「日本代表を本気で目指せばよかった」寡黙な男、家長昭博が初めて明かした後悔と海外で変化した人生観

川崎フロンターレで3年目のシーズンを迎えた家長昭博(撮影:平野敬久)

 2018年12月。Jリーグの年間表彰式「Jリーグアウォーズ」で、最も注目されたMVPに輝いたのは川崎フロンターレのMF家長昭博だった。

 川崎に加入してから2年目にしてリーグ連覇に大きく貢献したことが評価されての初受賞。

「このような名誉ある賞を、6得点7アシストという平々凡々な記録でもらうのは心苦しいですけど、本当にありがとうございます」

 控え目な受賞スピーチからは謙虚さがにじみ出ていた。それはピッチで見せる姿においても多少、似ているところがあるのかもしれない。プレースタイルは淡々としていて、あまり感情を表に出すタイプでもない。

 ただ、現在32歳の家長がJリーグを代表する選手へと成長した背景には、数々の経験に裏打ちされた“何か”があるからではないか――。

 去年からそれを聞いてみたいと思っていた。ただ、周辺から聞こえてくるのは、家長は“気難しい”、“本音を中々話さない”という声。

 もちろん、元々口数が少ない選手なのだろう。だからこそ、彼の本心と素顔に迫りたいと思い、インタビューを申し出た。話を聞くうち、そこには、これまでのイメージが180度覆るほど、人間味あふれる“家長昭博”の姿があった。

2018年のJリーグアウォーズでMVPを受賞した家長昭博(写真:YUTAKAアフロスポーツ)
2018年のJリーグアウォーズでMVPを受賞した家長昭博(写真:YUTAKAアフロスポーツ)

 昨年のJリーグMVP、それも元日本代表選手というトップアスリートを前に、初対面でこんなことをいきなり聞くのは失礼だと思ったが、すでに口が先走っていた。

「家長選手は取材が嫌いだと聞いたのですが」

 すると、家長は表情を変えず淡々とこう答える。

「別に好んで出たい感じはないんです。それに自分からはそういう風に言っていないんですよ。『取材は好きか、嫌いか?』と聞かれたら、『あまり好きではないかもしれないです』と言うだけです。それにあまり目立ちたいとかもなくて」

 そう言われると少し身構えてしまいそうだが、第一印象として私は決してそうは思わなかった。

 むしろ、家長から感じる雰囲気や話し言葉で、周囲が半ば強引に“気難しい”と思ってしまっている部分が、多少なりともあるのではないか。

 決して心を開かない選手ではなく、自分のことをより客観的にとらえ、物事を深く考えているプロサッカー選手だった。

プロ14年で9つのクラブを経験

 家長は幼少期から“天才”と呼ばれていた。学生時代からエリート。一方でプロになってからの人生は“苦労人”だ。プロ人生の14年で渡り歩いたクラブは9つにもなる。

 それこそ誰もが経験できるものではないが、それだけ、多くの苦労を乗り越えてきたとも言える。

 家長はガンバ大阪のジュニアユース、ユースを経て2004年にトップチームへと昇格。その後、08、09年に大分トリニータと10年にセレッソ大阪に期限付き移籍した。

 さらに11年にはスペイン1部のマジョルカでプレーし、そこから出場機会を求めて、韓国の蔚山現代FCと古巣のガンバ大阪に期限付き移籍してプレーしている。13年にはマジョルカに復帰したが、その後は日本へ。

 14年からは大宮アルディージャに完全移籍。そして17年から現在の川崎フロンターレに籍を置いた。

 川崎は17年と18年にリーグ2連覇を達成。サッカーは団体競技であり、11人でやるスポーツ。誰か一人で勝利できるものでもない。ただ、32歳になる家長の成長ぶりには目を見張るものがあった。

 元々、定評のあるテクニックは健在で、中盤で作り出す緩急のリズム、フィジカルの強さを生かした攻守への貢献度は高かった。“天才”と呼ばれた形容詞が、ようやくピタリと当てはまった、と言っては大げさだろうか。

川崎では攻守において高いパフォーマンスを発揮。今季も活躍に期待がかかる(写真:築田純アフロスポーツ)
川崎では攻守において高いパフォーマンスを発揮。今季も活躍に期待がかかる(写真:築田純アフロスポーツ)

