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世界の百獣の王へ。武井壮、タイ映画デビュー。〜難攻不落の城のように

木俣冬フリーライター/インタビュアー/ノベライズ職人
タイ映画の現場にて 写真提供:SPECIALIST JAPAN

陸上競技、十種競技の元日本チャンピオンにして、「百獣の王を目指す男」として芸能界でも身体能力の高さを生かして活躍する武井壮さんが、海外に進出。タイ映画デビューを果たした。

40代はタレントとして、50代はグローバルなアクション俳優として、武井さんの目標は果てしない。

すでに2本もタイ映画に出演

――タイの映画に出られた経緯を教えてください。

武井壮(以下武井)「40代の10年間、日本の芸能界で思っていた以上の活動ができました。50代は、新しいゴールとして海外をターゲットにし、世界のエンターテナーを目指そうと考えています。まずどこから行こうかと思ったところ、僕がちょうどタイのゴルフのシニアツアーのアンバサダーになり、ご縁があるところから営業を開始して、程なく映画のオファーを頂きました。すでにタイで2本撮影してきました。1本は情報解禁前ですが、もう1本は『TA BONG PLUMタ ボン プラム』(PAKPHUM WONGJINDAパークプーム・ワォンジンダー監督)という怪物が出てくる映画です。1作目の『THE ONE HUNDRED』という作品の反響の大きさから制作された続編に、日本の軍人タケシ役で出演しました。日本での知名度を評価して頂き、出演へと繋がりました」

――以前も海外の映画に出ていますよね。

武井「インド映画の『ミルカ』(15年)は役名もないエキストラでした。今回ははじめて役名付きのオファーを頂きました。日本でもこれまで毎年何作か、ドラマや映画に出させていただいていますが、タレントの武井壮としてのゲスト扱いの出演が多く、俳優としてのキャリアはゼロからの気持ちです。今回のタイ映画をデビュー作と捉えて臨みました。撮影の前に体重を増やさないといけない仕事をやっていたので、3週間で7、8キロ落として臨みました。クランクインでは、芸能界にデビューした頃のような気持ちが湧き上がって嬉しかったです」

――タイの映画の現場はいかがでしたか。

武井「撮影はバンコクから車で6時間ぐらいかかるカンチャナブリというエリアの、山中の洞窟でした。早朝5時の現場入りでしたが、撮影の予定がずれにずれて、結局僕の出番は夕方でした(笑)。でも、洞窟の手前に立てられたテントを楽屋代わりに待機している間、僕の部下役でキャスティングされたタイ在住の日本人の方やタイ人のスタッフさん達と雑談している時間がすごく心地よかった。日本だと、タレントとして名前が売れてきてからは、すごく丁寧に扱っていただくようになって、ありがたいと同時に、ちょっと複雑な気持ちがありました。丁寧に扱われすぎて、フラットな人間関係に飢えていた。でも、タイの現場はスーパーフラットで、デビュー時のような、人情味あふれる関わりが自然に持てる環境で嬉しかった」

――日本からも、都会からも遠く離れた山の中は不便そうですが、そうは感じませんでしたか?

武井「僕はどんなところにいても、『いまの俺の時間、いいね』と思いたいんです。ジャングルでも洞窟でも、おお!いいね!って。撮影中は、泥水にまみれても、洞窟でムカデやらいろんな虫に刺されても気にせず、楽しめました!待ち時間すら有意義に感じられたのが嬉しかった」

――アクションシーンはお手のものでしょう。

武井「車を運転したり刀や銃を使って戦ったりというシーンがありました。刀や銃は僕の専門ではないので事前に研究を重ねました。ただ、“戦う”という精神性は、これまで、“戦う”をテーマに芸能界でやってきたので、それが演技に生かされたのではないかと思います。監督は、戦う表情がいいねと喜んでくれました」

