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マリー追う錦織圭のテニス世界一への道

木村正人在英国際ジャーナリスト
錦織選手がマリー選手を追い越す日は(リオ五輪男子シングルス)(写真:REX FEATURES/アフロ)

男子テニスのアンディ・マリー選手(英国)がマスターズ・パリ大会のシングルスで決勝進出を決め、7日付で発表される最新の世界ランキングで初めて1位になるそうです。ノバク・ジョコビッチ選手(セルビア)は2014年7月から守ってきた世界一の座を明け渡しました。1973年にコンピューターによる現行ランキング制度が導入されてから英国人選手が世界一になるのは初めてだそうです。

ジュディーさんのツィート
ジュディーさんのツィート

マリー選手の母親、ジュディーさんは自らのツイッターに子供の頃一緒にテニスを練習している写真を投稿し「ベイビー、本当に長い道を来たわね」と感慨深くツィートしました。

今年の全米オープン準々決勝でマリー選手を3-2で破った錦織圭選手(日本)とATPランキングを比較してみました。29歳のマリー選手に比べて錦織選手は26歳と3歳も若く、ここ数年内に世界一に手が届くことが分かります。しかしマリー選手が現在の錦織選手のランキングと同じ世界4位になったのは2008年9月です。世界一に上り詰めるまで実に8年以上の歳月がかかっています。

出所:ATPデータをもとに筆者作成
出所:ATPデータをもとに筆者作成

筆者は08年から4年間、ウィンブルドン選手権のセンターコートで取材したことがあるので、トップ4に入ってからランキングを一つ上げるのがどれだけ大変かを知っています。当時はセンターコートの貴公子ロジャー・フェデラー選手(スイス)、野生児ラファエル・ナダル選手(スペイン)の全盛期、それに加えてサイボーグのように強靭で正確なジョコビッチ選手がいました。

マリー選手のテニスが変わったのは12年、イワン・レンドル氏(チェコスロバキア出身)をコーチに招いてからです。レンドル氏はビョルン・ボルグ、ジミー・コナーズ、ジョン・マッケンローといった強力なライバルとの激闘の末、四大大会8勝を成し遂げました。レンドル氏には、フェデラー、ナダル、ジョコビッチ各選手の壁をなかなか破れないマリー選手の苦悩を理解できました。

それまでのマリー選手は才能に恵まれながらも、ここぞという時に突然、崩れて自滅するパターンを繰り返していました。マリー選手は8歳のとき、通っていたスコットランド・ダンブレーンの小学校で無職の男が銃を乱射して、児童16人と教師1人を殺害、そのあと自殺する事件に遭遇します。マリー選手は校長室の机の下に隠れて、助かりました。

友だちが殺され、マリー選手も犠牲者の1人になっていてもおかしくありませんでした。そして10歳のとき、両親が離婚します。

マリー選手は大人になってからも事件について語りたがりませんでしたが、13年に放映された英BBC放送のドキュメンタリーで事件を振り返りました。マリー選手は感情を抑え切れず、涙を浮かべて自分の気持ちを素直に語りました。

スコットランド出身のマリー選手は06年サッカー・ワールドカップにスコットランド代表が出場しないことをからかわれて「イングランド代表以外のチームならどこでも応援する」と発言、英国メディアから総スカンを食ったことがあります。心の弱さから挑発に乗りやすく、意地の悪い英国メディアの餌食にされることが多かったのです。

マリー選手の繊細で壊れやすい内面はおそらく子供の頃の喪失体験に由来していたのでしょう。10年、全豪オープン決勝でフェデラー選手に負け「僕はフェデラーのように泣くことはできても、彼のようにはプレーできない」と涙をこぼしました。テニス選手はよく泣きます。フェデラー選手もナダル選手に負けて「神様が私を殺しつつある」と泣いたことがあります。

12年のウィンブルドン選手権決勝でフェデラー選手に歯が立たなかったマリー選手は「ウィンブルドンで優勝するのはそんなに簡単なことではない」と再び涙をこぼしました。言葉数の少なさが誤解の原因になっていたマリー選手は自分のありのままの姿を見せることでファンの心を引きつけ、次第に強くなってきます。

直後に行われたロンドン五輪男子シングルスで金メダルを獲得してから、マリー選手の弱気はすっかり影を潜めました。素晴らしいサービス、ストロークを持ちながら自滅することが多かったマリー選手は精神的な弱さを完全に克服しました。

五輪金メダル後の12年全米オープン。スコットランド地方出身のマンチェスター・ユナイテッドのアレックス・ファーガソン監督(当時)、映画俳優のショーン・コネリー氏も記者会見に駆けつけ、マリー選手は四大大会で初めての優勝を飾ります。

マリー選手は13年7月のウィンブルドン選手権でジョコビッチ選手をストレートで下して、英国人選手としては1936年のフレッド・ペリー以来77年ぶりの優勝を果たしました。今年もウィンブルドン選手権で優勝、リオ五輪男子シングルスで金メダルと大活躍しています。マリー選手の大好物はスシ。ウィンブルドンではアイスクーラーにスシを入れて持参することでも有名で、1度に50個はたいらげるそうです。

すごい食欲ですね。

錦織選手は08年、全盛期のナダル選手から1セットを奪ってポテンシャルの高さを示しました。スケールの大きい錦織選手はこのまま順調に行けば世界一になるのはほぼ間違いないのではないでしょうか。

(おわり)

在英国際ジャーナリスト

在ロンドン国際ジャーナリスト(元産経新聞ロンドン支局長)。憲法改正(元慶応大学法科大学院非常勤講師)や国際政治、安全保障、欧州経済に詳しい。産経新聞大阪社会部・神戸支局で16年間、事件記者をした後、政治部・外信部のデスクも経験。2002~03年、米コロンビア大学東アジア研究所客員研究員。著書に『EU崩壊』『見えない世界戦争「サイバー戦」最新報告』(いずれも新潮新書)。masakimu50@gmail.com

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