SFコメディ映画『Save Yourselves!』が笑えない理由(ネタバレ)
※この評にはネタバレがあります。日本公開は未定だが、どこかでいずれ見たいと思っている人は読まないでください。
この作品のラストを見て、笑う人と怒る人の割合はどのくらいなのだろうか? 私は怒った方なので、評は厳しくならざるを得ない。
いろいろな伏線が回復されないまま、謎が謎のまま終わるやり方自体は悪くない。ラストの意味は“自分で考えろ!”と突き放されるのは、悪い感覚ではない。物語の中にばらまかれた伏線を、鑑賞後に頭の中で繋ぎ合わせて、ああでもないこうでもない、と自問自答したり意見し合うのは、映画の楽しみの一つだ。
だが、ラストが「様々に解釈できる」のと、「解釈のしようがない」のとは違う。この作品のラストシーンには事前に何の伏線も用意されていない。あまりに唐突で、とんでもない終わり方をする。まるで“解決編”という名の次回作が存在するかのように。
どうして? なんで? 誰が? どこへ? 何のために?などのたくさんのクエッションマークが、頭の中に浮かんだままで突き放されて終わる。もしかしてクレジットの最後に特典映像があるのかも、と期待して待ってみたが、何もなかった。
■コメディと荒唐無稽は違う
これはSFコメディである。が、コメディだからと言って、“荒唐無稽の終わり方をしていい”、というのは違う。例えば、コメディだからと言って、主人公にピエロのようなとんでもない格好をさせて変な踊りをさせても、笑えるのは最初の5分間だけで、笑い続けられるのは小学生までだろう。
笑いはギャップに生まれるのだと思う。ピエロがピエロをするのには何のギャップもない。その意味で、地球侵略をするのが丸い毛玉というエイリアンらしくなさは悪くない。丸い毛玉がとんでもなく残酷なやからで、その思わず触りたくなる外観で、人々の手足を喰いちぎり最後は頭から丸のみする、なんて惨劇を起こすなんてのは、笑えるかもしれない。
だが、この毛玉、全然卑劣でも残虐でもないのだ。
ニュースでは人類を絶滅の危機に追いやっているようなのに、主人公たちのことは毛玉は一向に襲わない。寝こみをねらう卑怯な奴かと思っていたのに、一晩ずっとベッドの横で番をしていたりする。
■宇宙人が弱すぎて笑えない
で、ナイフ1本で退治できたりする。
弱すぎない、これ? エイリアンらしくない可愛らしい外観に油断して、1人目がやられるのは許そう。だが、2人目からはやられない。毛玉ゆえによく燃えそうだから、私なら火を武器に使う。舞台は銃社会のアメリカなのだ。火器は山ほどある。
それと、扉をこじ開けたり壁をぶち壊したりするパワーもなさそうだ。よって、ある程度頑丈な建物の中にいれば毛玉は入って来られない。体も装甲で守ればたぶん致命傷は受けないで済む。
こんな毛玉が1週間かそこらで人類を絶滅に追い込む? 人類を舐めてんじゃないの? アメリカ軍を馬鹿にしてんじゃないの?
“その馬鹿馬鹿しさが、コメディなんです”という言い訳は笑えない。
可愛らしい宇宙人が可愛らしい武器で倒せるはずもない人間を倒すのは、全然面白くない。ブラックユーモアでも何でもない。“そんなわけないだろ”と思うだけ。
可愛らしい宇宙人が、残虐非道の殺戮を行うギャップがあってこそ、笑えるのだ。さらに、“可愛らしさを逆手にとって……”という人間の弱さや愚かさを突いた殺戮であれば、もっと笑えたはずだ。
■間抜けな人間の風刺なの?
この作品は社会風刺かもしれない。
スペイン語の題名、『Desconectados』というのは「オフライン」という意味だ。スマホに依存するゆえに、“人はサバイバル本能を失っており、毛玉にすらやられる”、あるいはオフラインだと、“地球侵略にすら気づかないまま進行する”、という警告かもしれない。
であれば、なおのこと宇宙人がいかに現代人の弱みにつけ込むのかを丁寧に描いてほしかった。そうすれば、間抜けな人間の方を笑えたかもしれないのに。
この作品、昨年のシッチェス・ファンタスティック映画祭の公式コンペティション作に選ばれていたが、映画祭開幕の2日前にビデオ・オン・デマンドでの配信を開始してしまい、「スペイン国内では映画祭が初上映であること」というルールに違反し、コンペティションから追放されてしまった。コンペティション入りしていたら何かの賞を獲っていたのか? 怖いもの見たさで知りたかった。
※写真提供はシッチェス・ファンタスティック映画祭