”昭和の未解決事件”を題材にした「罪の声」を最強の布陣で映画化したTBSのエースの手腕

「罪の声」より 写真提供:東宝

昭和の歴史に残る未解決事件を題材にしたベストセラー小説「罪の声」が小栗旬と星野源の映画初共演、野木亜紀子の脚本で映画化された。監督は土井裕泰。TBSで長年ヒットドラマや映画を撮ってきたベテランで、近年では「カルテット」や「コウノドリ」など話題のドラマを手掛けている。小栗、星野、野木という才能が集まったのは土井への信頼感からだ。TBSドラマが絶好調と言われる今、土井監督が、時代が変わっても前線でヒット作を生み出し続ける理由はなにか。そしてこれから求められるエンタメとはどういうものか……。長年、一緒に仕事をしてきたプロデューサー植田博樹と語り合う。

小栗旬と星野源と打ち合わせ中の土井監督 「罪の声」撮影現場より 写真提供:東宝 
小栗旬と星野源と打ち合わせ中の土井監督 「罪の声」撮影現場より 写真提供:東宝 

映画「罪の声」の原作にない場面の意味

植田:土井さんには、僕が最初にプロデュースしたドラマ「総理大臣誘拐される」(1991年)で助監督をやっていただいたんですよね。

土井:「新鋭ドラマシリーズ」の一作、植田さんのデビュー作だね。

植田:はい。そこから「GOOD LUCK!!」(2003年)や「オレンジデイズ」(2004年)など多くの作品で一緒に仕事をしてきた中で、土井さんの演出回には、役者が自然と自分を出している感じがして、それがすごくすてきだと思っているんです。

土井:ある俳優の方から「演出家を料理人にたとえると、盛り付けにこだわる演出家もいるけれど、土井さんは調理の仕方そのものにこだわる人だよね」と言われたことがあります。「どう撮るか」というよりも「なにを撮るか」に興味があるって意味だと思うけど、確かに、まず芝居として面白いものを作ること、組み立ててゆくってことが最優先で、どう撮るかはその次のことだと思ってますね。だから俳優さんたちには、まずは自由にやってみてもらうことが多いです。

植田:ほしい画のために現場の空気を支配するディレクターもいる一方で、土井さんは現場にフラットに入ってきて、自然に空気を持ち上げますよね。

土井:そういう意味では存在感はないよね(笑)。なんかぬるっと現場にいるでしょ。

植田:うん、ぬるっといる。土井さんが後ろに立たれていることに気づかずに、ずっと脚本の原稿を直していたなんてこともありましたよ。

土井:性格的なものもあるとは思うけど、割とこっそり存在していたいタイプです、常に(笑)

植田:「罪の声」はどこまでが台本で、どこからが土井さんの演出か、台本を読んでいない僕には分からないけれど、例えば、主人公の阿久津(小栗旬)と俊也(星野源)が海沿いで語り合うシーンやラストのふたりの空気感は土井さんのアイデアなのかなと勝手に思って観ました。

土井:あれは脚本の野木亜紀子さんのアイデアです。原作にないシーンなんだけど。とても情報量が多い原作だったので、1本の映画にしたとき、ただのダイジェストに陥ってしまう恐れがあって。何とか、阿久津と俊也、主人公2人の関係性を軸にしてドラマを作りたいという使命感が、野木さんもプロデューサーも含めみんなの中に最初からあって、そこから生まれたシーンです。

植田:その2つのシーンでは、役者がストーリーの制約からぽん!と離れて、ひとりの人間として存在するシーンに見えて、そこが土井さんらしいなと思いました。

土井:ミステリーに限らず、どんなドラマや映画でも、ストーリーを運ぶためのシーンではない「隙間」みたいなものをどこかに作りたくなるんだよね。あのシーンも、とても大事なことをしゃべってはいるけれど、その内容というよりは、2人の間に流れてる気分というか、相手に対して今どんな気持ちが生まれたか、それだけが伝わればいいと思って。

