Yahoo!ニュース

「ゼロ・グラビティ」アカデミー賞7冠 3つの秘密

木村正人在英国際ジャーナリスト

米映画界最大の祭典、第86回アカデミー賞の授賞式が2日(現地時間)ハリウッドで行われ、作品賞は「それでも夜は明ける」が受賞、「ゼロ・グラビティ」が監督賞を含め7冠に輝いた。

「ゼロ・グラビティ」はスペースシャトルの船外で活動中のジョージ・クルーニーとサンドラ・ブロックの2人が事故で宇宙空間に放り出されてしまうストーリー。

クルーニーとブロックの表情以外はすべて特撮という3D映画だ。筆者もロンドンの映画館に観に行ったが、次から次へと危機が襲ってくる展開にハラハラ、ドキドキのし通しだった。

1977年公開の「スター・ウォーズ」を上回る衝撃、新しい映画の到来を実感させる作品だが、「ゼロ・グラビティ」が英国映画と聞いたとき、正直言ってビックリした。

クルーニーもブロックも米国人という設定、中国の宇宙船も出てくるが、映画の中には英国のかけらも出てこない。英国は1970年代に早々と独自の宇宙開発からは撤退している。

日常生活ではデジタル放送も満足に受信できずにTV画面はモザイク状態、電話回線は雑音だらけの英国で、最先端のコンピューターグラフィック(CG)を駆使した宇宙映画が制作できるなんて。

特撮を担当した「フレームストア」は1986年にロンドンで設立された欧州最大のCG制作会社だ。魔法使いの「ハリー・ポッター」シリーズ、「ナルニア国物語」、「戦火の馬」も手掛けた。

英国映画がハリウッド映画に負けない活躍をしている舞台裏には、サッチャー改革以降、「脱工業化社会」に向けて真っ先に走りだした英国のしたたかな3つの国家戦略がある。

(1)映画制作の税制優遇措置

英国映画協会(BFI)によると、2007年1月以降、劇場公開を想定した英国映画または、総経費のうち25%を英国で使って映画を制作した映画製作会社は税控除が受けられる仕組みが導入された。

大雑把にいうと、主要経費が2千万ポンド(約33億9千万円)以下の場合、25%の税還付が受けられる。2千万ポンド以上の場合は、税還付は20%。米国で制作するより英国で作ったほうが38%も安くつくという。

おかげで英国での映画の制作費総額は昨年、10億ポンド(1690億円)に達した。前年比14%増という急成長ぶりだ。

「ケチケチ財政」で国民には不人気のオズボーン英財務相は、英国は金融業だけでもっているわけではないと上機嫌だ。

特撮映画の場合、総経費のうち10%を英国で使えば税控除を申請できるように優遇措置を拡大する方針だ。同じような税制優遇措置を採用しているカナダに負けないようにするためだ。

(2)多文化の強み

「ゼロ・グラビティ」のアルフォンソ・キュアロン監督(52)はアカデミー賞の前哨戦となる英国アカデミー賞(BAFTA)で作品賞、監督賞など6冠に輝いた際、「移民制限に対して、いい例を示すことになると思う」と話した。

キュアロン監督はメキシコ市出身の移民だが、ロンドンで長く暮らしている。映画制作にとって税制優遇以上に大切なのは才能の多様性と多文化だという痛烈な皮肉がコメントには込められていた。

英国は04年の欧州連合(EU)拡大(25カ国)で移民受け入れを積極的に進めた。しかし、08年の世界金融危機で景気が後退、財政が逼迫すると一転して、出稼ぎ移民に対する風当たりが厳しくなった。

キャメロン英政権は移民の純増を毎年10万人までに抑えると宣言。今年1月から、ルーマニアやブルガリアからの労働者が英国内で働けるようになったため、移民監視団体は毎年計5万人が流入すると予測する。

5月の欧州議会選や来年の英総選挙に向け、EUからの離脱を主張する英国独立党(UKIP)に負けじと、キャメロン首相の保守党も移民規制の強化を唱えている。

先進国は新興国に激しく追い上げられ、グローバル化や経済統合にうんざりし始めている。多様性と多文化の道を突き進むのか、それとも前世紀の国民国家のノスタルジーに浸るのか、先進国は重大な岐路に立たされている。

「ゼロ・グラビティ」とキュアロン監督の成功はその意味で一つの方向性を明示したといえる。

(3)自由と独立の精神

09年の第81回アカデミー賞で作品賞を含む8部門に輝いた「スラムドッグ$ミリオネア」も英国映画。米国映画の平均制作費は5千万ドル(約50億円)といわれるが、「スラムドッグ$ミリオネア」は約3割の1500万ドル(約15億円)だった。

英映画配給会社「パセUK」のキャメロン・マクラカン社長は当時、筆者に「ハリウッド映画は商業主義に傾き過ぎており、歴史や多文化主義が息づく英国映画にも別の味わいをアピールするチャンスがある」と話してくれた。

英国映画協会は毎年、宝くじの売上金から2600万ポンド(44億円)を投資して、独立系の映画プロダクションやその活動を支えてきた。17年までに投資枠を3千万ポンド(約50億円)に拡大する。こうした枠組みが英映画産業の裾野を広げている。

英映画産業も第二次大戦後、TVの台頭で長い間、映画館に閑古鳥が鳴くという悲哀を味わった。しかし、映画人と英国映画協会の情熱と工夫、政府の後押しもあって、見事に息を吹き返し、ハリウッドに負けない大輪の花を咲かせた。

ただ、税制優遇でハリウッド映画も英国に流れ込み、英国で育った映画への出資が昨年は前年に比べ38%も減るという弊害も指摘されている。映画産業でも「ウィンブルドン現象」が始まったのだ。

英国の国家戦略はヒト・モノ・カネのうちヒトとカネを呼び込もうという「オープン・プラットフォーム」の上に築かれている。これが「大躍進」になるのか、「自国産業の崩壊」をもたらすのか。

オープンにしなくても国際競争力を失えば、グローバル化の時代、あっという間に「負け組」に転落してしまう。

ヒトとカネの流れを自らシャットアウトして、頼みのモノも海外で売れなくなって出口を失った日本の「鎖国型プラットフォーム」と英国の考え方には大きな違いがある。

同じ島国でも、どうしてここまで違うのか。日本から流れてくるニュースは連日、「靖国」と「従軍慰安婦」ばかりである。これも国家指導者の視野狭窄症が原因なのか。本当に頭が痛くなる。

(おわり)

在英国際ジャーナリスト

在ロンドン国際ジャーナリスト(元産経新聞ロンドン支局長)。憲法改正(元慶応大学法科大学院非常勤講師)や国際政治、安全保障、欧州経済に詳しい。産経新聞大阪社会部・神戸支局で16年間、事件記者をした後、政治部・外信部のデスクも経験。2002~03年、米コロンビア大学東アジア研究所客員研究員。著書に『EU崩壊』『見えない世界戦争「サイバー戦」最新報告』(いずれも新潮新書)。masakimu50@gmail.com

木村正人の最近の記事