「サインしてもいいのかい?」かつての打点王・ドールトンの訃報が呼び起こした25年前の記憶

1992年日米野球公式プログラムに残るドールトンの直筆サイン
1992年日米野球公式プログラムに残るドールトンの直筆サイン

来日時の出来事が今も忘れられない

「えっ、サインしてもいいのかい?」

 ナショナル・リーグの打点王はそう言って笑うと、手渡されたペンをサラサラと走らせた。

 今から25年前、1992年秋の日米野球で来日したMLBオールスターチームには、そうそうたるメンバーが名を連ねていた。いずれも後に殿堂入りを果たすオジー・スミス(カージナルス)、ウェイド・ボッグス(レッドソックス)、クレイグ・ビジオ(アストロズ)、ケン・グリフィー・ジュニア(マリナーズ)のほか、引退までに通算354勝、7度のサイ・ヤング賞に輝くロジャー・クレメンス(レッドソックス)や、元阪神でこの年のアメリカン・リーグ打点王のセシル・フィルダー(タイガース)、ナショナル・リーグ新人王のエリック・キャロス(ドジャース)もいた(所属はすべて当時のもの)。

 この年、自己最多の109打点をマークして、ナ・リーグ打点王となったダレン・ドールトンもその1人。翌年にかけて2年連続で20本塁打&100打点を突破するなど、当時のメジャーリーグにあっては「打てる捕手」の代表格である。そんな選手がサインを求められて、たとえ冗談交じりであっても「サインしてもいいのかい?」と応じたのだ。快くサインに応じる選手も少なくはなかったが、たいていは無言だったり軽くうなずく程度で、せいぜい「いいとも」とか何とか言うぐらいだったので、このやり取りは筆者の心に強く残った。

西武球場で聞いた突然の“幕切れ”

 翌1993年、そのドールトンが正捕手を務めるフィラデルフィア・フィリーズは10年ぶりにリーグ制覇を成し遂げ、ワールドシリーズに進出。連覇を狙うトロント・ブルージェイズに第4戦で王手をかけられながらも、エースのカート・シリングの完封で第5戦を制し、舞台を敵地スカイ・ドーム(現ロジャーズ・センター)に移して第6戦を迎えた。試合は5回を終わってブルージェイズが4点のリード。だが、フィリーズは7回に打者一巡の猛攻で一挙5点を挙げて逆転すると、1点リードのまま9回のマウンドには守護神のミッチ・ウィリアムズを送る。

 その時、筆者は西武球場(現メットライフドーム)の入場列に並びながら、FEN(現AFN)ラジオでこの試合の中継に耳を傾けていた。この日、西武球場では森晶祇監督率いる西武ライオンズと野村克也監督のヤクルトスワローズによる日本シリーズ第7戦が行われる。これで日米ともに第7戦までか──。

 そう思った矢先のことだった。9回裏、1死一、二塁から四番ジョー・カーターに3ランが飛び出し、ブルージェイズの逆転サヨナラ勝ち。ワールドシリーズはなんとも劇的な形で、突然の幕切れを迎えた。

引退から25年後に伝えられた、早すぎる訃報

 このシリーズで全試合に五番・捕手で出場し、第4戦では本塁打も打ちながら、ドールトンは“世界一”に届かず、1997年の途中で長年プレーしたフィリーズからフロリダ・マーリンズへ移籍。主に一塁手として、アトランタ・ブレーブスとのリーグチャンピオンシップシリーズでは第3戦で決勝の適時二塁打を放つなど、球団史上初のワールドシリーズ進出に貢献した。

 クリーブランド・インディアンズとのワールドシリーズ、ドールトンは第3戦でシリーズ通算2本目の本塁打を打った。チームは3勝3敗で迎えた最終第7戦、延長11回の熱戦をエドガー・レンテリアのサヨナラ安打で制し、初のワールドシリーズ制覇。フィリーズ時代とは逆に、劇的な形で“世界一”に輝いたドールトンは、これを花道に35歳で現役を退いた──。

 こんな“昔話”を思い出したのは、メジャーリーグの公式サイトなどが8月6日付(現地時間)でドールトンの訃報を伝えたからだ。同サイトによれば4年間におよぶ脳腫瘍との闘いの末、6日の夜に他界したという。享年55歳。今も「あの時」の笑顔が忘れられない。ドールトン氏のご冥福を、心からお祈り申し上げます。