メイ首相が議会採決を延期 それでも英国がEUを離脱しなければならない理由とは
欧州連合(EU)と英国が合意した離脱協定書について、テリーザ・メイ首相は12月10日、翌11日に予定していた英下院での採決をドタキャンし、延期しました。与党・保守党内から大量造反が出て、大差で否決される見通しが確実になったためです。
下院で承認を得るには320票が必要です。メイ政権の基礎票は324票ですが、北アイルランドの地域政党・民主統一党(DUP)10人、保守党内のEU残留派最大16人、強硬離脱(ハードブレグジット)派40~80人がメイ首相の合意を不服としています。
来年4月以降に始まる通商協定の交渉が決裂した場合、北アイルランドとアイルランド間に「目に見える国境」が復活するのを避けるため、英国全体が暫定的にEU関税同盟に留まり、北アイルランドはEU単一市場の大半のルールに従うバックストップ(安全策)が設けられました。
このバックストップは英国、EU双方の合意がなければ撤回できないため、英国を永遠にEUの軛(くびき)に繋ぎ止める鎖になると強硬離脱派がメイ首相にEUと再交渉するよう激しく求めています。
メイ首相は「議会承認のデッドラインは1月21日」と述べ、時間稼ぎに出ました。メイ首相の合意が議会で承認されるか否か、誰にも予想がつきません。12月13、14日、ブリュッセルでEU首脳会議が開かれ、善後策を協議しますが、EUがバックストップで譲歩する可能性はゼロです。
EUから新提案があったとしても、2年前の離脱決定を撤回するための2回目の国民投票実施か、ノルウェーのように欧州経済領域(EEA)に入りEU単一市場のルールに従うといった英国のEU離脱派にとってはさらに受け入れがたい内容になるでしょう。
何が問題になっているのかと言うと、モノの貿易についてEU関税同盟・単一市場と同じルールをつくり、EUと自由貿易圏を構築するというメイ首相の合意に保守党内の強硬離脱派とEU残留派が反対。英下院は最大グループの残留派、メイ首相の穏健離脱(ソフトブレグジット)派、強硬離脱派に三分しています。
世論調査でも今や残留派が53%を占め、議会も、世論もEU残留が多数派になっています。それに加えて、欧州司法裁判所(ECJ)が10日、英国はEU加盟国の同意なしにEU離脱を取り消せるとの判断を下したため、残留派が一気に勢いを増しました。
これには筆者もびっくりしました。英政府やEUはこれまで離脱プロセスを止めるためには双方の合意が必要と説明してきたからです。
英国永住者の筆者はEU残留派です。元内閣府首席エコノミストでキングス・カレッジ・ロンドンのジョナサン・ポルテ教授によると、1人当たりの国内総生産(GDP)はメイ首相の合意で5.5%、「合意なき離脱」で8.7%下がります。財政への影響はGDP比でマイナス1.8~3.1%です。
EU離脱は経済的には全く良くありません。ボリス・ジョンソン前外相ら強硬離脱派は自由貿易協定(FTA)によるバラ色の未来を描きますが、EU関税同盟・単一市場から離脱してまで米国や日本とFTAを結ぶメリットはほとんどありません。日本に関しては日EU経済連携協定(EPA)が来年2月に発効します。
英国の貿易を見ておきましょう。
【輸出】5475億ポンド
EU 2358億ポンド(43%)
米国 996億ポンド(18%)
中国 168億ポンド(3%)
日本 125億ポンド(2%)
【輸入】5905億ポンド
EU 3180億ポンド(54%)
米国 663億ポンド(11%)
中国 423億ポンド(7%)
日本 115億ポンド(2%)
英国の貿易は、減ったとは言え、まだまだ対EUが中心です。それでもEU全体の状況を見渡した時、英国がEUを離脱するのは同国にとって決して間違った選択ではないと思います。
グローバリゼーションやEUという名のネオリベラリズム(新自由主義)が広げた格差の痛みを和らげるため、英政府は、労働者が最低限の生活を維持するために必要な生計費から算定した法定生活賃金を導入してボトムアップの経済成長を目指しています。
EUの労働力人口(15~74歳)は2億4579万人、このうち失業者は1877万9000人です。労働市場を開いたまま、英国が法定生活賃金を上げていくとどうなるでしょう。EU域内の失業者や低賃金労働者がより良い収入を求めて英国に殺到してくる恐れが十分にあります。
「合意なき離脱」は英国だけでなく、EU側も被るダメージが大きく、絶対に避けたいシナリオです。「合意なき離脱」が英下院で承認される可能性は皆無で、その場合は欧州司法裁判所の判断に基づき、英国がリスボン条約50条に基づく離脱プロセスを一方的に撤回することになるでしょう。
しかしEU残留が筆者のような英国永住者や在英日系企業にとってハッピーエンドかというとそうでもありません。
2年前のEU残留・離脱を決める国民投票を実施したのも保守党なら、有権者の離脱決定に基づきEUとの離脱交渉を主導したのも保守党です。だから、EUから離脱できなかったとなると、保守党政権を継続する正当性がなくなってしまいます。
その場合は憲政の常道にならって解散・総選挙で民意を問うべきでしょう。そうすると労働党のジェレミー・コービン党首が首相になる可能性が浮上してきます。コービン労働党の党員数は19万人から昨年12月時点で56万4000人を突破し、党員数では欧州最大となりました。
片や保守党は12万4000人(推定)と低迷、党員の高齢化が進んでいます。総選挙になると、労働党が勝つ可能性が十分あります。
コービン党首は筋金入りの強硬左派。彼の唱える政策には注目すべき点もあるのですが、日本共産党もビックリするほど左巻きです。コービン政権が誕生してマニフェスト(政権公約)通りの新社会主義政策を実施すると外資系企業の撤退、縮小が相次ぐのは避けられないでしょう。
メイ首相の合意は(1)英国・EU間の「人の自由移動」は終結(2)アイルランドとの間に「目に見える国境」は復活させない(3)自動車メーカーなど製造業のサプライチェーンを寸断しないようEU離脱後も財については事実上、無関税で障壁のない自由貿易圏を維持――する3本柱。
これに対してジョンソン前外相ら保守党内の強硬離脱派はEU・カナダ包括的貿易投資協定(CETA)型に上乗せする自由貿易協定(スーパー・カナダ型FTA)の締結を主張。ドナルド・トランプ米大統領は「メイ首相の合意では離脱後に英国が米国とFTAを結べるかはっきりしない」とメイ首相を突き放しました。
「隠れ離脱派」と目される労働党のコービン党首は関税同盟への残留を唱えていますが、党内の意見が割れているため、明確な離脱案を掲げない「あいまい戦略」をとっています。
筆者はメイ首相の合意が承認される可能性は僅かだが残っていると読んでいます。保守党がこのまま仲間割れを続けると、労働党に政権を奪われてしまう恐れがあります。このため保守党内の強硬離脱派も最終的に現実的な判断をせざるを得ないと考えるからです。
(おわり)