植田:そうですよね。海のシーンは、事件を追う阿久津と、事件に関わっているらしい俊也の攻防かなと思われたりもするでしょうね。実際、うちの嫁は予告を見てそう思っていたんですよ。でも僕には、事件に巻き込まれた人とそれを解きほぐそうとする人間の心の交わりが、少ないカットの中ですごく感じられました。

土井:ああいうところはワンカット長回しで見せたいと思いますよね。 阿久津と俊也はほんとにふたりとも“普通”の人なんですよ。阿久津は記者として過去の事件を追ってはいるけれど当事者ではない。俊也は、過去の事件にどう関わっていたのかという謎を抱えてはいるけれど、ただひたすら誰かの話を聞くことしかできない。映画の主人公にしては地味ですよね。わかりやすいアクションシーンのような見せ場もないし。演じる上での武器は持てないっていうか、丸腰で戦わないといけない、すごく難しい役だったと思います。だからこそ、事件の真相を追うストーリーとは別のラインで、彼らの人間の生っぽい部分や二人の間に友情が生まれてくる過程を並行して描ければ、この映画がもっと豊かなものになるんじゃないかと考えたんです。

全身から叙情性が漂う小栗旬 「罪の声」より 写真提供:東宝
全身から叙情性が漂う小栗旬 「罪の声」より 写真提供:東宝

若いひとたちに観てもらうために

植田:「罪の声」のモチーフになった事件が起こった1984年、僕はちょうど多感な学生だったから、犯人との攻防や真相にすごく興味があったけれども、「罪の声」では事件自体だけでなく、事件自体でない部分にも力を注いでいるように感じました。脚本づくりは相当時間がかかったのではないかと思います。

土井:たくさんディスカッションを重ねる中で、ちょっと途方に暮れるような瞬間もあったりはしたけど(笑)最終的にこの形に向かいました。事件があったとき、僕は20歳で、劇場型犯罪という意味ですごく記憶には残ってました。今回この作品をやるにあたって改めて事件のことを調べましたけど、色んな側面があって本当に奥が深くて興味が尽きない。関連書籍も山ほど出ていて、近年では、NHKの「未解決事件」というスペシャル番組もとても優れていた。この事件にまつわる話を映像化するとしたら僕ら世代――40代後半から上の世代のノスタルジーみたいなものがどうしても強く入ってしまいがちですが、今回はその感覚で作ることはやめようと思いました。そもそも、もはや観客の半分以上は元の事件を知らないですしね。

植田:そうですよね。小栗さんと星野さんのファンで映画を観に来た人は、ほとんど知らないでしょうね。

土井:そういう人たちが観ても面白いと思うものにしたいし、純粋に1本の映画として外国の人にも見たら面白いと思ってもらえるものにしなればと思いました。また、劇中1960年代後半の学生運動の場面も出てくるんですが、これは僕よりももっと上の世代の話で、僕自身も想像力を働かせなければならない部分でした。でも、昨年あたりからの香港で起きていることを見たりすると、これは遠い昔の話ではない、今の自分たちの世界とダイレクトに繋がっている話だとも感じましたね。

