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ビニシウスのダンスをどう受け取るべきか?

木村浩嗣在スペイン・ジャーナリスト
オサスナ戦でも小競り合いがあった(写真:ロイター/アフロ)

始まりはゴールセレブレーションでのダンス。そこから今は人種差別をめぐる大問題にまで発展している。

最初にはっきり言っておこう。

人種差別が悪であることに議論の余地はない。言語道断の一言。人種差別を許すことは絶対にできない。

■人種差別は悪。議論の余地はない

そして、スペインには人種差別がある。

黒人に対するもの、私たち東洋人に対するもの、アラブ人に対するもの、東欧人に対するもの、中南米人に対するものなど様々だ。

私の経験から言って、差別者は少数派で、からかい程度の軽い気持ちでやる者が多く、1対1では黙っている卑怯者、という特徴がある。ただ、「少数派」でも「軽い気持ち」でも人種差別がこの国に存在することには変わりはない。

よって、ビニシウスが受けているモンキーチャントには釈明や情状酌量の余地はない。

マジョルカ戦でモンキーチャントをした人物が特定されたという報道があった。スタジアムには多くのビデオカメラがある。映像を使ってどんどん摘発していき、スタジアムへの永久立ち入り禁止などの厳罰を科してほしい。

私の立場をはっきりさせたところで、ここからゴールセレブレーションでのダンスの話に入る。

■ダンスはスペインでは礼を欠く

私はダンスは嫌いだ。相手チームや相手ファンへの礼を欠く行為だと思う。

スペイン人はラテン系で歌い、踊る人たちなので意外かもしれないが、サッカーでは思いのほか真面目で、日本人の常識がほぼ通用する。

少年サッカーの指導者をしていた時は子供たちに「やるな」と禁止していた。これはスペイン人指導者たちも同じ。10年近く監督をしていて誰かに踊られたこともないし、誰かが踊ったこともない。一度たりともない。

もちろんゴールセレブレーションはある。

チームメイトと抱き合い、親のところへ駆け寄って抱き合い、時には監督のところへも来てくれる(これは監督の最高の喜び)。ゴールは決めた人の手柄ではなくチーム全体の手柄なので「みんなと喜べ」と。プロの真似をして変なポーズやジェスチャーをする子供には「馬鹿なことをしないでプレーの方を真似ろ」と言っていた。

プロがお手本とは限らない。むしろ悪いお手本の方が多い。

例えば、先週末のオサスナ対レアル・マドリーではトルコとシリアの地震による犠牲者への黙とうの最中に、ビニシウスに向けてスペイン語最悪の罵倒の言葉が飛んでいた。クルトワによると「死ね」なんてコールもあったようだ。

公平を期すために言えば、ビニシウスも同じ最悪の罵倒語を審判に浴びせている。よそ見していたから良かったが、聞いていたら一発退場だったろう。

サッカー場はスペインで最も殺伐とした場所で、野蛮な野次を耳にしたいならその辺のグラウンドでもスタジアムにでも行ってみればよい。

■ダンス続行で身の危険もあり

ダンスに話を戻す。

よって、ビニシウスのダンスもグリーズマンのダンスも私は嫌い。相手チームとファンは決して見ていていい気はしない。チームメイトや応援するファンと喜ぶだけで十分ではないか。

プロとしての体の安全という意味でも、相手の気持ちを逆撫でしてラフプレーでケガをさせられるのは割に合わない。

元アルゼンチン代表でマラドーナのチームメイトだった現解説者ホルヘ・バルダーノが書いている(『エル・パイス』紙23年2月11日付)。

「ゴール後のダンスからすべてが始まった」、「もしあのタイミングで“意図せず誰かを傷付けたとしたら謝ります”とでも言っていたらビニシウスは今頃、別の扱いを受けていただろう」、「しかし彼は踊り続けた」。

多分ブラジルではゴール後のダンスは普通のことで、敵も味方も慣れているのだろう。だけど、そうでないスペインでは次のようなネガティブな連鎖が起きた。

ダンス→ファウルと野次の標的になる→ダンス→モンキーチャントや罵倒にヒートアップ。ラフプレーが頻発……。

「このままだといずれ喝采を浴びながら担架で運び出されるビニシウスを見ることになりかねない」(ホルヘ・バルダーノ)。

■踊りは反人種差別の象徴に

ビニシウスのダンスは引っ込みがつかないところまできている。

「幸せが不愉快だと言う者たちがいる。ブラジル人の黒人の幸せは、欧州ではさらに不愉快なようだ」、「数週間前から私のダンスが犯罪視され始めた。ダンスは私のものではない。ロナウジーニョ、ネイマール、パケタ、グリーズマン、ジョアン・フェリックス、マテウス・クーニャのものだ。ファンクの芸術家、ブラジルのサンバの踊り手、レゲトンの歌手、アメリカの黒人たちのものだ。ダンスは世界の文化的多様性を祝うためのものなのだ。受け入れよ。尊重せよ。私は止めない」(22年9月ビニシウスがSNSにアップしたビデオより)。

読んでわかるのは、ビニシウスにとっては踊り続けることが人種差別や不寛容さとの戦いになっている、ということだ。ビニシウスのダンスが人種差別的反応を呼び、それによってビニシウスのダンスが反人種差別の象徴となった。

みなさんはどう思うだろう?

私は、ダンスが世界の文化的多様性を祝うためのものであることと、スペインのサッカー場でアウェイファンの前でさえ踊ることとは関係ない、と思うが、どうか? あのダンスに対して「礼を欠く」と感じることは、人種差別者であることを意味しないと思うが、どうか?

スペインでも意見は割れているが、「人種差別は良くないから」とビニシウスを応援する声の方が大きいように思う。

みなさんはどう思いますか?

在スペイン・ジャーナリスト

編集者、コピーライターを経て94年からスペインへ。98年、99年と同国サッカー連盟のコーチライセンスを取得し少年チームを指導。2006年に帰国し『footballista フットボリスタ』編集長に就任。08年からスペイン・セビージャに拠点を移し特派員兼編集長に。15年7月編集長を辞しスペインサッカーを追いつつ、セビージャ市王者となった少年チームを率いる。サラマンカ大学映像コミュニケーション学部に聴講生として5年間在籍。趣味は映画(スペイン映画数百本鑑賞済み)、踊り(セビジャーナス)、おしゃべり、料理を通して人と深くつき合うこと。スペインのシッチェス映画祭とサン・セバスティアン映画祭を毎年取材

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