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自民党・安倍晋三総裁のリフレ政策は「ゆる(財政)・ゆる(金融)」、それとも「しめ・ゆる」?

木村正人在英国際ジャーナリスト

次期首相への最短コースにいるとみられている自民党の安倍晋三総裁が「インフレターゲットを設定して無制限に金融を緩和」「公共投資のため日銀が建設国債を引き受ける(現行財政法では禁止)」など日銀の独立性を無視したリフレ政策を派手にぶち上げ、7カ月ぶりの円安水準となった。

安倍総裁と言えば「保守」を標榜する政治家である。しかし、その経済・財政政策は、財政規律にこだわる英国・保守党党首のキャメロン首相、ドイツ・キリスト教民主同盟(CDU)のメルケル首相ら「保守」の政治家、経済政策的には「中道右派」というよりは、経済成長を優先する米国・民主党のオバマ大統領に代表される「中道左派」に近い。

これに対して、日本の民主党の野田佳彦首相は英紙フィナンシャル・タイムズで「安倍氏の唱える政策がとられた場合、財政規律を本当に維持することができるのだろうか」との懸念を示すとともに、日銀の独立性を維持すべきだとの考えを明確に示した。野田首相の方が「保守」と呼ぶにふさわしい政策を主張している。

筆者が1984年に産経新聞に入社したころ、英国のサッチャー首相が唱える小さな政府、民間活力の導入が資本主義経済圏で経済・財政政策の主流だった。恩師が産経新聞「正論」執筆陣の勝田吉太郎・京都大学教授だった影響で、筆者はサッチャー氏の新自由主義を支持し、当時、行財政改革キャンペーンを展開していた産経新聞の門をたたいた。

その産経新聞も紙面でしきりにリフレ政策を展開するようになり、時代の方向性と自分の立ち位置が分からなくなり、サッチャー氏の死後に公式伝記を出版することになっている英紙デーリー・テレグラフ元編集長で、コラムニストのチャールズ・ムーア氏を訪ねた。

ムーア氏はサッチャー氏の経済・財政政策について、主婦感覚、父親が経営していた雑貨店の経営感覚から来ていると分析し、「使った代金は必ず払う」という精神に基づいていたと説明した。

キャメロン首相もメルケル首相も最初に財政を締める一方で、中央銀行のイングランド銀行や欧州中央銀行(ECB)と協調して金融政策は大胆に緩和する「しめ・ゆる」政策を取っているように筆者には思えてならなかった。

経済成長優先のオバマ大統領も最初は景気対策のため財政を出動、中央銀行の連邦準備制度理事会(FRB)も金融緩和策をとる「ゆる・ゆる」政策だったが、財政健全化に取り組まざるを得なくなり「しめ・ゆる」政策を模索している。

膨らんだ政府債務を減らす方法には、財政再建、経済成長、インフレ、通貨切り下げがある。財政再建だけでは限界がある。新興国の激しい追い上げで先進国には、それほど大きな経済成長は期待できない。そこで英国、その他の欧州諸国、米国も、金融を大胆に緩めてインフレと通貨安を誘導し、政府債務を目減りさせようとしている。

こうした政策が、サッチャー氏の「使った代金は必ず払う」という精神に反しているように思えてならなかったのが、筆者がムーア氏を訪ねた理由だった。中央銀行が通貨を増発して国債を引き受けることによって、政府の財政赤字を解消しようという「財政のマネタイゼーション」はモラルに反しないか。それが筆者の疑問である。

ムーア氏は「英国は政府も銀行も個人も借金まみれになってしまった。今、借金を返済するのは非常に難しい。これ以上、借金が増えないようにコントロールすることが重要だ。だから、キャメロン首相もオズボーン財務相も政権を取ると同時に財政再建に取り組んだ。一方、借金が多い時にはインフレに誘導するのが当然で、金融緩和策をとるイングランド銀行の政策は正しい。マネタリストのサッチャー首相も今の状況下なら、きっと同じようにしたはずだ」と解説した。

「使った代金は払うのが当たり前で、インフレを起こして借金を返そうという考えはモラルに反しているのではないか」と食い下がる筆者に、ムーア氏は借金が多い時にデフレ政策を取るのが合理的なのかとでも言いたげに「デフレにするのは賢明ではない」と答えた。

極めて現実的に考えて行動する英国人にとってモラルに縛られて非合理的な行動を取ることなど思いもつかないことなのかもしれない。英誌エコノミストのビル・エモット前編集長も「借金が多い時にはインフレの方が良いのに決まっているよ」と、モラルにこだわる筆者の疑問がまったく理解できないという表情を見せた。

欧州外交評議会(ECFR)のベルリン所長を務めるUlrike Guerot氏は筆者に「メルケル首相もECBのドラギ総裁も意気投合している」と打ち明けた。ゲルマン的厳格さで財政再建一本やりの緊縮策を南欧諸国に強いているように見えるメルケル首相もドラギ総裁と協力して「しめ・ゆる」政策をとり、危機を乗り切ろうとしている。

こうしたことからすると、「保守」を標榜する安倍総裁が金融で「ゆる」政策を唱えるのも無理からぬことなのかもしれない。

しかし、「しめ・ゆる」のキャメロン首相も、「しめ・しめ」から「しめ・ゆる」に転換したメルケル首相や、「ゆる・ゆる」から「しめ・ゆる」になったオバマ大統領を見てもわかるように、先進国では「しめ・ゆる」政策が主流になっている。

「しめ・ゆる」政策が市場に受け入れられているのは、中央銀行が政府(政治)から独立しているという建前に拠っている。本来、「ゆる」に流されがちな政治が「しめ」ることによって初めて、金融を「ゆる」める「財政のマネタイゼーション」という虚構が成り立つのではないだろうか。

すでに民主・自民・公明の三党合意によって現行憲法に定められた財政の単年度主義という原則が大きく揺らいでいる。財政の単年度主義は、明治憲法の継続費が軍部の独走と戦費の無制限の拡大を招いた反省から現行憲法に盛り込まれた。

日本の10年物国債の金利は0・74%と先進国の中では依然として断トツに低いが、政府債務残高は近く国内総生産(GDP)比で240%に達するとみられている。

そんな状況下で、中央銀行が独立性を失って政府の政治力に屈するとともに、単年度の財政赤字にも歯止めが効かないと疑われる状況が生まれるとどういうことになるのか。日本が成長力を取り戻すために必要なのは、旧態依然とした公共事業なのか、民間企業の新陳代謝と起業を促す構造改革なのか。

安倍総裁だけでなく、次期首相を選ぶ有権者の皆さんにもしっかり考えていただきたい。

(おわり)

在英国際ジャーナリスト

在ロンドン国際ジャーナリスト(元産経新聞ロンドン支局長)。憲法改正(元慶応大学法科大学院非常勤講師)や国際政治、安全保障、欧州経済に詳しい。産経新聞大阪社会部・神戸支局で16年間、事件記者をした後、政治部・外信部のデスクも経験。2002~03年、米コロンビア大学東アジア研究所客員研究員。著書に『EU崩壊』『見えない世界戦争「サイバー戦」最新報告』(いずれも新潮新書)。masakimu50@gmail.com

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