばったりに動いているようにしか見えないジョンソン首相ですが、これまで周囲から不可能と言われてきたことを正面突破してきたのも事実です。

・大幅に妥協してアイルランド国境問題を片付け、同国のレオ・バラッカー首相の信頼を勝ち取る。アイルランドと英・北アイルランド間の人・モノ・資本・サービスの自由移動は保障される

・EU離脱、英国との完全無欠な一体性と国境間の自由移動という無理難題を中央政府に押し付けてきた北アイルランドの地域政党・民主統一党(DUP)をばっさり切り捨てる

・EUが全面否定してきた離脱協定書の再交渉に応じ、「合意なき離脱」になってもアイルランドと北アイルランド間に目に見える国境は復活させないというバックストップ(安全策)を全面的に取り除く

・EU離脱の基本方針について初めて下院の承認を得る

・総選挙でこれまで保守党に投票したことがない労働党支持者の支持を集め、保守党としては1987年のマーガレット・サッチャー首相以来の地滑り的勝利を収める

・強硬離脱派を抱き込んで当事者意識を持たせたため、やりたい放題だった強硬離脱派も政策に責任を持たなければならなくなった

ジョンソン首相はアングロサクソン経済圏のアメリカ、オーストラリア、ニュージーランドと同時並行でEUとFTA交渉を進める見通しです。英国全土に10のフリーポート(保税港)を設けるとも宣言しています。

ジョンソン首相がアイルランドとの関係を優先した背景には英国の対アイルランド貿易は黒字であることも大きな要因だと筆者は見ています。対アメリカ、オーストラリア、ニュージーランド貿易も英国の黒字です。

これに対して対EUは最大の貿易相手ですが、大赤字。輸出品の7割近くが中間財です。英国とEUの交渉は次のようになると筆者は見ています。

・無関税

・輸入割当は設けない

・原産地証明はEUに合わせる

・保税港を活用して通関手続きの摩擦を可能な限り減らす

・英国は環境・労働者・消費者保護、政府補助についてEUを上回る基準を目指す

・EUの規制と同等と見なされる規制レベルを維持し、EUへのアクセスをできる限り確保する(同等性評価)

・輸送、エネルギー、警察・司法協力、安全保障、公共調達のルールはそのまま継続する

最大の難関と見られる漁業について、バーナード教授は「英国で獲っている鮮魚の大半がEUに輸出され、英国で食べている鮮魚の大半がEUから輸入されている。だから貿易交渉で合意する相互利益が存在する」と解説しています。

英国のEU離脱には本当に様々な側面があり、一言で説明することはできません。英国は人の自由移動を管理する権限や課税自主権、すなわち主権を取り戻します。しかしEUへのアクセスを確保しようと思えば、EUの基準やルールに合わせるしかないのが現実です。

(おわり)