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「素人でプロ」さらに2つのケース。嘘電話を鵜呑み、フーリガン起用はブリティッシュジョークか?

木村浩嗣在スペイン・ジャーナリスト
フーリガンを出場させたウェストハム監督時代のレドナップ(左)(写真:ロイター/アフロ)

前回、素人で1試合も出ないまま26年間プロだったカルロス“カイザー”の例を挙げたが、さらに2つのケースを紹介しよう。ともに厳格なイングランドでの出来事で、王国ブラジルに母国イングランドも引けを取っていない。

ろくにボールは蹴れないがプロになりたい、というのはサッカー好きの夢であろう。

個人的には恥をかくだけの選手よりも監督をやってみたい。バルセロナやレアル・マドリーを指揮させてもらえるなら、大袈裟に言えば死んでもいい。練習は面倒臭いので試合のみ、ボロが出ないように1試合限定で。

“メッシ君やってくれよ”と肩をポンと叩き、“思いっきり楽しんでこい!”と送り出せば、1試合だけなら勝てそうな気がする。

選手なら当然、お膳立てを丸投げした不動のFWだ。相手ゴール前に棒立ちでメッシやベンゼマの優しいアシストを押し込んで、みんなと抱き合ってゴールを祝いたい――。

それに近い夢を本当に実現した男たちがいる。

リベリアの怪人の偽従弟。アリ・ディアの場合

前回記事から数え2人目のケースはアリ・ディア。

事は1996年11月、プレミアリーグで起きた。サウサンプトン対リーズで32分から85分までプレーしたアリは、「見るのも恥ずかしい」、「ポジショニングが何たるかを知らずプロでないのは明白」、「氷上のバンビのよう」、「頭の無いニワトリのよう」とサウサンプトンの同僚に笑われるプレーを披露した。

なぜ、そんな選手がプロのクラブと契約し、世界最高峰のリーグでグラウンドに立てたか、というと、監督が、ジョージ・ウェア(95年バロンドールで現リベリア大統領)を騙った電話と「パリ・サンジェルマンとセネガル代表でプレーした従弟」という嘘を鵜呑みにしてテスト入団をさせたのだが、ケガ人の多発で緊急起用せざるを得なくなったという事情である。

金曜合流で翌土曜デビューだから非常事態ではあるが、少なくとも1回は練習しているのだから見破れなかったのか、と思うが、チームメイトはレベルの低さに気が付いたものの、監督はフィジカルはプロ並みで練習熱心、頭の回転が速く指示を良く聞いた“バロンドールのお墨付き”に可能性を感じていた。

初シュートは強烈だったが後はブーイングの嵐

肝心のプレーぶりはどうだったのか?

唯一の見るべきプレー、シュートシーンのビデオが残っている。

右サイドからスペースへ走り込み、パスを受けてノートラップでシュート。枠に飛んでいるし、結構強烈なシュートだったことは、GKがセオリー通り外に弾き出せなかったことが証明している。観客はこのシュートで“リベリアの怪人の従弟”への期待を大いに膨らませるものの、喝采が意味も無く走るだけの男に対するブーイングと嘲笑に変わるのに、10分もかからなかった。

伝説では、その試合の翌日から行方をくらまし、夜逃げ状態のホテルの宿泊費をサウサンプトンが負担したことになっている。が、リザーブリーグのチェルシー戦に出場した後にクビになったというのが真実だ。

リーズに敗れる(0-2)という実害は出ているものの、考えてみればリベリアの英雄の従弟がセネガル人というのもおかしな話で、本人確認せず契約したクラブも間抜けということで、好漢アリ・ディアは詐欺師ではなく、誰しも見る夢を幸運にも叶えた男「ラッキーマン」と形容されている。

それにしても、ラッキーが高じてあのシュートが入っていたらどうなっていたのだろう?