京都でテイラーを営む職人的な人物を演じる星野源 「罪の声」より 写真提供:東宝
京都でテイラーを営む職人的な人物を演じる星野源 「罪の声」より 写真提供:東宝

俳優の気持ちがなぜわかるのか

植田: 土井さんがエンターテインメントの世界を志されたきっかけを教えてください。

土井:僕は1964年、前の東京オリンピックの年に生まれました。オリンピックをきっかけに普及したカラーテレビとともに育った世代。いわゆるテレビっ子でした。TBSの番組でいえば「8時だヨ!全員集合」(69 年〜85年)や「ザ・ベストテン」(78年〜89年)など。中でもドラマはすごく好きでした。とくに昔の久世光彦さんのドラマ「時間ですよ」シリーズ(65年〜90年)、「寺内貫太郎一家」(74年)、「ムー一族」(78〜79年)とかにすごく影響を受けました。歌もコントもなんでもありで、でも最後には、家族の物語にじーんとさせる。子どもながらに、ドラマって面白いなあと思って見ていました。倉本聰さんの「前略おふくろ様」(75年〜76年)、向田邦子さんの「阿修羅のごとく」(79年)、山田太一さんの「想い出づくり。」(81年)や「ふぞろいの林檎たち」など今でも忘れられないドラマは沢山あります。映画も好きで、小さいときから親に連れられて映画館に行ってましたし、中学生になるとひとりで観に行くようになりました。地元は徒歩圏内に映画館が7つも8つもあるような所だったんです。

植田:それは恵まれていますね。

土井:でもその頃はまだ自分が作り手の側にまわるなんて発想は全然なくて、東京の大学に受かって上京しても、とくにやりたいことが見つからず、1年間、呆然としたまま過ごしてしまったんです。その間に、夢の遊眠社とか東京乾電池、第三エロチカとかブリキの自発団とか、当時人気だった演劇をたくさん見ました。そのころ第三舞台という劇団が評判になってて、大隈講堂裏のテントに観に行ったらすごくショックを受けて、大学2年のときに、第三舞台の母体だった早稲田の劇研(演劇研究会)に入りました(そこから山の手事情社に)。それで気が付いたら今に至るって感じなんですよね(笑)。

植田:土井さんのなかで、役者から演出家になるまで地続きだったことが、今、初めて聞きました。

土井:役者になりたかったというより、演劇というサブカルチャーの熱気をその片隅でちょっと体験してみたかったんだよね、きっと。でも役者の身体訓練とかをやってるうちに、いつの間にかブリッジして歩けるようになったりして、自分の肉体が変わっていく実感も面白くて気がついたらハマってた。おかげで大学4年のときには就職をするという気持ちに全くなれなくて。わざと単位落として1年留年したの。

植田:かっこいい。

土井:かっこ良くない(笑)。今、自分の子どもがそんなことをしたらと許さないと思うけれど。

植田:自分の子どもだったら確かに許さないかもしれませんが、僕の同級生にも単位を落として大学に残り演劇を続けた人がいるから、土井さんの選択はかっこいいと思いますよ。

土井:いざ、1年やってみたら、このままやっていく才能も自信も覚悟もないことに明確に気づいた瞬間があって。まだ仕送りもらってることもダサいし、とにかく自立しないと駄目だという気持ちになって、就職活動をしてみたら、運よくこの局に拾ってもらえたという。

植田:当時はバブル真っ盛りで、夢の遊眠社の俳優たちは「パパはニュースキャスター」(87年)をはじめとしてテレビでも活躍されていたりしたから、僕なんかは、土井さんが役者を辞めて就職したことが不思議に思えます。

土井:役者は大変ですよ。僕は役者には向いてないと自分で気づくことができた。舞台の上で心の底から笑うことができなかったから。だからこそ、僕は、役者に対してすごくリスペクトがあるんです。

植田:土井さんの、役者からなにかを引き出していく演出方法は、俳優をやっていたという原点から発生しているものなんですね。役者の気持ちがわかるのだろうと思います。

土井:まだ経験の浅い若いキャストに、つい自分が演じて見せたりして、それを誰かに客観的に見られていて、恥ずかしい気持ちになることは時々あるね(笑)。いや、でも、学生時代に演劇やったり映画を作ったりしたことが、ドラマ制作の仕事にどうしても必要な事かといわれたら、実はそうでもないじゃない?。

植田:そうですね。

土井:現場のことは入ってから一から学べるし、余計な知識がかえって邪魔になったりもする。もし、演劇をやっていたことが生きているとすれば、芝居に正解なんてないってことが感覚としてわかってるってことじゃないかと思います。人間がやっている限り同じ芝居は二度とないし、生きもののようにその時々で変わってゆく。その中で、ベストな瞬間を作り出すために自分は何をすればいいのかを、いつも考えています。