「TA BONG PLUMタ ボン プラム」のパークプーム・ワォンジンダー監督と。写真提供:SPECIALIST JAPAN
「TA BONG PLUMタ ボン プラム」のパークプーム・ワォンジンダー監督と。写真提供:SPECIALIST JAPAN

――朝ドラ『カムカムエヴリバディ』(22年度後期)でも軍人の役で出演されましたが、わずかな出番ながら、鍛錬された人物であることや求道の精神があるように見えるのが、武井さんの良さだと感じます。

武井「スポーツをやってきたことが役立っていると思います。若い頃からずっと戦ってきているので。例えば、100メートル走のスタート前の集中した場面などは、戦いの前の表情や心境と近しいものがあると感じています。試合に臨むにはすごく覚悟がいるんですよ。それまでの積み重ねを試されるから。これまで自分がやってきたことが間違ってないか、正しい努力をしてきたかは、試合が終わって初めてわかるので、スタート前は、不安と、自分の傾けてきた情熱や、想いみたいなものがぐっちゃぐちゃに交錯した瞬間なんですよ。少しの不安や恐怖も含んだ表情が、多分リアルな戦う表情に繋がってるのかな、と思っています」

――それが想像ではなく、身体の記憶にすでにあるのがいいのだと思います。

武井「演技を専門にやってきた人達と対峙するので、彼らより多く経験した事があるもの、それを支えにしながらカメラの前に立っています。日本では先日、広島にある女子野球チームの実話を映画化した『HEROINES(ヒロインズ)』に野球のコーチ役で出演して、そのときは監督が僕のトレーニング理論をセリフに反映したいと言ってくださって。セリフのみならず、実際にトレーニング場面も盛り込まれました」

僕ならどんな俳優よりも美しく速く走って跳べると思う

――俳優になったきっかけはお兄さんだったそうですが、ご自身も子供のときから映画は好きだったのでしょうか。

武井「子供の頃から映画もアニメも大好きで見ていましたが、まさか自分が出る側になるとは思っていませんでした。兄が俳優を目指して養成所に通いながら、俳優さんのかばん持ちをして修行をし始めたときも、芸能人なんかになれるわけないのに、と正直、理解できなくて。ところが兄は夢をかなえて、有名な方々と共演するようになったんですよ。一生懸命やってきたことを全国の人が見られる場所で発表できていることに感動しました。アスリートにとっては、スポーツの全国大会に出場するような事、この先どんな物語が待っているのか楽しみになってきた頃、兄は志半ばで病に倒れ亡くなりました。そんな兄の夢の続きを演じるために、30代からは芸能の修行をはじめました。39歳でバラエティからスタートして10年、次は俳優も含めた活動を。ずっと兄と2人で一緒にやっているような感覚なんですよね」

――武井さんが最初に夢中になった映画は何ですか。

武井「『少林寺』(82年)が衝撃的でした。ジェット・リーことリー・リンチェイのカンフーアクションが群を抜いて素晴らしくて、すげえ、僕も武術やりたい!と思って空手を習い始めました。それを経て、ブルース・リーやジャッキー・チェンなどの格闘映画にハマり、子供ながら身体を鍛えまくったので、それがスポーツにも今の仕事にも活きている。これからは彼らのように、アクションをしながら芝居を成立させられる俳優を目指したいですね。リュック・ベッソン監督の『YAMAKASI ヤマカシ』(01年)という映画にも影響を受けました。パルクールの名手である、ストリートパフォーマー集団“ヤマカシ”のアクション満載の映画で、高層ビルの壁面を登ったり、屋根から大ジャンプしたりする映画です。CGではなく、本当に飛び回ってる躍動感と肉体に感動したんです。僕の身体能力やスポーツの技術も、そういう作品で輝けるよう今も鍛え続けています」

