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『ファースト・マン』にみる、宇宙開発競争の怪しいモラル。“人命第一”なら、月へは行けてない?

木村浩嗣在スペイン・ジャーナリスト
アメリカをファースト・カントリーにするために……は、今では受け入れられない

※この記事には歴史的な事実に触れた箇所があり、ネタバレになる可能性があります

キャッチフレーズに「人類史上、最も危険なミッション」とある。まさにその通りだ。危険も危険。この作品を見ると、ニール・アームストロングが月面に立った人類最初の男(ファースト・マン)になる前に、結構人が死んでいることがよくわかる。

人類のヒーローが誕生する前に、ヒーローとなれなかった者が、無念のままに命を落とした“隠れた英雄”あるいは“犠牲者”が、かなりの人数いるのである。その事実を知った後、ファースト・マンの偉業を素直に喜ぶべきか、犠牲者がいたからこそより感動的なのか、というのは、見る側のモラルの問題だろう。

ファースト・マンになることは栄誉だったのか?

月への道すがらに死体が転がっているというのは、歴史的事実である。例えばアポロ1号の火災事故では3名が亡くなっており、この作品でもそこをきちんと描いている。

進歩のために犠牲はつきもの? そうかもしれない。

だが、その犠牲を払って得られるものは、月に最初の人類を送り込んだ、という栄誉でしかない。「しかない」と思わず書いたが、これ、人によっては、その栄誉だけで十分ではないか、と感じるのかもしれない。

だが、肝心なのは「最初」になることで「二番目」では意味がない、となると、この栄誉の意義が揺らぎ始める。「メンツ」とか「意地」とかが見え隠れし始める。

月へ向かうのは、決死のミッションだった。

仲間の死を経験していたゆえに、テストや実験で恐ろしい目にも遭ってきたゆえに、アポロ11号に乗り込む際には家族との最後の別れになるかもしれない、とアームストロングは、誰よりも承知していたに違いない。

『インターステラー』のクーパー飛行士との違い

同じような別れを『インターステラー』の飛行士クーパーもしている。だが、クーパーには人類滅亡の危機を救う、という目的があった。家族を救うために家族を捨てる必要があったのだ。

しかし、アームストロングの目的は、アメリカをファースト・カントリーにする、だった。ソ連との宇宙開発競争に勝つためだった。アメリカを滅亡から救う、ではなかったのだ。

競争で科学技術が進歩することは大いにある。ソ連というライバルがいなければ、月着陸があんなに早く、ケネディ大統領の演説後8年で達成されることはなかったろう。

だが、競争が焦りを生むこともよくある。

質の悪いケーブルを使い、内装が燃えやすい素材ばかりで、搭乗員の脱出手段を考えずに設計し、無人の実験を十分しないまま有人でテストし、火花が高濃度酸素に引火して乗組員が焼死したのは、NASAが急いでいたからである。有人宇宙飛行でも宇宙遊泳でも、ソ連に遅れを取ったアメリカが焦っていたからである。

頻発する非常時にアナログな力を発揮することが求められたゆえに、彼らはエリート中のエリートだった
頻発する非常時にアナログな力を発揮することが求められたゆえに、彼らはエリート中のエリートだった

月面着陸はロマン。ロマンが許された時代

こう考えると、アメリカがファースト・カントリーになるというのも、アームストロングがファースト・マンになるというのも、ロマンだったのだろう。必要性とか損得とかリスクとかを抜きにした、ロマンだった。

宇宙開発というものは、多かれ少なかれロマンチックなものなのかもしれない。

有人探査よりも無人探査の方がコスト的にも技術的にもはるかに手軽だが、人が行くことにこだわる人がいる。食糧問題の解決のためには砂漠を緑化する方がはるかに簡単だが、火星に移住しようという人がいる。

それは結局、ロマンの問題なのだろう。

そうして、人類が月に立ってから今年は50周年だが、ロマンを取り巻く環境は大きく変わった。

落日の今、貧者は反旗を掲げ妻たちは反乱する

『ファースト・マン』を見ると、経済的にも黄金時代だった60年代のアメリカの、ロマンで月まで行ってしまう勢いが感じられる。人命など気にしない熱気が感じられる。

多分スペインの大航海時代の空気もこんなふうだったのだろう。

今のアメリカで、国の名誉のために命を捨てる覚悟はヒロイックに捉えられるだろうか?

杜撰なやり方で死亡者が出ても、「大義のため」と計画を続行できるだろうか?

妻たちは、月に行く夫を支えることを唯一の生き甲斐とできるのだろうか?

何より、この不況下で月へロケットを飛ばすという大統領が支持されるわけがないか――。ファースト・マンよりもアメリカ・ファーストなのだから。

予告編は短い日本語版がこちら長いスペイン語版がこちら

写真提供/サン・セバスティアン映画祭

在スペイン・ジャーナリスト

編集者、コピーライターを経て94年からスペインへ。98年、99年と同国サッカー連盟のコーチライセンスを取得し少年チームを指導。2006年に帰国し『footballista フットボリスタ』編集長に就任。08年からスペイン・セビージャに拠点を移し特派員兼編集長に。15年7月編集長を辞しスペインサッカーを追いつつ、セビージャ市王者となった少年チームを率いる。サラマンカ大学映像コミュニケーション学部に聴講生として5年間在籍。趣味は映画(スペイン映画数百本鑑賞済み)、踊り(セビジャーナス)、おしゃべり、料理を通して人と深くつき合うこと。スペインのシッチェス映画祭とサン・セバスティアン映画祭を毎年取材

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