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内閣法制局は「護憲」の巣窟か

木村正人在英国際ジャーナリスト

中国の思惑

安倍晋三首相が憲法解釈を担う内閣法制局の長官に元外務省国際法局長の小松一郎駐仏大使を起用したことで、集団的自衛権の行使をめぐる議論が喧しくなってきた。

先の参院選で自民党は大勝したものの、憲法改正を支持する勢力で衆参両院の3分の2以上の議席を確保するには至らなかった。3分の2は憲法改正案の発議要件である。

憲法改正は時期尚早と判断した安倍首相は、それなら憲法の解釈変更で集団的自衛権を行使できるようにしようと小松氏に白羽の矢を立てた。

歴代内閣法制局長官は集団的自衛権の行使について「違憲」と解釈してきた。これに対して、小松氏は憲法解釈を変更して、集団的自衛権の行使を容認しようという解釈改憲派だ。

中国が海軍力など軍備増強を進める中、日本にとって集団的自衛権の行使容認は避けては通れない喫緊の政治課題だ。

同盟国の米国がアジア・太平洋地域で第三国の攻撃を受けても日本が「平和憲法」の制約で指をくわえてみているだけという事態が生じれば、日米同盟の根幹は大きく揺らぐ。

それこそ南シナ海、沖縄県・尖閣諸島のある東シナ海での勢力拡大を狙う中国の思う壺である。

護憲の砦

内閣法制局の元長官2人がこうした安全保障環境を考慮せずに、安倍政権による解釈改憲の動きを批判している。

阪田雅裕氏(在任2004~06年)は朝日新聞のインタビューに、「国民を守るために外国の攻撃を排除するだけの実力組織として自衛隊の存在は許されるのだから、それ以外の目的で海外に出かけて武力行使をするところまで憲法9条が許容しているとは憲法全体をどうひっくり返してみても読む余地がない」と述べ、集団的自衛権の行使、集団安全保障措置、多国籍軍への参加を容認するような憲法解釈はできないとクギを刺した。

安倍首相に退任させられた山本庸幸前長官も最高裁判所判事への就任会見で「集団的自衛権は、我が国が攻撃されていないのに、我が国と密接に関係のある他の国が攻撃された時に、共に戦うことが正当化される権利だ。従来の解釈を変えることは私は難しいと思っている」と述べた。

2人とも集団的自衛権の行使を容認するなら憲法改正をと主張している。2人は改憲派かと言えば、決してそうではない。これまで、何人かの内閣法制局関係者から取材した印象を率直に言わせてもらえば、内閣法制局こそ護憲の砦だった。

GHQも脱帽した論理性

内閣法制局の正当性について、平成5年から5年間、参事官を務めた平岡秀夫元民主党衆院議員に産経新聞記者時代に質問したことがある。

平岡氏は「内閣法制局のすごさは、徹底的に論理性を追求することだ。1人前になるのに3年、それまでに用語の使い方に始まって論理性をたたき上げられる。最も重要なのは論理性であり、論理が変わることはあり得ないと考えられている」と答えた。

日本では、違憲立法審査権を持つ最高裁が「直接、国家統治の基本に関する高度に政治性のある国家行為については司法審査権の範囲外」(統治行為論)として憲法判断を避けてきた。

このため、内閣法制局が憲法について最高の有権解釈権を有するかのような印象を与えてきた。かつて旧法制局は連合国総司令部(GHQ)を「too logical too powerful(論理的過ぎて強すぎる)」と脱帽させた。

旧法制局の伝統を受け継ぐ内閣法制局は無謬性と論理性で権威を高め、その憲法解釈は最高裁判決と同じぐらいの効力を持ってきた。しかし、内閣法制局がどこまで論理の一貫性を守ってきたのかは甚だ疑問である。

言葉の発明

カンボジアPKO(平和維持活動)を実施した故宮沢喜一元首相はかつて筆者にこう指摘した。

「現実に戦闘が行われてなくて、たまたまそれを非戦闘地域とした。自衛隊がそこに行くのは差し支えないと。これだけの論理だ。もし第三者から攻撃を受けたら、場合によっては正当防衛をしなければならない。これは憲法の想定する状況とはだいぶ違う。非戦闘地域というのは一種のフィクションかもしれない」