スーパーディレクターを生んだ特別ルート

植田:土井さんは最初、美術部の配属でしたよね。

土井:当時、制作志望でも、いきなり制作部に行くのではなくて、関わっている部署を経験してから制作のほうに行くルートがあったんです。毎年1人ずつ。僕はそのルートの何人目かでした。

植田:人事からそういう説明があったんですか。

土井:ありました。実際にそういう先輩の人たちが毎年いたんだよ。橋本孝さん(ドラマプロデューサー 現テレパック社長)、久保徹さん、田澤保之さん(「SICK’S」のプロデューサー、現TCエンタテインメント常務取締役)、僕、その次が近藤誠。あ、「高校教師」(93年)のプロデューサーの伊藤一尋さんが初代。だから、いつかドラマに行けるんならいいやと思ったし、嫌ではなかった。。むしろ、演劇時代は、役者であろうと、大道具から何から全部自分たちでやってたから全然、違和感がなかったんです。バラエティーの仕事もドラマの仕事も、見習いとして1年間やらしてもらったけど、植木業者の方や、電飾さん、大道具さんたちにすごくよくしてもらって。飲みに連れてってもらうと、「おまえが偉くなっても憶えといてくれよ」と言われましたね。

植田:いい話ですね。

土井:厳しいけど、みんな優しかったね。すごくいい思い出です。

植田:以前は、スタジオの撮影が終わった後に飲みに行ったり、スタジオの中でビールを飲んだりしましたよね。美術さんとはバラシの後に飲みに行くのが当たり前みたいなこともあった。そのとき、いろいろ説教も食らうけれど、勉強できる空気みたいなのもあって。今の若い世代にはそういう環境がないですよね。

土井:具体的に美術のスキルを獲得するためということではなく、いろんな人がいるっていうことに触れられたことが重要なんだよね。いろいろな仕事があって、いろんな人たちが、いろんなことを考えながら一つのものを作っていることに触れられたことがたぶん一番の収穫。実際、ドラマの現場に入ると、100人を越えるスタッフがいて、まずは彼らにどう伝えるかということから始まるからね、僕らの仕事は。

植田:その100人をグロスで考える監督と、100人各々一対一の人物として考える監督がいて、土井さんはその後者だと思うな。土井さんが美術を1年やってからドラマ部に配属になって。そのときにどの助監督――当時はADと呼んでいましたーーそのなかで誰がすごいかと言ったら。「圧倒的に土井さんだ」ってディレクターからも役者さんからも言われるくらいのスーパーADになったんですよね。

土井:そうなんだ? (笑)

植田:そうなんです。「テキ屋の信ちゃん」(91年)でディレクターデビューですか。

土井:はい。「ホットドッグ」(90年)という連続ドラマのサードADをやって、それがそのまま年1回のスペシャルになって、チーフADで2本やって、パート3のときに、プロデューサーの大岡さんに「次は、おまえ撮ってみろ」とチャンスをもらったのが「テキ屋〜」でした。

植田:当時の年功序列制度のなかで大抜てきだったっていう記憶があります。

土井:いきなりゴールデンの2時間のドラマをやらしてもらいました。

植田:当時、ある種の看板番組でしたよね。

土井:スペシャルの枠で視聴率17~18%取っていました。出演者の皆さんが、僕がADの下っ端の頃から一緒に仕事をさせてもらった方々で、ディレクターになったとき、みんなすごく応援してくれたし、そういう意味ではすごくありがたいデビューだったと思います。まだ20代でした。

野木亜紀子の出現に目を瞠った

植田:脚本家の大石静さん、北川悦吏子さん、井上由美子さんなどと話をすると、土井さんの演出したあのシーンはすごかったっていう話によくなります。本を作るときに土井さんは的確な意見を言うイメージが僕にはありますが、本作りはどういうふうに学ばれましたか。

