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“マスク拒否監督”の作品を上映し続けたサン・セバスティアン国際映画祭の「見識」

木村浩嗣在スペイン・ジャーナリスト
今回の映画祭では警察も常駐。手持ち無沙汰に談笑しているばかりだったが(筆者撮影)

感染者ゼロで終えた映画祭で唯一のトラブルと言えるのが、9月23日の夜に起きた“マスク拒否退場事件”。これは作品『Atarrabi et Mikelats』の監督ユージーン・グリーンが上映中のマスク着用を拒否。映画祭スタッフによって退場させられ、警察に罰金を科せられた事件だ。

彼は上映後のミニ討論会に出席するために作品スタッフ、観客とともに自分の作品を見ていた。その際に、マスクを正しく着用するよう5度にわたって注意されたが、言うことを聞かなかった、という。

このトラブルによって討論会は監督抜きで行われ、彼は映画祭からの招待者資格を失った。「観客と作品スタッフの健康を上映中、上映後に危機に陥れた」(映画祭事務局の声明より)からだ。

この人がユージーン・グリーン監督
この人がユージーン・グリーン監督

マスク拒否のスペインでの空気感

これ、日本でどう響くかわからない。

“マスク拒否ぐらいで大袈裟な”なのか“マスク拒否なんて、どうしようもない奴だ”なのか。

スペインでは間違いなく後者である。

この国では公の場所でのマスク着用は義務であり、着けてないと最低100ユーロ(約1万2500円)の罰金だ。屋内はもちろん屋外でも、山道を1人で散歩している時も、周りに誰もいない公園で一息ついている時も、マスクを着用しないといけない。

で、こんなことが起こる。

私がスペインの国営放送ラジオに出させてもらった時に、「気温が40度近いのにマスクをしているお年寄りがいる。周りに誰もいなければ外した方が良い。コロナも危ないが熱中症も危ない」と言うと、スタジオからどよめきが上がり「それは違う!」と反論された。

「日本では厚生労働省がそう言っている。屋外ではソーシャルディスタンス(以下SDと略す)を守ればマスクを外しても良い」と言い返すと、「マスクかSDかの選択ではない。マスクとSDの両方が正しい!」と返ってきた。

見解の相違である。

いずれにせよ、これがスペインの空気感である。どんな時でもマスク着用は正しく、マスク着用を守れば感染は止まる、というのが。

“なら、その間違っている日本でなぜ感染が抑えられ、正しいはずのスペインでなぜ感染が止まらないんだ?”とは言わなかった。

『Atarrabi et Mikelats』の1シーン
『Atarrabi et Mikelats』の1シーン

全面否定は全面肯定の裏返し

映画祭の話に戻る。

ユージーンの行動は間違っている、と私は思う。屋内でSDが守れていないのだからマスクを着用すべきだ。だから、退場処分も、招待者待遇取り消しも、罰金も正しい。

だが、彼のようなマスクはどんな時も着用しない、と主張する者は少なくない。スペインで言うところの「否定主義者」である。

ビールスは存在しない、コロナは風邪の一種で大したことない、コロナ禍は陰謀で、ワクチンにはマイクロチップが入っている、などの主張とセットで、“ビールスは存在しないのだから、マスクは着用する必要がない”というのが否定主義者の理屈である。

この「どんな時もマスクを着用しない」は「どんな時もマスクを着用すべき」の裏返しだ、と私は思う。

マスク、マスクと人々を締めつけた結果、ネガティブなリアクションとしてマスクなんて要らない、という人々が出てくる。マスクをせず数百人がデモ行進とか、秘密フィエスタで数百人が踊る、とかの蛮行が生まれる。ユージーンのような映画館でマスクを着けない“抵抗運動”が起きる。

コロナとの共存では、締めつけるだけでは駄目で一定のガス抜きが要る、と私は思っている。

マスクは必要な時には着ける、不必要な時には外す。マスク全面肯定もマスク全面否定も「思考停止」という点では共通である。

どうしようもない監督の名作

映画祭事務局は、このトラブル後もユージーンの作品を上映し続けた。上映中止にしかなかった。

これは一つの見識である。

ユージーンは今のスペインの空気感からすると健康を危険に陥れる“社会の敵”に等しいが、「作品は別」と判断したのだろう。

映画祭というのは、作品として一定以上のレベルがある、と事務局が判断したものが上映される場である。その選定に、監督や出演者が否定主義者だとか、内容が道徳や社会規範に反するというのは関係ない。

例えば、シッチェス国際ファンタスティック映画祭では、過去にある作品が公序良俗に反する、としてディレクターが警察の事情聴取を受ける事件が起きている(最終的に不起訴)。

だが、だからと言って、モラル的に正しいもの、幸せな気持ちになれるハッピーエンドのものだけを選んで、正しくないもの、例えば不倫ものは上映しない、なんてことはできない。

映画祭は、鑑賞者に信を問うためのものだから。

どうしようもない監督が名作を撮る可能性はある、と思う。ユージーンの『Atarrabi et Mikelats』がどんな作品なのか、見てみたくなった。

『Atarrabi et Mikelats』の1シーン
『Atarrabi et Mikelats』の1シーン

※写真は断りがない限り映画祭提供

在スペイン・ジャーナリスト

編集者、コピーライターを経て94年からスペインへ。98年、99年と同国サッカー連盟のコーチライセンスを取得し少年チームを指導。2006年に帰国し『footballista フットボリスタ』編集長に就任。08年からスペイン・セビージャに拠点を移し特派員兼編集長に。15年7月編集長を辞しスペインサッカーを追いつつ、セビージャ市王者となった少年チームを率いる。サラマンカ大学映像コミュニケーション学部に聴講生として5年間在籍。趣味は映画(スペイン映画数百本鑑賞済み)、踊り(セビジャーナス)、おしゃべり、料理を通して人と深くつき合うこと。スペインのシッチェス映画祭とサン・セバスティアン映画祭を毎年取材

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