ブーイングを「笑い」に変えたジマー氏のユーモア
ドン・ジマー氏死去──。その報が届いたのは、昨日のことでした。
ブルックリンおよびロサンジェルス・ドジャースの“世界一”メンバー、シカゴ・カブスのオールスター二塁手、ニューヨーク・メッツの創設メンバー、シンシナティ・レッズ、ワシントン・セネターズの控え内野手、東映フライヤーズの“助っ人”、マイナーリーグの監督、サンディエゴ・パドレス、ボストン・レッドソックス、テキサス・レンジャーズ、カブスの監督、ニューヨーク・ヤンキースの代理監督、さらにモントリオール・エクスポズ、サンフランシスコ・ジャイアンツ、コロラド・ロッキーズ、タンパベイ・レイズなどのコーチ……。ざっと振り返っただけでも、ジマー氏にはこれだけの“顔”があります。
日本で最も馴染みが深いのは、松井秀喜選手が在籍していた頃のヤンキースのベンチコーチとしての顔でしょうか。レッドソックスとのチャンピンシップシリーズにおけるペドロ・マルティネス投手との“乱闘”を覚えている方は多いことでしょう。MLB選抜を率いて1990年の日米野球で“凱旋”した、カブス監督時代の顔を覚えている方も少なくないかもしれませんが、東映時代の顔をご存知の方はかなり貴重でしょうね。
筆者にとってはメジャーリーグに興味を持ち始めた小学生の頃、レッドソックス監督時代のジマー氏も懐かしいのですが、訃報に接してまず最初に思い浮かんだのはジャイアンツのコーチ時代の顔です。あれは1987年の夏、生まれて初めて米国を訪れた筆者は、サンフランシスコでの自由時間を利用してキャンドルスティック・パークに足を運びました。そう、当時のジャイアンツのホームグラウンドです。
実はその少し前に団体観戦でフィラデルフィアのベテランズ・スタジアムを訪れていて、それが筆者にとって初めての「生メジャーリーグ体験」だったのですが、このキャンドルスティックは自力での訪問だったので、苦労してたどり着いたのをよく覚えています。試合は2度のビッグイニングを作った地元ジャイアンツの大勝。その中でいかにもメジャーリーグらしいなと思ったシーンがありました。
それはまだゲーム序盤、ジャイアンツが試合をひっくり返した直後のこと。相手のエラーで一気にホームを狙った一塁ランナーがタッチアウトになると、スタンドのファンは一斉にブーイングを浴びせました。刺されたランナーに対してではありません。グルグルと勢いよく腕を回したサードベースコーチに対してです。確かに無謀とも思えるタイミングではありました。それでも日本なら、この展開でここまで非難されることはないだろうと思ったのも事実です。
ただし、話はそこで終わりません。スタジアム中からブーイングを浴びたサードベースコーチが大げさに頭を抱えてみせると、あまりのユーモラスな仕草に今度はファンから笑いが起きたのです。そのサードベースコーチこそジマー氏でした。その時はあまり深く考えず、筆者も周りのファンと一緒になって笑っていただけだったのですが、のちのち考えるとあれはブーイングに対する、ジマー氏なりのユーモアあふれる「切り返し」だったのだと思います。
その後、2008年にヤンキース対レイズ戦の取材で旧ヤンキー・スタジアムを訪れた際、レイズのシニア・ベースボール・アドバイザーを務めていたジマー氏にクラブハウスで出くわしたことがあります。軽くあいさつをした程度だったのですが、あのジャイアンツ時代の話を振ってみればよかったかなと、ちょっと後悔しています……。
レイズが球団史上初の地区優勝、そしてワールドシリーズ出場を果たしたのはその2008年のことですが、オールスター前には7連敗を喫して首位の座を明け渡したこともありました。その時にジマー氏が選手にこんな言葉をかけたと、当時レイズでプレーしていた岩村明憲選手(現東京ヤクルトスワローズ)が教えてくれたことがあります。
「フィールドに出たら子供が野球をやるのと一緒。シンプルにやれば結果はついてくる」
球宴明けが終わって後半戦に入ると、勢いを取り戻したチームは初優勝に向かって突っ走っていきました。
現地では「ポパイ」のニックネームで親しまれたジマー氏は、今年もシニア・ベースボール・アドバイザーとしてレイズに所属していました。メディアガイドにもその「ポパイ・スマイル」が掲載されていますが、残念ながら実際にその姿を見ることはもうできません。愛すべき野球人、ジマー氏のご冥福を心からお祈りします。