今さら聞けないイギリスのEU離脱「泥沼の離婚劇」が始まった
欧州連合(EU)からの離脱を52%対48%で選択した昨年の国民投票から9カ月余、イギリスの首相メイは29日、離脱交渉の開始を告げる書簡をトゥスクEU大統領(首脳会議の常任議長)に送りました。イギリスは人・モノ・資本・サービスの自由移動を認めたEUの単一市場からだけでなく関税同盟からも離脱する方針です。
新しい自由貿易協定(FTA)をEUと結べても結べなくてもEU基本法(リスボン条約)50条に基づきイギリスは2年後にはEUから出ていくことになります。EUから加盟国が出ていくのは初めて。イギリスのEU離脱(ブレグジット)の行方はどうなるのでしょう。
すべてはドイツ総選挙の結果次第だ
まず英BBC放送から今後の欧州の政治日程を見ておきましょう。
2017年
3月29日、イギリスがEUのトゥスク大統領に正式に離脱交渉の開始を通告
4月23日、フランス大統領選第1回投票、EU離脱国民投票の実施を公約にする右翼ナショナリスト政党「国民戦線」党首マリーヌ・ルペンと中道政治運動「前進!」の前経済産業デジタル相エマニュエル・マクロンが決選投票に進む見通し
4月29日、イギリスを除く27カ国でEU首脳会議を開催。欧州委員会にイギリスとの交渉を任せることで合意へ
5月7日、フランス大統領選の決選投票。世論調査の結果通りマクロンが勝てば、ブレグジット交渉はイギリスにとって厳しくなる。ルペン大統領が勝てばEUは崩壊に向かう恐れ
5~6月、離脱交渉の開始
9月24日、ドイツ総選挙で首相メルケル率いるキリスト教民主・社会同盟(CDU・CSU)が4選を果たすかどうかが最大のポイント。ライバルの社会民主党(SPD)は前欧州議会議長シュルツが党首になってからメルケルを追撃するが、3月26日のドイツ南西部ザールラント州議会選ではCDUが勝利を収める
秋、メイ政権がEUを離脱してすべてのEU法を国内法に落とし込む法整備に着手
2018年
10月、離脱交渉を終了
10月~、イギリス議会、EU首脳会議、欧州議会がイギリスとEUの離脱交渉の結果について採決を行う
2019年
3月、イギリスがEUから離脱
フランス大統領選でルペン大統領が誕生する可能性は完全には否定できないものの、アメリカのトランプ大統領の誕生で親EU派の危機感は予想以上に強まっています。今のところ、ルペンが善戦しても勝利するのは難しそうです。すべてはドイツ総選挙の結果次第で、ドイツの政権が固まらないことには何一つ決まらないのがEUです。
最大のポイントは移民制限だ
イギリスが国民投票で離脱を選択した最大の理由は、EU移民の流入数を全くコントロールできなかったからです。「経済」より自分たちの未来を自分たちで決める「主権」を選んだわけです。この9カ月間でイギリスへの移民数がどのように変わったのかをまず見ておきましょう。
16年9月までの1年間で移民の純増数は前年同期に比べて4万9千人減の約27万3千人に落ち着いてきています。内訳はEU移民が16万5千人増、EU域外からの移民が16万4千人増とほぼ同じぐらいです。移民制限という点では、すでに離脱効果は現れてきています。
15年Q4(10~12月)と16年Q4を比較した雇用増で見ると、EU移民が19万人、EU域外の移民が4万2千人、イギリス国民は7万人でした。
新規加盟国が増えるたびにEU移民の流入数が増えています。07年EUに加盟したルーマニア、ブルガリア移民の就業制限が解除された14年以降、両国からイギリスへの移民が増えていることが分かります。また欧州債務危機が悪化してからは初期加盟国からの移民も急増しています。
ブレグジットの行方