 ただ、今シーズン、開幕してリーグ5試合を消化し、1勝3分1敗と決して好調とは言えない。家長ももちろんそこは悩みの種だ。

「チームはやっぱり、まだうまく波に乗れてない部分はあると思います。新しいチームになって毎年、感じる難しさを今も感じながらやっています。でもリーグは長いので、みんなで前向きにチームを作っていければいいと思ってやっています」

 今もなお模索し続けるチームと個人のスタイル。パズルのように自分をチームにフィットさせるために、努力し続けている最中でもある。

 ただ、家長にはこれまでも難しい状況を乗り越えてきた経験がある。そこには自信も見え隠れする。

「去年、僕個人としては何か突出したものを残せたシーズンではありませんでした。それは自分でも分かっています。チームが優勝できて、その中から『誰かにMVPを』ってなった時に、たまたま自分が選んでもらったっていうような感じはありました。それに、今年は今年のチームなので、自分がどういう風に立ち回るべきか、自分の役割をいろんな部分で模索しながらやっています。その辺もポジティブにやっていけたらいいなと。それにこれまで大なり小なり、いろんな経験はしてきました。それは僕の人生において生きてくると思います」

 そう言って家長は、海外クラブ在籍時代を感慨深く振り返り始めた。

「海外に出て自分がちっぽけに見えた」

 家長が海を渡り、プレーした海外クラブは2つ。スペインのマジョルカと韓国の蔚山現代FCだった。

「海外は文化が違うので、やっぱり考え方も違いますし、その土地に慣れていく、生きていくというのはとても大変です。現地の言葉でコミュニケーションを図るのは難しいですし、サッカーのレベルも高い。競争もJリーグより激しい。すべてが厳しい世界の中で戦わなくちゃいけない。毎日、自分との葛藤であり戦いでした。周りに誰も助けてくれる人がいない中で、人としての強さだったり、選手としても強くないと、海外で成功するのは難しいですよ」

 家長は11年のスペイン1年目、マジョルカで14試合2得点、2年目は4試合出場に留まり得点はゼロ。13年も7試合に出場してノーゴールで終わっている。さらにKリーグの蔚山現代FCでは12試合1得点という結果だ。

スペインと韓国での海外生活で家長は「見えない景色が見られた」と語る(撮影:平野敬久)
スペインと韓国での海外生活で家長は「見えない景色が見られた」と語る(撮影:平野敬久)

 それでも蓄積してきた経験はすべてムダではなかった。

「海外に行くというのは、見えない景色が見られるってことだと思うんです。日本だけで生活しているのは分からないことがたくさんありましたし、やっぱり世界は広いんだって、そう単純に思います。自分がよりちっぽけにも見えましたから。だからこそもっと頑張らないといけないなって、改めて思うようになりました。もちろん、サッカー選手としてシンプルに言えば、まだ自分がやったことないような環境でやりたかったっていうのもあります。違う文化にも触れたいし、異文化のサッカーにも触れたかったんです」

忘れられないナイジェリア選手の言葉

 そのあと家長は、少し何かを考えていた。「言っていい話なのかな」と戸惑っていたが、マジョルカ時代の貴重なエピソードを一つ教えてくれた。

「マジョルカ時代に仲が良かった当時20歳のナイジェリア人の子がいたんです。彼は練習にいつもおしゃれをして来るので、ご飯を一緒に食べてる時に『何で毎日、おしゃれにしてくるの?』って聞いたんです。そしたら彼が笑顔でこう言うんです。『自分は黒人だから、誰よりもきれいにして、きれいな服着て、いい匂いの香水をつけていないとダメなんだよ』と」

 家長はその時、「ハッとした」という。

「それを聞いた時に、色々と考えさせられましたね……。彼らのルーツのこと、それに自分のアイデンティティーのことだったり。そういうのって、実際に話してみないと分からないなと実感した瞬間でした」

 正直、家長の口から“アイデンティティー”という単語が出てくるとは思っていなかった。

海外でのプレーで「生きていくことの意味、自分で生き抜いていく強さ」について考えさせられたという家長(撮影:平野敬久)
海外でのプレーで「生きていくことの意味、自分で生き抜いていく強さ」について考えさせられたという家長(撮影:平野敬久)

「自分は日本人として、日本で育ちましたけど、一つの国に同じ民族だけが住んでいる国って、ほとんどないじゃないですか。そういう中で生きていくことの意味とか、どうにか自分で生き抜いていくっていう強さというか……。改めて人の強さについて、考えさせられたのを思い出します。やっぱり僕自身が想像だけで考えていることって、すごくちっちゃいと思うんです。この世界では色んな人が生きている。僕はサッカーの中だけですけど、いろんな人種のチームメイトがいて、みんなが自分のプライドとか、生きてきたバックボーンを抱えながらサッカーで成功しようと戦っている。そういう土壌は何なのか。だから僕がすごく勉強させられました」