憲法9条をわかりやすく解説すれば、「海外での武力行使を禁じている」ということだ。だから憲法は集団的自衛権の行使を含め海外での武力行使につながる活動を禁止しているという解釈になる。

しかし、内閣法制局は安全保障環境の変化に伴う時の政権の要請に応じ、二人三脚で巧みにフィクションを編み出してきた。

内閣法制局長官が首相に面会するのは週2回の閣議。席上、内閣提出法案や政令について内閣法制局長官が説明する。

衆院予算委の総括質疑に首相が張り付けとなれば、内閣法制局長官は後に控えている。そのときは首相、官房長官、内閣法制局長官、首相秘書官3人と政務秘書官が一緒に昼食をとる。

昭和58年、対米武器技術供与問題に手をつけた中曽根康弘首相(当時)に、内閣法制局長官は「武器技術供与は武力行使につながる恐れがあり、集団的自衛権に触れるので憲法違反」と反対。

中曽根氏は「米国に武器技術を供与することは、武器輸出3原則の枠外である」と押し切った。

平成2年の湾岸危機時、「国連平和協力法案」を審議中に「自衛隊を国連憲章上の国連軍に参加させることは集団的安全保障への参加であり、集団的自衛権の行使には当たらないから合憲」という議論が起こされたが、内閣法制局が反対した。

内閣法制局はしかし、常に護憲的な立場を取りながら、「必要最小限度の実力組織」として自衛隊を認め、「海外派兵と海外派遣」の区別で自衛隊の海外派遣に道を開いた。「武力行使の一体化論」では武力行使と一体化していないという理屈で対米協力の枠を広げた。

集団的自衛権の行使はこれまでのようなフィクションではもはや説明できないというのが歴代内閣法制局長官の本音だ。

憲法制定の一翼を担った内閣法制局

内閣法制局は戦後、GHQの指導を受けて現行憲法を策定した歴史的な経緯がある。「戦後、日本は武装解除されていたのでGHQから戦力不保持と言われても驚かなかった」と憲法制定にかかわった故佐藤達夫元内閣法制局長官は回想している。

その後、憲法9条は吉田茂首相(当時)によって軍部復活を防ぎ、再軍備より経済復興を優先させる盾として利用された。自民・社会慣れ合いの55年体制では、「集団的自衛権行使違憲論」が社会党への国会対策として使われてきた。

内閣法制局が言うように常に論理が優先してきたわけではなく、その時々の経済、内政、国際情勢に応じて憲法解釈を広げてきた。

そもそも国際法上認められている自衛権が憲法で制限されているわけではなく、政府が政策上の判断で自ら制約を加えてきたと見る方が自然だろう。

米シンクタンク、国際平和カーネギー基金の報告書「2030年、中国の軍事力と日米同盟」によると、15~20年後には、日米同盟が中国に対する空海軍力の優位を保てるかどうかは不確実になっている。

このため、日本が米国を必要とする以上に、米国は日本の空海軍との一体化を進める必要性に迫られている。中国に変な気を起こさせず、米中衝突を回避するためには日米同盟にすき間をつくるわけにはいかない。

それが今回の集団的自衛権の行使容認論議の原点だ。

集団的自衛権の行使を全面的に否認するのか、日本の平和主義を堅持しながら国の守りにほころびが出ないよう必要不可欠な集団的自衛権に限定して認めていくのか、日本は重大な岐路に立たされている。

内閣法制局の面子を優先するのと、国民の平和と安全に資するのとどちらが大事か。内閣法制局の理屈を聞くよりも、国会での徹底した議論を望みたい。(おわり)

在英国際ジャーナリスト

在ロンドン国際ジャーナリスト(元産経新聞ロンドン支局長)。憲法改正(元慶応大学法科大学院非常勤講師)や国際政治、安全保障、欧州経済に詳しい。産経新聞大阪社会部・神戸支局で16年間、事件記者をした後、政治部・外信部のデスクも経験。2002~03年、米コロンビア大学東アジア研究所客員研究員。著書に『EU崩壊』『見えない世界戦争「サイバー戦」最新報告』(いずれも新潮新書)。masakimu50@gmail.com

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