――いま、日本では新しい時代劇が模索されていますが、そちら方面はどうですか。

武井「Disney+の『SHOGUN 将軍』やNetflixの『忍びの家 House of Ninjas』は僕も早速見ました。『SHOGUN』のプロデューサーでもある真田広之さんは、僕の子供の頃からずっとアクションスターで、世界でも、彼の殺陣はトップクラスだと思うんです。彼を見ていても積み重ねに勝るものはないと感じます。60代でもまったく見劣りしないというか、むしろ、若い頃よりも切れ味が増している気がして。美しく刀を抜いたり振ったりする姿は圧巻です。そういう意味では、僕ならどんな俳優よりも美しく速く走って跳べると思うし、野球のスイングやゴルフのプレーも本格的にできる、それは武器になり得ると思っています」

――アクションと一括りにはできない、それぞれ細分化されているということですね。

武井「自分なりのジャンルみたいなものを開拓したいですね。僕は俳優さんの魅力って“城”みたいだな、と思うんです」

――城ですか。

武井「城って全部違うじゃないですか。形も違うし、建っている地形も違う。姫路城だったら優美な白い城で、熊本城は堅牢なイメージ、大阪城は圧倒的な規模、名古屋城は鯱鉾が印象的……とそれぞれに特性がある。俳優のアクションにもそれぞれキャラクターがあります。例えば、マ・ドンソクは、一撃で相手をふっ飛ばすメガトンパンチが売りのアクション、トム・クルーズは美しくて多機能なハイテク装備を使いこなす。シュワルツェネッガーは最強の肉体美を誇る無敵の男。シルヴェスター・スタローンはどんなにやられても絶対に立ち上がる不屈の精神。ジェイソン・ステイサムはスーツでパリッと決めて空手ベースのゴツゴツした打撃。どれも城のようなハッキリとした違いがある。そんな個性を持つ人が世界のトップスターになっている。日本でも岡田准一くんや、山崎賢人くん、佐藤健くん、個性の輝くスターがいますよね。そんななかで僕はーーどんな攻撃も効かない難攻不落の城になりたいですね。身体能力の高さだけではでなく、僕の強みは困難を跳ね返す強さ。どんな境遇でもへこたれない。ほんとうに常にいろいろなことが起きるんですよ。親がいなくなったり、兄が亡くなったり、大学時代は阪神淡路大震災で被災したり、背骨が折れたり、今年の正月は金沢に旅行に行ったらまた地震に遭遇して、スペイン旅行で車上荒らしに遭って荷物全部盗られたり(笑)。だから映画の中でも打撃を受けたり攻撃されたり刺されたり撃たれたり、様々な攻撃を受けるけれどいっさい効かないというキャラをいつか確立したいです。ブルース・ウィリスとちょっとキャラがかぶるかな(笑)」

――アクションに特化した俳優をやりたいですか。例えばラブストーリーの仕事が来たら?

武井「やりたいですね、経験はさほどでもないけど(笑)。物理的な攻撃は効かないけれど恋愛はすぐ効いちゃうみたいなのでもいいですよね(笑)」

――誰とも違う自分だけの個性を引っ提げて世界に挑むと。海外移住計画を考えていて、番組までやられているそうで。

武井「拠点は地球なんで。たまたま日本に生まれただけで、これまでも、アメリカからアジアまで、いろんなところで生活してきました。いまは仕事が多いから日本にいますが、これからも拠点を決めずに生きていきたいと思っています」

――海外進出にあたって英語が話せるのは有利でしょうね。

武井「アメリカ生活も経験しているので、一応コミュニケーションが取れるくらいの英語は話せます。これをもうちょっとブラッシュアップして、日本語で話すレベルに近づけたいと思っています。日本語だったらもっとたくさん楽しいことが言えるし発想もその場で浮かんだものをそのままストレートに言えますが、ユーモアみたいなものまでは英語ですんなり出てこないんですよ。ネイティブのように会話が出来るようになればチャンスはもっと広がると思う。タイ語もしゃべれるようになりたいし、行った先々の言語はやっぱり全部できるようにしたいですね」