名将レドナップに“見出された”ティティシェフの場合

3人目はティティシェフのケース。

この人のエピソードが一番笑える。すでに名前が冗談である(わからない人はTittyで検索するように)。

時は94年夏、ウェストハム対オックスフォード・シティとのプレシーズンマッチ。名将ハリー・レドナップ率いるウェストハムは、ケガ人が続出し前半だけで控え選手を使い切ってしまった。後半に入るとFWのリー・チャップマンが負傷、10人でプレーする羽目に。すると、レドナップはスタンドの方を振り返り、さっきまでチャップマンに罵声を浴びせていた男に話しかけた。

「お前はチャップマンより上手いのか?」

「もちろん」

「口と同じくらい足も達者なんだな?」

「そうだ」

「プレーしたいか?」

「いいよ」

彼、スティーブ・ディビスはウェストハムのフーリガンだったが、すぐに倒れるチャップマンが嫌いでこの日もこきおろしていたのだった。ユニフォームに着替えて出て来るとレドナップが聞いた。

「ポジションはどこだ?」

草サッカーではDFだったが「せっかくだから、FW」と即答。54分に早速投入された。

アメリカW杯のブルガリア代表。正体は酔っ払い

見知らぬ顔の交代選手にスタジアムの担当者は、「ハリー、彼は誰だい?」と尋ねた。

レドナップは平然と「W杯を見なかったのか? ティティシェフだよ、ブルガリアの」と答えた。94年と言えばご存じアメリカW杯の年である。するとその担当者は「ああティティシェフ! ミスター素晴らしい補強ですね」と返し、「背番号3、ティティシェフ!」というアナウンスが響いた。

友人たちは目を疑ったが、その時はまだ事情を知っていたのはほんの数人で、審判も若手の新戦力だろうくらいに思っていて、まさかあの耳に痛い罵声の張本人が出て来たとは、思わなかった。

この話にはオチがある。

ビールとタバコで当初は足がふらついていたが徐々に落ち着き、やる気満々で走り回るスティーブの存在に違和感が無くなっていた71分――。ロングボールに反応し2人のCBの間を抜け出した彼は、GKと1対1になる。渾身の力を込めて足を振ると、何とボールはゴール隅に強烈に突き刺さったのだった。

デビューと同じ日に引退。生涯1得点(気分は)

まさにミラクル! ティティシェフ、いやスティーブは狂喜乱舞するスタンドの方へ走る。

視界に入ったのは「いいね!」のポーズのレドナップ。そして、線審が上げたオフサイドの旗……。

この珍事は、レドナップのしゃれっ気抜きでは起こり得なかった。彼は監督歴34年の名将にしてちょっと変わり者であることで有名である。

ついこの間も、ジャングルでサバイバル生活するTVのリアリティショーに出演、ゴキブリを食べ便所掃除をする姿が話題になったばかり。そんなレドナップのあだ名が「クレイジー」で、一方、フーリガンとして散々悪さをしたスティーブも「クレイジー」で通っていた。使う方も使う方だが、出る方も出る方――。

2人のおかしな波長が噛み合って、前代未聞、これからも絶対にあり得ない唯一無二の伝説が生まれたのだった。

在スペイン・ジャーナリスト

編集者、コピーライターを経て94年からスペインへ。98年、99年と同国サッカー連盟のコーチライセンスを取得し少年チームを指導。2006年に帰国し『footballista フットボリスタ』編集長に就任。08年からスペイン・セビージャに拠点を移し特派員兼編集長に。15年7月編集長を辞しスペインサッカーを追いつつ、セビージャ市王者となった少年チームを率いる。サラマンカ大学映像コミュニケーション学部に聴講生として5年間在籍。趣味は映画(スペイン映画数百本鑑賞済み)、踊り(セビジャーナス)、おしゃべり、料理を通して人と深くつき合うこと。スペインのシッチェス映画祭とサン・セバスティアン映画祭を毎年取材

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