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一生に一度の五輪を肌で感じたくて……ハマスタ「場外」から目撃した侍ジャパンの金メダル

菊田康彦フリーランスライター
金メダルを獲得した侍ジャパンの記念撮影。この様子はホテルの部屋からも見えた(写真:長田洋平/アフロスポーツ)

 稲葉篤紀監督率いる野球の日本代表「侍ジャパン」が決勝戦で米国代表を下し、五輪の正式競技としては初の金メダルを獲得した8月7日。筆者は横浜市内、というより会場の横浜スタジアムから通りを1つ隔てたホテルにいた。

 生まれて初めて日本で開催される夏のオリンピック。野球も含め、取材の予定はない。実は決勝トーナメントに当たるノックアウトステージ1試合分のチケットは当選していたのだが、大会直前に無観客での開催が決まり、観客として見ることもかなわなくなった。

 正直にいえば、これまでオリンピックにはさほど関心を持ってこなかった。しかし、今回は「東京」の名が冠され、ここ日本で開催される五輪である。しかも、ソフトボールと共に野球が競技として復活するのは、2008年の北京大会以来、13年ぶり。スタンドで観戦することはできなくても、なんとか肌で感じることはできないものかと思った。

球場からホテルが見えるなら、その逆も?

 とはいえ仮にも緊急事態宣言下で、会場周辺をただうろつくわけにもいかない。そこで思いついたのが、球場近くのホテルから“のぞき見”をすることだった。野球の会場である「ハマスタ」こと横浜スタジアムの周辺には、ホテルがいくつもある。球場からホテルが見えるなら、ホテルからも球場が見えるに違いない。

 そこでハマスタ周辺のホテルを検索し、その中にスタジアム側の景観が確約されたプランのある宿を見つけたのだが、残念ながら決勝戦当日は既に満室。ほかに球場が見えそうなホテルを探し、予約を入れた。

 予約したのは、球場側に面した部屋である。もっとも球場の中、すなわちグラウンドが見えるのはかなり上層階の部屋に限られる。予約の際に確認をしたところでは、上層階を希望することはできるが、チェックインの時でないと何階の部屋が割り当てられるかは分からないという。運を天に任せるしかなかった。

 その時点では野球はまだオープニングラウンド(予選リーグ)も始まっておらず、日本が決勝戦に出られるという保証はなかったが、侍ジャパンはオープニングラウンド、ノックアウトステージと負けなしで勝ち進み、準決勝で韓国を破って決勝進出。あとは部屋の窓からスタジアム内が望めることを祈るばかりだった。

12階の部屋から見えた「ハマスタ」は……

隣接するホテルから望む横浜スタジアム(筆者撮影)
隣接するホテルから望む横浜スタジアム(筆者撮影)

 宿泊当日、フロントで渡されたキーは12階の部屋。エレベーターで上がり、部屋に入っておそるおそるカーテンを開けると……見えた、横浜スタジアムが。すぐ目の前、距離にして40メートルぐらいのところにそびえ立つ照明塔、そしてその向こうのすり鉢状のスタンドに内野のダイヤモンドがほぼ隠れてはいるが、グラウンドで体を動かし始めていた侍ジャパンの選手を見て、がぜんテンションが上がる。

 試合を前にホテルの裏手にある中華街でテイクアウトの食事を調達し、プレーボールを待った。窓を閉めていても、球場で流れるBGMなどはある程度聞こえるが、窓を開ければ英語と日本語による場内アナウンスもよく分かる。多少の暑さは仕方ない。窓を開け、臨場感を選んだ。

 試合が始まったのは19時ちょうど。窓から球場を眺めていても、ピッチャーもバッターも一塁側のスタンドに隠れて見えないので、いつ投げいつ打ったかが分からない。初回に日本のトップバッター、山田哲人(東京ヤクルトスワローズ)がレフト前に放ったヒットはよく見えたのだが、三番・吉田正尚(オリックス・バファローズ)のファーストライナーのような右方向への打球は、まったく見えない。試合自体は生中継されていたので、窓とは反対側に置かれているテレビを見ながら、打球に応じて窓の外に目を向けることにした。

 当たり前だが、これなら見逃しか空振りかボールか、打った球がどこに飛んだのかも一目瞭然。ただし、1つ問題があった。「時差」である。テレビ中継は実際のプレーよりも少し遅れる。映像よりも先に、球場から聞こえてくる歓声である程度、結果が分かってしまうのは興ざめだった。

“生”で目撃した村上宗隆の一発

 これが取材なら、間違いなくそのままテレビを見続けていたと思う。プレーそのものを見ることの方が重要だからだ。だが、この日はあくまでもプライベート(結果的にこうして記事にはしているが、それは後付け)。球場の、五輪の雰囲気を少しでも感じる取るために来ているのだからと、窓の外の“見えないプレー”を見ることにした。

