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北方領土交渉は進展しない プーチン露大統領のアジア政策

木村正人在英国際ジャーナリスト

「進展に向け協議」の意味

安倍晋三首相は7日、訪問先のインドネシア・バリ島でロシアのプーチン大統領と会談し、北方領土交渉の進展に向けて協議を継続する方針を確認した。11月には両国にとって初の外務・防衛閣僚級協議(2プラス2)が開かれる。

両首脳の会談は今年4月末以降、4回目。欧州のシンクタンク、欧州外交評議会(ECFR、本部・ロンドン)で8日講演したロシアの外交専門誌「世界政治の中のロシア」編集長、フョードル・ルキヤノフ外交・防衛政策会議議長に「北方領土問題は棚上げされているのか、それとも交渉のテーブルに乗っているのか」と質問してみた。

ルキヤノフ外交・防衛政策会議議長(筆者撮影)
ルキヤノフ外交・防衛政策会議議長(筆者撮影)

「北方領土問題はロシアにとってそれほど重要ではない。しかし、中期的には日露両国は北方領土問題が暗礁に乗り上げているのではなく、何かが起きると思わせる外交的均衡を達成することができる。実際には北方領土問題がすぐに解決するわけではない。日露首脳はともに、この問題は先送りすべきだということを理解している」

ルキヤノフ氏は講演の中で、国益を重視するプーチン大統領の現実的な外交政策について理路整然と説明した。

日本が好きじゃなかったメドベージェフ氏

プーチン大統領のアジア政策について、「アジアで力を増す中国との勢力均衡を図るために、プーチン大統領は安倍首相にどんなアプローチをとるのだろう」と尋ねると、ルキヤノフ氏はユーモアたっぷりに「メドベージェフ前大統領は日本が好きじゃなかった。理由はまったく分からないが。それに対し、プーチン大統領はかなり前向きで、日本との関係を良くしたいと思っている」と指摘した。

ルキヤノフ氏によると、民主党政権の時代は混乱して、日本の政策がいったい何なのかわからなかった。安倍・自公政権が誕生して、日本政府は安定感を取り戻した。

台頭する中国との勢力バランスを維持するため、ロシアにとっても、日本にとっても外交関係を多様化することが喫緊の課題になり、双方とも両国関係を強化することを望んでいる。この必要性は日本にとっての方が強いだろう。

「ロシアはアジアのプレーヤーだが、主要プレーヤーにはなれないという自覚がある。日本との関係強化は決して中国と対峙するということではない」

プーチン大統領もオバマ米大統領と同様、「ピボット・アジア(アジアに軸足を置く)」政策をとっており、2020年までにはロシアのアジア外交の全容が固まるだろうとの見方をルキヤノフ氏は示した。

ルキヤノフ氏の過去記事は、ロシア最大の日刊紙「ロシスカヤ・ガゼタ/ロシア新聞」がロシアの現在を伝える日本向け新聞「ロシアNOW」にも掲載されている。

ロシアの中国脅威論

ロシアがどれほど中国を警戒しているかについて、ルキヤノフ氏は昨年5月、モスクワ・ニュース紙に寄稿。プーチン大統領の新国家戦略を示す基本文書の1つ「戦略2020」の中国論には恐怖とパニックが露わに感じられると指摘している。

・「ロシアにとって主な危険は、中国の経済的潜在力と国際的地位の増大に起因している」

・予想される人民元の「国際決済通貨への変容は、国際通貨システムの不安定化をもたらし、国際決済でルーブルを使用する可能性をせばめうる」

・「中国の高い競争力は、ロシアのメーカーを市場からさらに締め出す」

・「『大国クラブ』における『成金』である中国の影響力の増大」は、ロシアを含む第三国に損失をもたらす

これが「戦略2020」で指摘された中国脅威論だ。

プーチン氏が北方領土を訪問しないワケ

ルキヤノフ氏の解説では、メドベージェフ前大統領はロシア国内の保守勢力に自分がタフであることを示すために北方領土の国後島を訪れた。それに対して、誰もがタフであることを知っているプーチン大統領には北方領土を訪れる必要がない。

ロシアにとって中国は重要な戦略的パートナーだ。日本とは領土問題がトゲとなって平和条約も結んでいない。しかし、「アジア=中国」という構図ができあがってしまうとロシアがアジアで外交上とることができる選択肢は極端に狭くなってしまう。

だから外交巧者のプーチン大統領は安倍首相との首脳関係を強化しようと考えているのだ。北方領土交渉を動かすのは難しい。強権的な政治手法をとるプーチン大統領だが、政権基盤は以前ほど盤石ではなくなり、世論の動向を気にせざるを得なくなっている。

「したがって、(プーチン大統領が)最大限、話すことができるのは、テーマの解凍プロセス」(ロシアNOW)なのだ。

シリア問題

ルキヤノフ氏によると、プーチン大統領がシリアのアサド政権を支援し続ける理由は「地域の安定」という一言に尽きる。欧米諸国が主張する人道的介入は状況を悪くするだけだという。

「米国はロシアに対して、常に『歴史の間違ったサイドに加担するな』と警告を発しているが、ロシアにとって米国の中東政策ほど理解し難いものはない。エジプトで民主化運動『アラブの春』による政権崩壊を支持したかと思えば、今度は民主的な選挙で選ばれた政権が軍事クーデターで倒されるのを容認するなど、一貫性のかけらも感じられない」

ルキヤノフ氏は「ソ連時代のレガシー(遺産)は崩壊した。ゴルバチョフとエリツィンの改革はロシアに混乱をもたらした。プーチン大統領は新しいロシアのアイデンティティーを築こうとしているが、それがどこに向かおうとしているのかは誰にもわからない」という。

アイデンティティーにはロシア正教会、ロシアの伝統・文化のレガシー、帝国の記憶といった要素が含まれる。ロシアの領土の75%はアジアに属している。これに対してロシアの人口の75%は欧州に暮らしている。ロシアのアジア志向がさらに強まれば、プーチン大統領が描くロシアのアイデンティティーも大きく変わってくるだろう。

(おわり)

在英国際ジャーナリスト

在ロンドン国際ジャーナリスト(元産経新聞ロンドン支局長)。憲法改正(元慶応大学法科大学院非常勤講師)や国際政治、安全保障、欧州経済に詳しい。産経新聞大阪社会部・神戸支局で16年間、事件記者をした後、政治部・外信部のデスクも経験。2002~03年、米コロンビア大学東アジア研究所客員研究員。著書に『EU崩壊』『見えない世界戦争「サイバー戦」最新報告』(いずれも新潮新書)。masakimu50@gmail.com

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