マリナーズで放った通算2542安打は球団記録

 メジャーリーグのシアトル・マリナーズが、2019年まで同球団でプレーして、現在は会長付特別補佐兼インストラクターを務めるイチロー氏(48歳)の球団殿堂入りを発表した。メジャーでは各球団が独自の“殿堂”を設けており、1997年に創設されたマリナーズの殿堂には、これまで9人が名を連ねていた。

 2000年オフにポスティングでオリックス・ブルーウェーブ(オリックス・バファローズの前身)からマリナーズに移籍したイチロー氏は、メジャー1年目の2001年に首位打者、盗塁王、新人王、MVPなどを獲得。2012年の途中でニューヨーク・ヤンキースにトレードされたが、マイアミ・マーリンズを経て2018年に復帰し、翌2019年に東京ドームで行われた開幕2連戦を最後に引退するまで、マリナーズには14シーズン在籍した。

 イチロー氏はメジャー通算で3089安打を記録していて、このうちマリナーズで放った2542安打は球団史上最多。その他、通算打率(.321)、三塁打(79)、盗塁(438)などでも球団歴代1位にランクされている。

球団殿堂第1号は”ミスター・マリナー”

 球団創設20周年の1997年に創設されたマリナーズの殿堂は、選手の場合は同球団に在籍して5年以上メジャーでプレーし、引退から2年以上経過している者が対象となる。これまでに球団記録の通算417本塁打を誇るケン・グリフィー・ジュニアなど9人がその栄誉に浴しているが、その第1号となったのが”ミスター・マリナー”の異名を取った左打ちのスラッガー、アルビン・デービスである。

 デービスは1984年に23歳でメジャーデビューすると、いきなり打率.284、27本塁打、116打点で球団史上初の新人王を受賞。当時のマリナーズは球団創設から前年までの7年間でア・リーグ西地区(当時は7球団)7位3回、6位3回、4位1回という“お荷物”状態で、正一塁手の故障で急きょメジャーに引き上げられて、あれよあれよという間に新人王まで駆け上がったデービスは、まさに希望の星となった。

 その後も打線の中軸を担って、1987年には自己最多の29本塁打、自身2度目の100打点をマーク。ところが1989年に19歳でメジャーデビューしたグリフィーらの出現により、三十路を前に陰りが見え始めたデービスの存在感は薄れていく。

 現役時代にロッテ・オリオンズ(現千葉ロッテマリーンズ)でもプレーしたジム・ラフィーバー監督の下、球団史上初の勝率5割を達成した1991年を最後に、デービスはデビューから8年間を過ごしたマリナーズを退団。翌年はカリフォルニア(現ロサンゼルス)・エンゼルスに移籍するも、6月に解雇されてしまう。

過去には名物アナウンサーも球団殿堂入り

 デービスが海を渡って日本にやってきたのは、その直後のことだった。入団したのは近鉄バファローズ(2005年にオリックス・ブルーウェーブと合併)。「あのデービスのプレーが日本で見られる!」と、当時は日本では決して数多くなかったMLBファンは色めき立った。

 しかし、7月から40試合の出場で打率.275、5本塁打、12打点。デービスはデービスでも、その4年前まで近鉄に5シーズン在籍して通算打率.331、117本塁打をマークしながら、最後は大麻取締法違反で逮捕されて日本を去っていったリチャード・デービスの記憶を上書きすることはできなかった。それでもあのマリナーズ“暗黒時代”に彼が残した功績を鑑みれば、球団の殿堂入り第1号に選ばれたのも、何ら不思議ではない。

 なお、マリナーズの球団殿堂は選手だけではなく監督、コーチ、裏方などの関係者も対象となっており、デービスに続いて2000年にその栄誉に浴したのは、球団創設から2010年に他界するまで30年以上にわたって試合中継を担当した名物アナウンサーのデーブ・ニーハウスである。

 監督、選手、コーチなどの“ユニフォーム組”以外は、「球団から5年以上正規で雇用されている(いた)こと」と「球団およびそのフランチャイズに、球場内外で多大な貢献をしたこと」が条件で、ニーハウスはまだ“現役”中に球団殿堂入り。2008年には放送関係者を対象とする「野球放送の殿堂入り」であるフォード・C・フリック賞も受賞している。