ブレグジットによってイギリスや残されたEU27カ国の経済が良くなるとは考えにくいでしょう。これまで単一市場の中でイギリスとEUは自由な財とサービスの貿易がもたらす利益をお互いに享受してきました。
ブレグジットの悪影響を避けるためには、双方が合意できないところを除いてこれまで通りの経済活動を継続することが一番良いのですが、ドーバー海峡を挟んだ愛憎関係はそんなに簡単には割り切れません。
繰り返しになりますが、すべてはドイツ次第なのです。もしメルケル政権が継続した場合、ドイツはどう出るのでしょう。メルケルの右腕である財務相ショイブレが英紙フィナンシャル・タイムズのインタビューに答えています。
「私たちにはイギリスを罰することに何の利益もない。しかしイギリスとの関係のために欧州の統合を危機に追いやることに何の利益もない」「だからこそ私たちの最優先課題は寂しいけれどもイギリスなきあとの欧州の結束を可能な限り緊密にすることです」
600億ユーロの離脱清算金
イギリスの離脱によってEUも大きな打撃を受けます。「人口の8分の1、域内GDP(国内総生産)の6分の1、核兵器の半分、国連安全保障理事会常任理事国ポスト」(ニュー・レフト・レビュー編集長スーザン・ワトキンス)を失ってしまうのです。
イギリスに甘い顔を見せたら、欧州懐疑派がさらに勢いづき欧州の結束をほころばせ、他の加盟国も国民投票を実施してEUを離脱する恐れがあります。イギリスから取れるものを取ってEUから放り出してやれという強硬論が、これまでイギリスと敵対してきた連邦主義者ユンケル率いる欧州委員会では強まっているのです。
その象徴が首席交渉官であるフランス出身のミシェル・バルニエがイギリスに突きつけた600億ユーロもの「離脱清算金」です。15年のEUへの純貢献額ではイギリスは140億ユーロでドイツに次いで2番目に多いのです。EUはイギリスの抜けた穴を埋めるのが難しい状況です。
しかし根拠のない600億ユーロを突きつけられ、「離脱清算金」を支払わなければ新しいFTA交渉に入らないと脅されても、イギリス上院の委員会は「離脱清算金を支払う法的義務はない」と指摘し、有権者も「どうして払わないといけないの」と猛反発しています。
バラバラになるイギリス?
メイの離脱通告を受けて、スコットランド自治政府首相スタージョンは2回目の独立住民投票を実施するというギャンブルに打って出ました。これがスコットランド独立の最後のチャンスだとスタージョンとスコットランド民族党(SNP)は決断したわけです。
住民投票を実施するか否かの最終決定権はメイにあり、何とか離脱交渉終了後に先送りできないか、必死の抵抗を試みるでしょう。一方、スタージョンはイギリスがEUを離脱する前に住民投票を行う考えです。
スコットランド独立問題に詳しいユニバーシティ・カレッジ・ロンドンのロバート・ヘーゼル教授は筆者に次のように解説しました。
「スタージョンは非常に如才のない政治家です。彼女は2つのことをしようとしています。SNPの春の党大会に備えること。党内で住民投票への圧力を高め、メイ政権に向けることです。スタージョンはハードブレグジット(単一市場からも離脱)に傾いたメイ政権をソフトブレグジット(単一市場に残留)に引き戻すことを望んでいます」
「昨年6月のEU国民投票を見れば分かるように、住民投票は理性ではなく感情に限りなく影響されます。スタージョンはメイがスコットランドを敵に回すことを期待しています。2回目の住民投票に歯止めをかけようとメイがスコットランドの民意と対立すればするほど、スタージョンとSNPが望む独立へのエネルギーは高まることになるでしょう」
イギリス対EU、スコットランド対イギリスという分裂反応が連鎖すれば、イギリスは解体に追い込まれるでしょう。感情の対立が引き起こしたブレグジットの海図なき航海がいよいよ始まりました。
(おわり)