EURO2020第10日。カテナッチョを掛けず、ビスコットを拒否。イタリアは強く大きく変化した
イタリアのメンタリティは大きく変わった。そう確信したイタリア対ウェールズだった。「カテナッチョ」が時代遅れだとはわかっていたが、「ビスコット」までそうだったのだ!
カテナッチョとは「鍵」の意味。
リードすればゴールに鍵を掛けてカウンターを狙う、というチームでは今大会のイタリア代表はない。トルコ戦での3-0、スイス戦での3-0は攻め続けた結果であって、先制して引き籠りカウンターで止めを刺した結果ではない。激しいプレスでボールを奪って相手ゴールへ殺到することを90分間続けた結果である。
ある意味、単調で一本調子だ。が、この一本調子が滅茶苦茶強く、見ている方には滅茶苦茶面白い。
ウェールズ戦でも攻め続けた。
この試合イタリアは負けさえしなければ首位通過で、大勝する必要はなかったのに。先制し相手は10人。これまでのイタリアのメンタリティならアクセルを緩めるところだ。アクセルを緩めればウェールズだって喜んでお付き合いしたに違いない。1点差負けであれば彼らの2位通過はほぼ確実だったのだから。両チームの暗黙の了解でお互いに攻め合わず試合を終えることもできた。
だが、イタリアはそれを拒否し2点目を取りに行った。ウェールズも他スタジアムの結果を横目に見ながら、真剣勝負を続けるしかなかった。
■引き分け両者通過の疑惑を一蹴
試合前、この試合には「ビスコット」の噂があった。引き分けであればイタリアの首位通過とウェールズの2位通過が決まる。ならば、0-0で終わるのではないか、という疑惑があったのだ。
ビスコットとはビスケットの意。言葉の詳しい由来はわからないが、多分、ビスケットとは「賄賂」を指すのではないか、と思う。ビスケット贈って示し合せたら八百長だが、暗黙の了解で両者納得の結果に終わらせることは「駆け引き」と呼ばれ、むしろ称賛される。
だが、イタリアはビスコットを断固拒否した。点差を広げるため攻め続けた。手加減しなかったのは8人を入れ替えたチームで、控え組がアピールをしたかったからかもしれない。その点にも戦力の充実具合、チームの一体感を感じる。
■スペインとの優劣は再逆転
カテナッチョもビスコットもイタリア語である。
あくまでスペインからの見方で偏見を承知で言うと、イタリアのサッカーカルチャーは良い意味でも悪い意味でも実利主義だった。結果を追求し渋く勝つイタリアに、ショーを目指すスペインは歴史的に苦汁を舐め続けてきたのだった。スペイン側の「内容は我われの方が良かった」という負け惜しみを、イタリア側は鼻で笑っていただろう、と思う。成熟したサッカー先進国を前に、スペインはまだまだ青かった。
その力関係が、スペインが美しく勝ったEURO2008を境に優劣が逆転。EURO2012のイタリアはスペイン風のポゼッションサッカーだったが本場には勝てず、決勝で大敗した。3年前のロシアW杯は予選敗退という屈辱も味わった。
どうなったのか、と心配していたら、今回華麗に変身して蘇ってきた。駆け引き、予定調和を拒否する者が真の強者だと思う。今ならスペインに美しく勝てるだろう。
■スイス対トルコ 美しいシュートの競演
グループステージの最終節には名勝負が生まれることがある。といっても、「勝ち上がりを懸けた熱戦」という意味ではなく、「失うもののない者同士の捨て身の撃ち合い」という意味だ。
トルコはすでにグループステージ敗退済み。名誉を回復するには勝つしかない。スイスは得失点差で2位になるには大勝するしかない。大会最後あるいはそうなるかもしれない試合なのだから。後悔しないように戦うだけ。そこには駆け引きの余地がまったくない。「もうなるようになれ」と吹っ切れれば、重圧から解放され、良いプレーができるものだ。
スーパーゴールあるいはスーパーゴール未遂(=スーパーセーブ)の数で言えば、この試合は今大会のナンバー1だった。
特にトルコはチームとして大事にいく必要がなく、個人の思い出作りの方が大事なので、アングルがあればどんどん撃ってくる。特に素晴らしかったのは、ロングシュートを3本、ドリブルシュートを放った左SBのミュルドゥル。こんなに良い選手がなぜ過去2戦で先発でなかったのだろう? それらすべてを弾き出したGKゾマーのセーブもフォトジェニックだった。
シャキリの1点目、右利きなのに左足で蹴ったシュートと、イルファン・カフヴェジのドリブルからのシュートは、ファーポストへ巻いて隅に飛び込む軌道の美しさで双璧。シャキリの2点目は利き足でセオリー通りGKの頭を吹っ飛ばす勢いで突き刺さった。頭に来たボールへの反応はどうしても遅くなる。
ウェールズとの順位は逆転できなかったが、スイスは勝ち点4、得失点差マイナス1で3位通過の朗報を待つことになった。