 3回裏に飛び出した村上宗隆(ヤクルト)の先制ホームランは、テレビを見続けていたら、生では目撃できなかっただろう。見えないながらもグラウンドを見ていたからこそ、背走するセンターを目で追った先に白いボールが見え、そのままスタンドに飛び込むところまで拝むことができた。もしテレビを見ていたなら、歓声に反応して振り向いたとしても“手遅れ”だったかもしれない。

 面白いもので慣れてくるとある程度、自分の中にリズムができてくる。守備のシフトにもよるが、基本的にはサード、ショート、センターの姿は見えるので、彼らの動きで投球のタイミングを計り、ストライクかボールかはネット裏のBSO(ボールカウント)表示で知る。歓声とともに打球が見えた時はいいが、そうでなければテレビの映像が追いつくのを待つしかない。もちろん、こんな野球観戦は今まで経験がない。

優勝の瞬間、スコアボードに映し出されたのは……

 少し意外だったのは、無観客にもかかわらず拍車や歓声がけっこう聞こえてくることだ。その中心は両軍の選手だったと思うが、スタンドにも内外の記者以外にアスリートを含む関係者らしき姿があちこちに見えた。中にはイニング間の場内演出に促され、ノリノリでダンスを披露する人もいて、観客の代わりを担っているようでもあった。

 試合は日本が2点をリードして、いよいよ9回表の米国の攻撃。この日は日本が三塁側なので、侍ジャパンの守護神・栗林良吏(広島東洋カープ)がレフト側のブルペンから五輪仕様のリリーフカーに乗って、マウンドに向かうところもよく見える(マウンドに上がるところは見えないが……)。栗林は二死から安打を許したものの、金メダルまであとアウト1つ。

 その初球、セミの鳴き声が響く中で小さく起きた拍手と歓声が、ひときわ大きな音に変わる。何が起きたのかは分からなかったが、日本が優勝を決めたのは明らかだった。スコアボードには「BRILLIANT!(素晴らしい!)」の文字が映し出され、テレビからは少し遅れて「スリーアウト!」の実況が聞こえてくる。表通りからも拍手と共に「おめでとう!」の声が上がり、路上の車が鳴らすクラクションも侍ジャパンの金メダルを祝福しているようだった。

涙でにじんだメダル授与式

 その後、少し時間を置いて行われた表彰式も、そのまま部屋の窓から見続けた。日本、アメリカ、そして昼間の3位決定戦で韓国を下したドミニカ共和国──。選手たちはダイヤモンドに横一列になったため、三塁側に並ぶアメリカの選手しか見えないが、テレビではなくスコアボードに映し出される姿を見つめていた。

 メダル授与は、まず3位のドミニカから。13年ぶりに野球が行われたこの五輪でもメジャーリーガーの参加は認められず、「野球大国」といえども決してベストメンバーで臨んだわけではないが、選手たちは己のプライドを懸けて戦った。終盤の逆転劇で銅メダルを勝ち取った3位決定戦も、ネット中継で見ていたので、それを思い出したら目が潤んできた。

 アメリカのメダル授与では、この大会では精彩を欠いたとはいえ、ヤクルトのスコット・マクガフの晴れ姿にも感慨深いものがあった。ただ、筆者の母国であり、ヤクルト入団時から10年以上取材を続けてきた山田もいる日本の金メダルは、やはり格別。涙でにじむスコアボードの映像を見ながら、喉に流し込んだノンアルコールのスパークリングワインも、どんな飲み物とも比べることのできない「格別」な味がした。

 ピッチャーの投球を一度も生で見ることがなかったホテル観戦は、厳密には「野球観戦」とは言えないのかもしれない。それでも一生に一度の五輪を肌で感じることはできた──。特別な環境で見たこの特別な試合、筆者はおそらく生涯忘れることはないだろう。

フリーランスライター

静岡県出身。小学4年生の時にTVで観たヤクルト対巨人戦がきっかけで、ほとんど興味のなかった野球にハマり、翌年秋にワールドシリーズをTV観戦したのを機にメジャーリーグの虜に。大学卒業後、地方公務員、英会話講師などを経てフリーライターに転身した。07年からスポーツナビに不定期でMLBなどのコラムを寄稿。04~08年は『スカパーMLBライブ』、16~17年は『スポナビライブMLB』に出演した。著書に『燕軍戦記 スワローズ、14年ぶり優勝への軌跡』(カンゼン)。編集協力に『石川雅規のピッチングバイブル』(ベースボール・マガジン社)、『東京ヤクルトスワローズ語録集 燕之書』(セブン&アイ出版)。

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