 日本では絶対に経験できないこの貴重な経験こそが、現在の家長を作っている。そう実感できるほどに彼の言葉は重みがあった。

「韓国選手の意識はチームメイトは家族」

 一方で、韓国の蔚山現代でプレーした家長は、そこでも成長を感じられたのだという。日本と韓国と言えば、どうしても政治の世界でギクシャクした関係のこじれからくるイメージが先行してしまいがちだ。

 家長もまた「最初はどう受け入れられるのか」と心配はしていたという。だが、それも杞憂に終わる。

「僕も初めは韓国の方が、どういうふうに日本人のこと見てくれるのかっていうのは、多少は気にはしていたんです。でもいざ、そこに入ってみるとみんなが優しくて、本当に自分のことをチームメイトとして大事にしてくれた。韓国の選手はフィジカルが強く、相手に対してとても激しく当たったり、試合の中で熱くなりすぎる場面もよくありますよね? でも、あれって、チームメイトや家族を守ろうって意識がすごく強い人が多いからなんです。彼らにとって、チームメイトは家族と同じくらい大事な存在なんです」

 現在、Jリーグのヴィッセル神戸に所属するGKキム・スンギュと家長は、蔚山で同僚だった時期がある。「彼にはソウル市内とか、よく色んなところに連れていってもらいました」と懐かしむ。

 さらに大宮アルディージャでプレーしたことがあるDFイ・ホ(ムアントンユナイテッド)とも蔚山でチームメイトだった。

川崎でのシーズン3年目。家長は「3連覇は課された使命」と語る(写真:築田純アフロスポーツ)
川崎でのシーズン3年目。家長は「3連覇は課された使命」と語る(写真:築田純アフロスポーツ)

「彼なんて僕が韓国での試合でアウェーの遠征先のホテルにいたら、『アキ!ちょっと出掛けるぞ!』っていって連れ出してくれて。買い物で僕に色々なものを買ってくれて、ご飯も食べさせてくれました。すごく良くしてくれてかわいがってもらいましたし、楽しかった思い出が多いです」

 家長は日本を出ることで、サッカー選手である自分と同時に、自分自身の生き方や考え方を見つめなおす機会になった。そして、生きていくための強さとは何なのかについても考えるようになった。

 この時すでに私の中では、家長が“取材嫌い”だという先入観は完全に消え去っていた。

20代の自分に言いたい「時間を大切に」

 ここからは家長の人生観の話だ。現在32歳。サッカー選手としてはもうベテランと言ってもいい。

 ただ、今では若かりし頃と違って、年齢を重ねるごとに、落ち着きや余裕みたいなものが生まれているのではないか。それがプレーの幅を広げているのではないだろうかと思っていた。

「いや、本当に余裕なんてないんですよ。余裕がないから、やっぱり毎日の積み重ねが大事なんです。それに尽きるというか、自分が自信を持ってプレーできるように、毎日準備しています。1年後、半年後、自分がどこでどうなってるのかなんてほんとに分かりませんからね」

 そこで家長に聞いてみたいことがあった。子供のころに想像していた自分になれているのかどうか――。

「正直、こんなに長くサッカー選手ができるとは思ってなかったです。逆に言うとこんな年齢までサッカーできるんだなというのもあります」

 つまりは30代を超えてサッカー選手である自分が想像できなかったということだろう。

 そこから10代、20代の自分に一言いうなら、どんな言葉をかけてあげたいかについても聞いてみた。

「10代はもっとサッカーも頑張って、もっと遊べって言います。本当にサッカーしかしてこなかったんで。10代にしかできない経験がいっぱいあるだろうなと今になって思います。20代の僕には『あっという間だぞ、だからお前は時間を大切にしろ!』って言いたいです(笑)」

 20代はプロサッカー選手として、いろんなクラブで結果を残すために必死で駆け抜けてきた時期だ。紆余曲折を経ての今、家長が「あっという間」だったと思うのは至極当然のことかもしれない。

