元ヤクルトのロマンが正式に現役を引退。五輪予選に参加せず、指導者の道へ

ロマン(Photo courtesy of Orlando Roman)

 2015年にセットアッパーとして東京ヤクルトスワローズのセ・リーグ優勝に貢献したオーランド・ロマン(41歳)が、現役引退を明言した。一時はプエルトリコ代表として今夏の東京五輪出場への意欲も見せていたが、3月に行われるアメリカ大陸予選には参加せず、今後は指導者への転身を目指す。

昨年はプエルトリコ代表でプレミア12にも出場

「もう40歳を超えたし、そろそろ潮時だと思ったんだ」

 現役引退を決めた理由を、そう語ったロマン。2015年にはヤクルトの「勝利の方程式」の一角として23ホールドを挙げるなど、チームのリーグ優勝に貢献しながらオフに自由契約となり、その後は2016、17年と台湾でプレー。2018年オフに故郷プエルトリコのウインターリーグ「リーガ・デ・ベイスボル・プロフェシオナル・ロベルト・クレメンテ」に出場したのを最後に、一度は引退の可能性を示唆した。

 ところが昨年はプエルトリコ代表として夏に行われたパンアメリカン競技大会で初優勝に貢献すると、11月に開催されたWBSCプレミア12にも出場し、オープニングラウンドの日本戦で1イニングを無失点に抑えた。さらにリーガ・デ・ベイスボル・プロフェシオナル・ロベルト・クレメンテでも先発として4試合に登板したが、0勝2敗、防御率4.35。12月22日のカングレヘーロス・デ・サントゥルセ戦に先発し、3回途中までに3点を失って敗戦投手になったのが、現役最後のマウンドとなった。

「この冬で21年目。(元メジャーリーガーの)サウル・リベラは20年だったから、オレはその記録を抜いたことになる。あと1年やりたかったのは、そのためだ」

 ニューヨーク・メッツのマイナーでプロ野球人生をスタートしたばかりの1999年に、初めてプエルトリコのウインターリーグでプレーしてから21年。毎冬というわけではなかったが、参加できる状況にあれば、常に同じクリオーヨス・デ・カグアスのユニフォームに袖を通してきた。

 ロマンによるとウインターリーグでこれほどの長いスパン、同じチームでプレーした選手は他にいない。2018年オフの時点でリベラの20年に並んでいたため、なんとしてもこれを抜きたかったのだという。

「ヤクルトでの4年間は特別。最高の思い出は2015年」

 一時は今夏の東京五輪への出場に意欲を見せていたこともある。プエルトリコは、五輪予選を兼ねていた昨年のプレミア12ではオープニングラウンドで敗退し、出場権を手にすることはできなかったが、3月に行われるアメリカ大陸予選で優勝すれば五輪出場が決まる。ここで優勝を逃したとしても、2位もしくは3位になれば4月の世界最終予選に出場権がかかるが、「もう代表でもプレーしない。それは決めている」とロマンはいう。

 21年におよんだプロ野球人生で、一番の思い出は「(2013年の)WBCで、家族の前でドミニカ共和国を相手に2度投げたこと」。この大会、ロマンは第1ラウンド、そして準決勝でもドミニカを相手に先発。準決勝では5回まで1失点の好投を見せながら、打線の援護なく敗れた。

 もちろん日本でプレーした4年間も、特別な思い出として残っている。

「ヤクルトでの4年間は特別だよ。最高の思い出は最後のシーズン(2015年)。特に(延長)10回から投げて、優勝を決めた試合(10月2日の阪神戦)だ。(祝勝会での)ビールかけは楽しかったな」

 ヤクルトには2004年途中から5シーズン在籍したディッキー・ゴンザレスのように、ロマン以外にもプエルトリコ出身の選手はいたが、優勝に貢献したのはロマンだけ。だから「それも特別なこと」だという。

 現在は「(プエルトリコの)自宅でのんびりしながら、好きな釣りを楽しんでいる」というロマンだが、既に次のステップも考えている。

「コーチになりたいんだ。そのために今はいろいろな球団と話をしているところさ。もちろんスワローズのスカウトになれるなら、それもいいけどね」

 1999年のドラフトでメッツに31巡目で指名されてから21年。プレーヤーとしての長い旅は終わりを告げたが、つかの間の休息を経て、ロマンは早くも新たな旅に出ようとしている。