Yahoo!ニュース

安倍首相の靖国参拝が問う「戦争と平和」

木村正人在英国際ジャーナリスト

「2020年には憲法改正済み」

政権発足1年に合わせて靖国神社を参拝した安倍晋三首相は年頭所感で「相互依存を深める世界において、内向きな発想では、もはや日本の平和を守ることはできません」「国民の生命と財産、日本の領土・領海・領空は、断固として守り抜く。そのための基盤を整えてまいります」と表明した。

その中心をなすのが「世界の平和と安定に積極的な役割を果たす積極的平和主義」だという。筆者は、集団的自衛権行使の限定的容認、現実にそぐわなくなった日本国憲法の9条や緊急事態に関する部分改正は必要だと考えている。

安倍首相は「東京五輪が開かれる2020年、どんな未来が待っているのか」という産経新聞の新春アンケートに、「憲法は改正済みになっている」と答えた。どんな憲法改正になるのか、尖閣諸島をめぐる中国との緊張が大きな影響を持つのは避けられないだろう。

駐英中国大使「靖国はヴォルデモートの分霊箱」

これに対して、中国の劉暁明・駐英大使が保守系の英高級紙デーリー・テレグラフ(電子版、1日夜)に「中国と英国は連帯して先の大戦に勝利した。侵略の過去を否認する日本は、世界平和への深刻な脅威になっている」と寄稿した。

国際都市ロンドンには世界中のメディアが集まる。英語で書かれたインターネット上のコンテンツは全体の55%強といわれる。2008年の北京五輪開催時、チベット弾圧で世界中の批判を浴びた中国はロンドンからの情報発信にも力を入れている。

劉大使は魔法使いの人気映画シリーズ「ハリー・ポッター」の悪役ヴォルデモートを例に引き、「魂を分割した7つの分霊箱(ホークラックス)を破壊され、ヴォルデモートは死んだ。軍国主義が日本のヴォルデモートのようなものなら、靖国神社は、国家精神の最も暗い部分を体現する分霊箱のようなものだ」と訴える。

さらに、生物兵器を開発していた731部隊を連想させる「731」の番号がふられた自衛隊練習機に安倍首相が試乗、麻生太郎副首相兼財務相が憲法改正と絡め「ヒトラー」を引き合いにしたことを蒸し返し、「安倍首相は地域の緊張を高め、日本の軍国主義を復活させるため都合の良い口実をつくり出そうと中国脅威論をあおり立てている」と非難した。

一方、英紙フィナンシャル・タイムズのアジア担当部長、デービッド・ピリング記者は、安倍首相の靖国参拝について「靖国参拝をしないことが中国や韓国の感情をやわらげるのに十分ではないとしても、最低限、ある種の誠実さを示すことにはなるだろう」と書く。

また、米紙ニューヨーク・タイムズ(電子版)は年末に「日本のナショナリズム」と題して風刺画を掲載し、ナショナリズムと書かれたスプリング付きの遊具で跳ね回る安倍首相が2014年に歴史的な地雷原に踏み込む危険性を描く。

安倍首相の靖国参拝をめぐる情報戦は今のところ中国が圧倒的な勝利を収めている。

国際政治の冷徹な現実

しかし、南シナ海や東シナ海の緊張を生み出しているのは中国の拡張主義で、日本の首相が安倍首相でなくても尖閣をめぐる緊張は増していたはずだ。尖閣問題では日本が「何とか現状維持を」と受け身の努力を続けているのに対して、中国が膨張する軍事力を背景に地域の「現状変更」を迫っているからだ。

意外だったのは、いつもは日本に厳しい見方を示している英紙ガーディアン(電子版、1日夕)の外交コラムニスト、サイモン・ティスダル記者が「拡大する中国の軍事力。誰が東アジアの未来のカギを握るのか」という冷静な情勢分析を掲載したことだ。

ティスダル記者は中国の国防費が1989年以来、毎年2桁ずつ膨張し、尖閣を含む東シナ海上空に一方的に防空識別圏(ADIZ)を設定したことを指摘。「中国の習近平国家主席が自らの改革から反対勢力の批判をそらすため、日本と対立するリスクを進んでとるかもしれない」という専門家の分析を紹介している。

習主席と同じように強硬派の安倍首相は防衛費を増やし米国から最新兵器を購入する計画を立て、国家安全保障会議(日本版NSC)を新設。同じように中国と領土問題を抱えるフィリピンとの関係を強化していると紹介している。

ティスダル記者は、習主席と安倍首相に加えて、オバマ米大統領が2014年のカギを握ると指摘。「尖閣問題が日中間で軍事衝突に発展したときオバマ大統領は果たして日本側に着くのか、おそらく2014年はオバマ大統領の真剣さが問われることになる」との懸念を示している。

シリア軍事介入をめぐって窮地に追い込まれ、プーチン露大統領の助け舟に飛び乗ったオバマ大統領の優柔不断、「米国は世界の警察官ではない」とまで発言した弱さが習主席の冒険主義を誘発する恐れは否定できない。皮肉なことに、世界最大の軍事大国・米国の最大の債権国は、尖閣をはさんでにらみ合う中国と日本である。

安倍首相の靖国参拝が、地域の緊張を高めて力づくで現状を変更しようとする中国に新たな口実を与えないか。安倍首相の靖国参拝を牽制してきた米国に対して、今回の参拝はどんなシグナルを送ったのか。オバマ大統領の「弱腰」を見透かし、習主席が次にどんな手を打ってくるのか。

オバマ大統領の「日米同盟をヘッジ(保険)にして、中国が現行の国際秩序の枠内で平和的に台頭することを促す」アジア回帰戦略は、中国が経済的にも軍事的にも米国を追い抜けば、領土や国際秩序の変更に動いたとき誰も止めることができないという矛盾をはらんでいる。

米国を驚かした防空識別圏の設定も中国にとっては長期戦略の1つにすぎない。軍事力で日米同盟が圧倒的優位に立つ今、中国が実力行使に出てくる可能性はガーディアン紙の見立てとは異なり低いように筆者には見える。

しかし、これまで「戦争と和解」という歴史認識として語られてきた靖国参拝を「戦争と平和」という現実問題としてとらえ直さなければならないほど事態が緊迫しているのは間違いない。

(おわり)

在英国際ジャーナリスト

在ロンドン国際ジャーナリスト(元産経新聞ロンドン支局長)。憲法改正(元慶応大学法科大学院非常勤講師)や国際政治、安全保障、欧州経済に詳しい。産経新聞大阪社会部・神戸支局で16年間、事件記者をした後、政治部・外信部のデスクも経験。2002~03年、米コロンビア大学東アジア研究所客員研究員。著書に『EU崩壊』『見えない世界戦争「サイバー戦」最新報告』(いずれも新潮新書)。masakimu50@gmail.com

木村正人の最近の記事