 すると家長が逆質問してきた。「今年で33歳になるんですけれど、30代ってどうですか?早いですか?」と。

 世間一般的には歳を取るのが年々、早いと感じる人が多いのは確かだろう。どの職業も関係なく、どんな人でも一概にそう言うのではないか、と家長に言った。

「この年齢でJリーグで優勝できるチームでできているのは、恵まれたこと。感謝しないといけない」(撮影:平野敬久)
「この年齢でJリーグで優勝できるチームでできているのは、恵まれたこと。感謝しないといけない」(撮影:平野敬久)

「やっぱりそうですか」と言い、家長は「自分の人生をより充実させたい」と言い切った。

「今はサッカーができるっていう幸せがあります。この年齢でJリーグで優勝できるチームでできているのは、恵まれたことだと思います。それにまず感謝しないといけない。それは充実している部分です。その半面、何か満たされてないのもあります」

日本代表へのモチベーションに後悔の念

 満たされていない部分とは一体なんなのか。それがとても気になった。

「僕はサッカー選手なので、節目でいろんな岐路に立たされていくと思うんです。選択もしていかないといけない。そうなった時に自分の気持ちに正直に生きていければいいと思います。それは10代、20代の時と変わりなく、30代も好奇心旺盛に、いろんなことに対して楽しみを持ちながら生きていきたいとは思っています」

 淡々とした口調が少しずつ饒舌になり、会話が弾む。

 家長は人生の岐路に立たされたとき、その選択や決断に対して、絶対に後悔だけはしないように突き進んできたのだろう。

 選手引退後の人生について、特別に何かやりたいことがあったり、進みたい道を絞り込めているような言い方にも聞こえた。

 話の最中、日本代表の話題も出た。家長は代表選手としては実績はなく「当時は代表に強い想いはなかった」と正直に答えていた。

「でも今、この年になって後悔はしています。代表をもっと目指して、モチベーションを持ち、代表に選ばれたい、活躍したいって思えなかった自分に後悔しています」と正直に吐露した。

「これからどのような選択をして生きていくべきかと、考えることが多くなった」と語る家長が描く未来には、何が待っているのだろうか。興味は尽きない(撮影:平野敬久)
「これからどのような選択をして生きていくべきかと、考えることが多くなった」と語る家長が描く未来には、何が待っているのだろうか。興味は尽きない(撮影:平野敬久)

 最後に聞いた。これから達成したいことについて。

「川崎の3連覇は課せられた使命みたいなところがあります。並行してほかの大会もあるので、できればすべてのタイトルを取る気持ちでやります。チームが優勝したときにしっかり貢献できた、力になれたと思えるようにがんばりたい」

「どういう生き方をしたいか」

 さらにその先、何を見据えているのか。将来的に描いているものがあれば、教えてほしいと聞いた。

「これからどのような選択をして生きていくべきかと、考えることが多くなったかもしれません。チームを決める時もそうなんですけど、選択は本当に大きな決断です。歳を重ねてサッカーをずっと続けたいという感覚はあまりなくて、どういう生き方をしたいか、です」

 そういえば、とおもむろに家長が切り出した。

「息子2人を川崎フロンターレのサッカースクールに入れてるんですけれど、最近、小学1年の下の息子が『引退します』っていきなり報告してきたんですよ。なかなか面白いな、こいつと思って(笑)。僕も家族を振り回してしまっているので、息子も好きにしたらいいと思います(笑)」

 そう言って最後に笑顔を見せてくれた。昨年のJリーグMVP受賞は、ピッチ上で見えたプレーの結果だけではないのかもしれない。

 奥深さのある言葉や思考から“人間・家長昭博”を見た気がした。

<プロフィール>

家長昭博(いえなが・あきひろ)/1986年、京都府生まれ。ガンバ大阪ジュニアユース、ユースを経て、2004年にトップチームデビュー。この頃から天才と呼ばれた。大分トリニータとセレッソ大阪に期限付き移籍してプレー。2011年にはスペイン1部のマジョルカへ移籍。出場機会を求めて、韓国Kリーグの蔚山現代や古巣のガンバ大阪に期限付きでプレー。2013年にはマジョルカへ復帰。2014年から3年間、大宮アルディージャでプレーし、J1復帰に貢献。2017年に川崎フロンターレに移籍し、リーグ2連覇に貢献した。

【この記事は、Yahoo!ニュース個人の企画支援記事です。オーサーが発案した企画について、編集部が一定の基準に基づく審査の上、取材費などを一部負担しているものです。この活動は個人の発信者をサポート・応援する目的で行っています。】