土井:気づいたら、ドラマの仕事演出を 30年以上やっているけれど、その体力は、やっぱり90年代から2000年代にかけてほんとにたくさんの脚本家の方たちとオリジナルドラマをやらせてもらったことでついた筋肉のおかげだと想います。大石さんをはじめ、北川さん、遊川和彦さん、野沢尚さん、岡田惠和さん、野島伸司さん、井上由美子さん、宮藤官九郎さん、……それから坂元裕二さん、野木亜紀子さん。

植田:錚々たる脚本家ですね。

土井:植田はよく分かってると思うけど、脚本の打ち合わせって結構な闘いじゃない?

植田:闘いですね。

土井:でも、やっぱりそこでちゃんと闘ってないと駄目だなっていうのはすごく、最初の10年ぐらいの間に痛感しました。いろんな意味で時々血も流れるよね。

植田:流れますね。ほんとに血しぶきだらけになりますよね。会議室が血まみれに(笑)。

土井:自分が思ってることは、どんなくだらないことでも、一回、俎上(そじょう)に上げて、ちゃんと話し合うことが大事だよね。たとえ否定されても、採用されなくてもいいわけですよ。それについて脚本家やプロデューサー、一緒に作っていく人たちの考えが分かればいいんだから。僕たちは、人間の話を、誰かの人生の話を常に作っているわけじゃない?

植田:そうですよね。

土井:すると、自分の人生をさらけ出さないと伝わらない時ってあるよね。

植田:てか、さらけ出さないと、物語に血肉がついていかない。

土井:そういう生身のやりとりは、ある意味、切った張ったの世界だと思うんだよね。それで鍛えられたというのはすごくあると思います。だから若い人たちも、本打ちは上の人たちがやっていることだから関係ないと思わずに、機会があれば参加したほうがいいと思う。そこで疑問点を解消しないまま、現場の撮影や、編集で何とかするのは最後の手段であって。やっぱり僕は最初の大事なとこは本の打ち合わせにあると思っています。

植田:ほんとにそうですね。本打ちに限らずあらゆる打ち合わせにおいて、「これ、つまらないですね」と言うディレクターはいっぱいいますが、代案出してきて、「こういう話、どうですか」と言うディレクターは土井さんだけでした。数多くの体験で筋肉が付いたというよりも、そもそも素地としてお持ちだったのではないかと思いますが。学生のときにシナリオも書いていたのですか。

土井:舞台の台本は一度書いたことがあるかな。でも、その才能は自分にはないと思ってます。大体、打ち合わせのときに僕がアイデア出しても通るのは10個のうちの1個ぐらいじゃない?

植田:もっと精度は高いと思いますよ。土井さんは、アイデアの出し方のバリエーションが多いですよね。作家さんが土井さんのポンとやったトスの中で、一番その作家さんが打ちやすい球を、いろんな種類を上げている。そのバリエーションが、この人は本を書いたほうがいいんじゃないかと、当時から、僕は思っていました。これを土井さんに言うのは初めてですが。

土井:まあ、一生のうちにもう1回ぐらい書いてみようかなとは思うし、書きかけたこともあるけれど……。それこそ今、野木さんや坂元裕二さんと仕事をして、そのすごい才能に触れてしまうと、同じ土俵には立てないと痛感しますよ。「重版出来!」(16年)を野木さんが書いたとき、一話ごとに主人公が変わる構成で、それを原作の別の回からとってきたエピソードを繋げたりして作っていたんですよ。原作の芯を外してないからそういう荒業をやっても成立させられる、彼女のその豪腕たるや目を瞠るものがありました。最終回はさすがにすごく悩んで、一回出来たものを全部捨てて、一から書き直しているんです。なギリギリのタイムリミットまで粘りに粘って、結果出来たものはすばらしかった。野木さんに限らず、連続ドラマを書ききれる作家さんたちは、みんなすごいですよ。ちゃんと血を流してる。そういう仕事を見ていると、おいそれと自分で書く気にはなれないですね。

