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“世界遺産”大松尚逸が語るロッテ、ヤクルト、独立での「この1打席」

菊田康彦フリーランスライター
今年で現役を引退した大松。今後はヤクルトで指導者の道を歩む(筆者撮影)

 千葉ロッテマリーンズ、東京ヤクルトスワローズを経て、今年はルートインBCリーグの福井ミラクルエレファンツでプレーしたのを最後に、15年間の現役生活にピリオドを打った大松尚逸(37歳)。その大松に、これまで在籍したそれぞれの球団で最も印象に残る「この1打席」を選んでもらった。

「満塁男」の原点といえるプロ初本塁打

「ロッテの時は多すぎるなぁ……」

 プロ入りから12年間在籍したチームでの記憶をそう言ってたどった大松だが、「パッと思い浮かんだのは、やっぱ初ホームランですね」。入団2年目の2006年、4月15日の埼玉西武ライオンズ戦の7回に打った、プロ初本塁打の逆転満塁ホームランを挙げた。

「西口(文也)さんからですね。(当日は)すごいドキドキしながら車を運転して、西武(現メットライフ)ドームに行ったのを覚えてるんですよ」

 その前年、ルーキーイヤーの2005年に既に一軍の舞台で初安打を記録したが、出場は3試合のみ。本人の言葉を借りるなら「顔見世程度だった」という。しかもこの年、チームはボビー・バレンタイン監督の下でペナントレース2位からプレーオフを制し、当時の規定でリーグ優勝。日本シリーズでは阪神タイガースをストレートで下して、31年ぶりの日本一に輝いていた。

 明くる2006年、開幕から3週間で一軍から声がかかり、その日にいきなり一番・中堅でスタメン出場。「あれだけ不安で緊張して、どうしようもない中でああやって満塁ホームランを打てたっていうのは、ほんのちょっと自信じゃないけど『一軍でもこうやって打てるんだな』っていうかね、気持ちの面でも『イケるんじゃないかな』って思える瞬間だったのかなって思います」と語る。

 しかも、相手は最多勝2回、沢村賞、MVP各1回の実績を誇る西口。この年も開幕投手を務めており、そんなピッチャーから打てたということも大きな自信になったと、13年前を振り返る。この一発こそが、後に通算6本の満塁本塁打を記録して「満塁男」と称されるようになった原点と言っていい。

「ホントにうれしかった」ヤクルトでの初打席

 2016年にファームの試合で右アキレス腱断裂の重傷を負い、ロッテから戦力外通告を受けて翌2017年にヤクルトにテスト入団。2年間プレーしたそのヤクルトでの「この1打席」は、「一軍の初打席です。ちょっと雨が降ってたんですよね。あれは忘れられないです」という2017年シーズン開幕戦。3月31日に神宮球場で行われた横浜DeNAベイスターズ戦だった。

「ホントにうれしかったッスよね。ドキドキするとかじゃなくて、あんなワクワクして打席に立つことあんのかなっていうぐらいの……。ましてや、ああやって1回戦力外になった身でね、普通は緊張したりとかドキドキすると思うんですけど、武者震いというかこんなにワクワクして打席に立てることあんのかなっていう。そんな思いなんてしたことなかったですよね」

 しかも、この時の大松はまだリハビリ明けであり、キャンプ、オープン戦ともに二軍帯同。ファームでは開幕から6試合で打率5割2分6厘、2本塁打と打ちまくっていたものの、一軍の開幕ベンチ入り自体がサプライズだったという。

「(オープン戦で)新入団選手の紹介があって神宮に挨拶に行った時は『5月、6月くらいにしっかりと状態を上げて来てくれれば』っていう感じだったんでね。僕自身の状態もまあまあ良かったんですけど、マネジャーに『一軍です』って言われて『ホントに? 間違いじゃないの?』って聞きましたもん(笑)」

 代打として596日ぶりに立った一軍の打席はセンターフライ。だが、2日後の同カードでは、自らのリクエストにより敬愛するロッテの大先輩、福浦和也の登場曲が流れる中で代打に立ち、移籍後初ヒットを打った。そしてこの年、プロ野球タイ記録となる2本の代打サヨナラ本塁打を放つなど、セ・リーグでもしっかりと足跡を刻んだ。

現役最後の打席は「良い意味でスッキリした」

 そのヤクルトを戦力外となりながらも、現役をあきらめられずに求めた新たな舞台は、ロッテ時代の先輩である田中雅彦が監督を務めていたBCリーグ福井。大松にとって現役最後の球団での「この1打席は」──。

「うーん……やっぱり最後の打席かなぁ。ケガをして、あれが最後になりましたからね」

 8月17日に福井フェニックススタジアムで行われた新潟アルビレックスBC戦の第3打席。これが現役最後と思って打席に入っていたわけではない。しかし、ライトフライを打ち上げて「一塁に走っていく中間ぐらいですかね。ファーストベースとの間ぐらいのところでバキッ!って音がして『ああ、もうダメだな』って思いました」。

 診断は左膝半月板の断裂。以降はしばらくの間、松葉杖なしでは生活もできず、選手としてグラウンドに立つことはできなかったが「あの走ってる時の痛みで、良い意味ですべてスッキリしちゃった感じです」と振り返る。

「しかもふくらはぎを痛めてたんで、そんなに思いっきり走ってないんですよ。なんやったら2分か3分くらいで『アイツ走ってんの?』っていうぐらいの感じで膝をケガしたんで……。まともに走ってもないのにこんだけのケガをするんだったら、そんな体で野球をやってたら若い選手にも示しがつかないしね」

 NPB通算905試合出場、650安打、84本塁打、367打点。前述の満塁本塁打6本に加え、サヨナラ本塁打3本、代打本塁打6本(うち満塁1本、サヨナラ2本)、サヨナラ単打3本、そしてサヨナラ犠飛1本と何度も劇的な一打を放っては熱狂的なファンから“世界遺産”とも呼ばれた男は、BCリーグで出場21試合、12安打、3本塁打の成績を残し、静かにバットを置いた。

 それでも大松のプロ野球人生が終わったわけではない。10月29日にはヤクルトの二軍打撃コーチ就任が発表された。11月1日から始まる秋季練習で、今度は指導者として新たなプロ野球人生を歩み始める──。

フリーランスライター

静岡県出身。小学4年生の時にTVで観たヤクルト対巨人戦がきっかけで、ほとんど興味のなかった野球にハマり、翌年秋にワールドシリーズをTV観戦したのを機にメジャーリーグの虜に。大学卒業後、地方公務員、英会話講師などを経てフリーライターに転身した。07年からスポーツナビに不定期でMLBなどのコラムを寄稿。04~08年は『スカパーMLBライブ』、16~17年は『スポナビライブMLB』に出演した。著書に『燕軍戦記 スワローズ、14年ぶり優勝への軌跡』(カンゼン)。編集協力に『石川雅規のピッチングバイブル』(ベースボール・マガジン社)、『東京ヤクルトスワローズ語録集 燕之書』(セブン&アイ出版)。

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