――タイ映画「TA BONG PLUM」のセリフはタイ語だったのでしょうか。

武井「日本人兵士の役なので全部日本語でした。むしろ、監督から、例えば、軍人が部下に指示を出すとき、日本語ではどういう言葉が適切なのかなどと聞かれました。日本人がキャスティングされた意味はそこにあったような気がします。英語や多国籍語を話せることも武器になりますが、日本人の役があり、日本の文化を描きたいという海外の現場では、日本語を話せることも武器のひとつですよね」

――海外に拠点を持って、英語が話せて、アクションができたら、オファーが殺到しそうです。

武井「まだスタート地点に立ったばかりですから、作品があれば自腹でもどこへでも行くよと思っています。収入にはならなくても経費にはなるでしょうし(笑)。ばかにならない渡航費用を制作側に負担させる事で仕事が限定されるくらいだったら、自腹を選びます。まずはそこからです。50代はまだはじまったばかりであと9年間ありますから、これまでの10年を思うと時間はあるなと。コツコツやっていきたいと思っています」

――60歳までにまだ9年あるという考え方がいいですね。50代で元気がない人もいっぱいいると思うので、こういうお話には元気をもらえるのではないかと。

武井「50年分の経験と知識があるわけですから、今が最強だと思うんですよ。ただし、磨かないと強さは表面に表れてこないので、磨いていこうぜと(笑)。これは一般の方の参考にはなりませんが、僕は最近、ご飯に行く時、家から100mダッシュと100m歩くのを繰り返しながら移動して現地まで行くことを習慣にしています。トレーニング時間がなかなかとれないので日常生活の移動をトレーニングに使うことにしたんです。昨日は2.4キロ離れたお店だったので100mを往復で24本走りました。陸上選手でも1日、100mを24本なんて走らないですよ。さすがに50歳だから、現役時代のスピードは出ませんが(笑)俳優界最強を目指します」

そんなことを言いながら、武井さんは取材を終えると、取材場所から走ってどこかへ向かっていった。その手足の筋肉の迫力とぐんぐん遠くに行く速さは尋常ではなく、行き交う人は皆、びっくりしたように刮目していた。

タイの山中で日本の軍人役を演じた武井壮さん。写真提供:SPECIALIST JAPAN
タイの山中で日本の軍人役を演じた武井壮さん。写真提供:SPECIALIST JAPAN

profile

Sou Takei

1973年5月6日東京都葛飾生まれ。元・陸上十種競技日本チャンピオンにして、格闘技、野球、ゴルフなど、さまざまなスポーツの経験を生かし、テレビやラジオなどのメディア出演を中心に活動。俳優としての出演作品に、映画では2015年の「振り子」のほか、インド映画「ミルカ」、岩井俊二監督作「8日で死んだ怪獣の12日の物語」など、大河ドラマ「いだてん~東京オリムピック噺」、連続テレビ小説「らんまん」「カムカムエヴリバディ」「花子とアン」などに出演している。短編映画「HEROINES(ヒロインズ)」が公開中。「TA BONG PLUMタ ボン プラム」はタイで24年11月公開予定、日本公開未定。

フリーライター/インタビュアー/ノベライズ職人

角川書店(現KADOKAWA)で書籍編集、TBSドラマのウェブディレクター、映画や演劇のパンフレット編集などの経験を生かし、ドラマ、映画、演劇、アニメ、漫画など文化、芸術、娯楽に関する原稿、ノベライズなどを手がける。日本ペンクラブ会員。 著書『ネットと朝ドラ』『みんなの朝ドラ』『ケイゾク、SPEC、カイドク』『挑戦者たち トップアクターズ・ルポルタージュ』、ノベライズ『連続テレビ小説 なつぞら』『小説嵐電』『ちょっと思い出しただけ』『大河ドラマ どうする家康』ほか、『堤幸彦  堤っ』『庵野秀明のフタリシバイ』『蜷川幸雄 身体的物語論』の企画構成、『宮村優子 アスカライソジ」構成などがある

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