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イニエスタは「うつ病」か「うつ状態」か? 報道する側からみる「鬱」を伝えることの難しさ

木村浩嗣在スペイン・ジャーナリスト
イニエスタの勇気が、告白できない、したくない者へのプレッシャーとなってはならない(写真:Rodrigo Reyes Marin/アフロ)

前回の記事――『うつ病とサッカー イニエスタの場合』。名声も富もアスリートの強靭さも「鬱」を防げなかった――は多くの人に読んでもらった。鬱(うつ)を告白したイニエスタの勇気が病の理解に繋がれば幸いだ。

「告白」、「勇気」という言葉を使ったのはもちろん、タブーがあるからだ。

スペインには心理カウンセラーがあっちこっちにいて、鬱であることを疑い、あるいは鬱になってカウンセリングを経験した人は、私の知り合いにも大勢いる。割合で言えば、経験者の方が未経験者よりも多いくらいだ。だが、そんな国でもタブーであることは、イニエスタの発言が「勇気ある行為」として讃えられたことが、逆に証明している。

スポーツマンゆえ。隠すことの二重の苦しみ

「男は涙を見せるな!」という嫌な言葉があるが、中でもスポーツマンは特に弱みを見せてはならないとされているから、「心の病気にかかったことを明らかにできない→治療できない」という葛藤に悩むことになる。

この本――『うつ病とサッカー 元ドイツ代表GKロベルト・エンケの隠された闘いの記録』――のロベルト・エンケのケースがそうだった。彼は秘密裏に治療を受けていたが、“鬱が公になればサッカー選手としての人生は終わる”と思い詰めていた。

鬱であるだけで苦しいのに、鬱を秘密にしなければならない重圧にも苦しんでいた。二重の苦しみであり、脅えながらの治療生活だった。

こうしたタブーや偏見があるからこそ、イニエスタの告白は称賛に値する。だが、そのイニエスタへの拍手が患者や元患者にとって、“告白しないのは勇気がない”という新たなプレッシャーになってはならない、というのは、報道する者として(そして鬱の経験者として)注意しておくべきだろう。

鬱を明らかにするのは勇気のある行動だし、多くの人の励みになるし、社会のタブー視や無理解を正す切っ掛けになるが、隠し続けたってまったく構わない。むしろ、偏見から自分を守ろうとすれば隠すのが当たり前である。

まずは、自分の鬱を治すことが大事。その次に、やりたい人が、したいタイミングで告白すれば良い。告白は義務ではない。

読むと蘇るリアルな鬱の記憶=症状。まずは自分を守る

イニエスタだって発病から告白まで7年かかっていることを忘れてはいけない(発病は2009年夏、初告白は16年出版の自伝)。私の場合は、治療終了から3年かかった。

鬱を語ることは辛いことだ。

「辛い」というのは、過去の記憶として痛々しいというのではなく、フラッシュバックというのか、もっと切迫した心の痛みや体の不調を指す。先のエンケの本を翻訳している時には、嫌な気分になり酷いと吐き気や頭痛もして、何度も中断しなければならなかった。

鬱の記憶というのは不思議なもので、エンケやイニエスタに感情移入していくと、当時の闇がリアルに蘇ってきて鬱が再発したかのようにさえ感じられる。記憶=症状なのだ。治療中はもちろん、治った後でも鬱関係の本を読んだり文章にしたりしていて、あまりに生々しくて途中で投げ出したことが何度もある。

だから、報道者としてイニエスタのことやエンケのことを通じて鬱のことを知らせたい、という願いがあると同時に、辛くなったり苦しくなったら途中で読むのを止めてほしい、とも思っている。ここでも大事なのは、まずは自分を守ることである。

イニエスタは「うつ病」か「うつ状態」か?

イニエスタの病についての日本での報道で気になったことを記しておこう。

一部に「うつ病」ではなく「うつ状態」という曖昧な表現を使っているメディアがあった。これはイニエスタを尊重して表現をボカす日本的な配慮かと思ったが、違った。発信元はあるスペインメディアで、スペイン語の「Estado Depresivo」を日本側は「うつ状態」と正しく翻訳したに過ぎない。

イニエスタはインタビューではっきり鬱(または鬱病。スペイン語で「Depresion」)という言葉を使っている。

病気、ことにメンタルの病気について報じることはデリケートではあるが、イニエスタの目的は公表であり明言であるのだから、伝える側がボカすのはお門違いだ。

また、「心理学者による治療」という表現もあったが、これはスペイン語の「Psicologo」の直訳。辞書を引けば一番に「心理学者」という訳が出て来るのだが、学者は研究はしても治療はしない。「心理カウンセラー」または「臨床心理士」という訳をあてるのが妥当だろう。

鬱の治療の専門家と言えば、心理カウンセラーと精神科医。心理カウンセラーは認知療法などの心理療法を担当し、精神科医は投薬などの治療行為を担当する。ウディ・アレンの映画によく出て来るのが心理カウンセラーでカウンセリングの場所はオフィスまたは自宅。精神科医の方は白衣を着て病院にいる。

私の場合は心理カウンセラーのカウンセリングだけで治ったが、イニエスタもエンケも症状が重かったので心理カウンセラーと精神科医がチームになって取り組んでいた。イニエスタの場合は心理カウンセラー1人、精神科医2人が治療に当たっていた、という。

鬱を報道することは、励みであり希望であると同時に、タブーであり苦い記憶である。後者の痛みとリスクを引き受けながら、前者を伝え続けていくしかない。

※鬱の漢字表記について

表記は「うつ」と平仮名にすることが一般的になっていますが、これだと文章の中で沈んでしまうし、「鬱」という文字の難解さと見た目がこの病の厄介さと患者の気分をよく表していると思うので、あえて漢字にしています。

在スペイン・ジャーナリスト

編集者、コピーライターを経て94年からスペインへ。98年、99年と同国サッカー連盟のコーチライセンスを取得し少年チームを指導。2006年に帰国し『footballista フットボリスタ』編集長に就任。08年からスペイン・セビージャに拠点を移し特派員兼編集長に。15年7月編集長を辞しスペインサッカーを追いつつ、セビージャ市王者となった少年チームを率いる。サラマンカ大学映像コミュニケーション学部に聴講生として5年間在籍。趣味は映画(スペイン映画数百本鑑賞済み)、踊り(セビジャーナス)、おしゃべり、料理を通して人と深くつき合うこと。スペインのシッチェス映画祭とサン・セバスティアン映画祭を毎年取材

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