とは言うものの、昔は僕もイキってたので、けっこう自分でやりたいように直しちゃったりしていて、反省しています。

「GOOD LUCK!!」でピンチを乗り越えた

植田:土井さんとは、「GOOD LUCK!!」のとき、いろんな出来事がありましたよね。

土井:ありましたね(笑)。

植田:クランクインの2週間前になってもロケの舞台になる所が撮影OKしてくれなかったとか。

土井:そうだね。911のテロの翌年だったし、いろんなハードルがあった。やれるかどうか分かんないけど、取りあえずハワイにロケハンに行ってくださいと言われて行った(笑)。

植田:行ったものの何も決まらないので飲んでいますというメッセージと共に写真が送られてきて、僕と、一緒にプロデューサーをやっていた瀬戸口(克陽)が、ふざけんなって絶叫したことがありました(笑)。でも、あのとき、この企画ができるかどうか分からなくなっていたとき、バックアップの企画を僕と瀬戸口君の二人きりで考えていたら、土井さんがふっと会議室に入ってきて、俺も一緒に考えると言ってくださって。お前たちだけに苦しいところを背負わせない。と、ギリギリの境遇を共有してくださった。あれは僕の中では大きな出来事でした。土井さんは僕ら後輩のことを、プロデューサーとディレクターの立場、年齢関係なく、大事な仲間として思ってくれているんだといまだに恩に感じています。

土井:たしか、代案で考えていたのは、警官の話だったよね。

植田:そうです、そうです。

土井:見ててとても不憫だったし(笑)やっぱり一蓮托生(いちれんたくしょう)みたいなところはあるから。プロデューサーとディレクターの関係って、向かう方向は同じでも、立ってる場所は違うみたいなところがあるでしょう? 話が煮詰まったり、いろいろトラブルがあったりすると、一箇所に集まってしまいがちだから、そんなときにちょっと別の視点でものを見る人がいることが必要かなと思って。

植田:下手なサッカーみたいになっちゃいけないんですよね。それでいうと、僕と瀬戸口は煮詰まりまくって会議室にいて、そこへ土井さんが、ディレクターにもかかわらず、いい場所に走り込んできてくれたから、僕ら首くくらなくて済んだっていう夜でしたね、あの日は。

土井:あのころ一番怖かったのは、打ち合わせしている最中に植田が急に寝ることで(笑)。俺に「じゃあ土井さんは、これ、どう思うんですか」と問い詰めるから、「それはさ、あれはね」と説明し出したら、グーッて寝てしまっている。そこからもう復活しないのよ。あれは怖かったね(笑)。

植田:朝起きたら、誰もいなくて、会議資料も俺のものだけが残って、あとは片付けられていることがよくありました(笑)。

土井:打ち合わせデスクのうえにマットレス置いてベッドのように寝ていたよね。

植田:今は働き方改革で僕も自宅で寝るようになりました。

TBSの風を変えた「ケイゾク」「半沢直樹」

植田:土井さんは今の地上波ドラマのラインナップをどう思われています? もちろん新しい希望のようなものもじょじょに生まれてきているとはいえ、それがホンモノなのか、僕的には疑問なんです。土井さんには答えにくいかもしれないけれど、土井さんを倒しに来るニューカマーは、この20年で、出てきていないと思うんですよね。土井さんの代わりも、堤幸彦の代わりもいない。それでいいのかと僕はずっと思っているけれど、土井さんはどうですか。

土井:今、「罪の声」の取材を受けているとよく、流れで「今のTBSドラマの好調の原因を土井さん的にはどう分析されますか」と聞かれるんだよね。俺、今、あんまりそこに関わってないから答える資格ないよって思うんだけど(笑)。地上波に関しては、いろんな制約も多いからだろうけれど、コンサバティブな感じはすごくしますよね。作っている人の顔が見えにくいというか。本来、作品って、作り手の、これが作りたいという情熱から始まるものだと思うから。その中で、「MIU404」(20年)は珍しく作り手の顔がよく見えるドラマだったよね。「半沢直樹」(13年、20年)もそういうドラマだと思うし、それがTBS の遺伝子のような気もします。僕がTBSっていい会社だなと思ったのは90年代の終わりころでしたね。「渡る世間は鬼ばかり」(90年〜11年)という超王道な番組を1年間放送していたとき、同時に若手の植田が「ケイゾク」(99年)、磯山晶さんが「池袋ウエストゲートパーク」(00年)をやってて、もちろんエースの八木康夫さんや伊藤一尋さんも自分たちの独自の王道を築いてて、何でも許容してくれる、懐が深い感じがしていたんですよ。もちろんそれは「渡る世間」がものすごく安定して数字を取っていたからこそできたことなのかもしれないけれど。

植田:そうですね、放送作品にギャップがありましたね。

土井:同じ局で木曜日に「渡る世間」で金曜日に「ケイゾク」をやっていたんですよ。そんな自由さは、ちょっと素敵だったよね。

植田: 土井さんが面白いと思った20年前の「池袋」も「ケイゾク」も堤幸彦という新しい遺伝子によるレボリューションだった。

土井:あれはある種のショック療法だったね。

植田:あのとき、ドラマ部の部会でいろんな人に取り囲まれて、「こういう新しいドラマにこぎ出すときに、なぜ社のディレクターを使わないんだ」と責められたんですよ。「この中からは生まれないコンテンツなんです」と説明したら、「じゃあ、おまえ、編成行けよ」って言われて、いや、編成から戻ってきたばっかりなんだけど……って(笑)。

土井:(笑)。以前は局のディレクターやプロデューサーを生え抜きで育ててきた歴史があったけれど、今はもういろんな人たちがクロスして新しいものを生み出すべき時代じゃないかなと思いますよ。僕は映画をやるときは、テレビのスタッフをほぼ連れていかないんです。新しい出会いから生まれるものを期待しているから。そしてそこから持ち帰ったものをドラマでまた生かせて、何かハイブリッドなものが出来たら面白いなって。会社でも今、ドラマの現場に若い人が増えて、たまに部会に出ると、長老っぽい感じじゃない? でも、現場にいると、そういうことは関係ないし、自分をアップデートしていかないとっていう気持ちになれるんですよね。2、30代の若手監督の作品を時々映画館に見に行くと、巧い下手ではなくて、何かに突き動かされて撮っている感じに胸を打たれたりする。50代の後半になった僕にまだそんな衝動があるかどうか分かんないけれど、そんなものを探し求めて、さまよっているきょうこの頃です。向上心だけはね、あるんです。いまだに(笑)

植田:引退した翌日に、同じトレーニングをまたやる、アップデートは欠かさないっていうイチローみたいですね。土井さんと酒抜きでこんな真面目に話をしたのは初めてで、なんだかすごく照れました。ありがとうございました。

「罪の声」キャップをかぶる土井監督 写真提供:東宝
「罪の声」キャップをかぶる土井監督 写真提供:東宝

ふたりの対談を終えて ライター後記

この対談は、TBS の植田博樹プロデューサーに共に仕事をしてきた方々と語り合い、TBSドラマのビギニングとドラマの真髄を探る企画です。

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今回、登場いただいた土井さんは十代のとき「ディア・ハンター」(78年)や「太陽を盗んだ男」(79年)に影響されたという。なにより高校時代は、角川映画の全盛期で、映画情報誌「バラエティ」(77〜86年 角川書店)を毎月買っていたそうだ。「10年ぐらい前に薬師丸ひろ子さんと映画で仕事したんです。しかも、ニューヨークのロケで、撮影が終わってから、薬師丸さんとバーでマティーニを飲みながら話したんですよ。こんな未来があることを、高校生の自分に教えてやりたいなと思った」と笑う土井さんに、植田さんは「僕も「アンナチュラル」(18年)で全く同じこと思いました。「アンナチュラル」のプロデューサーの新井順子と薬師丸さんのライブに行き「『もしもし 私 誰だか分かる?』」という薬師丸さんのCMのセリフを生で聴いたときに俺は涙ぐむほど感動したけれど、若い世代の新井Pはピンと来ないんですよね」」と80年代サブカルチャー育ちのふたりはひとしきり盛り上がっていた。

土井さんは、20年まえからTBSドラマの面白みが少し止まっているのではないかと言っていたが、2010年代に入って、坂元裕二さんの脚本で「カルテット」(17年)を作って、それまで原作ものをやっていた野木亜紀子さんが2016年に「逃げ恥」(逃げるは恥だが役に立つ)の大ヒットによって注目され、その後、彼女のオリジナル脚本の「アンナチュラル」「MIU404」に多くのファンがつくという新潮流も生まれてきている。それについて土井さんはこんなふうに付け足した。

「企画の話をするとき、当たる要素をいくつか箇条書きにして、それが多ければ多いほど企画は通りやすいと思います。でもそれは、失敗を生まないかもしれないけれど、劇的な変化をもたらす可能性も低いだろうとも思います。状況を大きく変えるのは、「どうしてもこれをやりたい」というあるたった1人のクレイジーな熱みたいなものじゃないかなと。例えば、「ケイゾク」をやったときの植田、「半沢」をやったときのジャイ(福澤)さんのような。最初の「半沢」がはじまった2013年頃から、明らかに風向きが変わった感覚はあります。ただそれは、ああいう逆転劇のある経済ドラマをやれば数字を取るということではなくて、マーケティングを超えた作り手の強い気持ちが、硬い岩を砕いて突破したことの証明ですよね。そこに価値があるんです」

土井さんは、野木さんの最後まで諦めない粘り強さについて語っていた。プロデューサーは本に手を入れることも多い世界ではあるけれど、今、この瞬間にはまだ仕上がってないながら、先を見据えて布石を打ちながら、完成図に一歩一歩向かっていく作家の力に敬意を払って任せることも大事なのだろう。それは、俳優たちからナマの感覚を引き出すことにも似ていて、作家や俳優の可能性を見極め、眠っているものを引き出す。演出家やプロデューサーにはそういう能力が必要とされるのではないだろうか。

Profile

土井裕泰 Nobuhiro Doi

1964年、広島県生まれ。88年TBS入局後、「愛していると言ってくれ」(95)、「ビューティフルライフ」(00)、「GOOD LUCK!!」(03)、「オレンジデイズ」(04)、「空飛ぶ広報室」(13)、「コウノドリ」(15・17)、「カルテット」(17)などのヒットドラマの演出を手掛ける。2004年、「いま、会いにゆきます」で映画監督デビュー。そのほかの映画作品に「涙そうそう」(06)、「ハナミズキ」(10)、「麒麟の翼 ~劇場版・新参者~」(12)、「映画 ビリギャル」(15)など。2021年1月に坂元裕二脚本の新作「花束みたいな恋をした」が公開予定。

植田博樹 Hiroki Ueda

1967年、兵庫県生まれ。京都大学法学部卒業後、TBS入社。ドラマ制作部のプロデューサーとして、数々のヒットドラマを手がける。代表作に「ケイゾク」「Beautiful Life」「GOOD LUCK!!」「SPEC」シリーズ、「ATARU」「安堂ロイド~A.I .knows LOVE?~」「A LIFE~愛しき人~」「IQ246~華麗なる事件簿~」「SICK‘S」などがある。

罪の声

原作:塩田武士「罪の声」(講談社文庫)

監督:土井裕泰

脚本:野木亜紀子

出演:小栗旬、星野源、松重豊、古舘寛治、市川実日子、宇崎竜童、梶芽衣子ほか

東宝系にて公開中