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今季からマーリンズに加入した“何でも屋”という日本人スタッフが歩んできた裏方人生

菊地慶剛スポーツライター/近畿大学・大阪国際大学非常勤講師
ホーム開幕戦でチームとともに整列する田中幸司氏(左から4番目・マーリンズ提供)

【今季からマーリンズに加わった日本人スタッフ】

 今シーズンからマーリンズのチームスタッフに日本人が加わっているのをご存じだろうか。2019年版メディアガイドでは紹介されていないので、一般的に認知されていないはずだ。

 この人物は田中幸司氏。彼は元々マーリンズと縁があり、2017年シーズン途中から田澤純一投手の通訳としてチームに加わり、昨シーズン途中に田澤投手が解雇されたことでチームを去っていた。

 今回日本人選手がいなくなったマーリンズに復帰したのは、もちろん通訳をするためではない。裏方スタッフの1人として迎え入れられたのだ。

【田中氏の役割は一言“何でも屋”】

 田中氏の役割は簡単にいってしまえば“何でも屋”だ。主にブルペン捕手と打撃投手を任される一方で、彼はアスレティックトレーナーの資格(ATC)を持つだけでなく、マッサージ師として有名ミュージシャンやプロアスリートの面倒を見た過去もあることから、メディカルスタッフの補助も行っている。

 さらにロサンゼルスの人気高級寿司レストランで寿司シェフをしていた経験もあり、「機会があったらチームのために寿司を握ってあげたいです」と話している通り、いろいろな面でチームをサポートしているのだ。

【高校2年からマネージャーに転身、裏方の道へ】

 ブルペン捕手や打撃投手を任されることからも想像がつく通り、田中氏は根っからの野球少年だった。とはいえ輝かしいキャリアとは程遠いもので、ずっと裏方人生を歩んできた。

 四日市工業高時代に監督の求めに応じ、2年生から学生マネージャーに転身。チームは2年夏、3年春に甲子園出場を果たし、マネージャーとして裏方にやりがいを感じるようになった。そして大学進学後も学生マネージャーとして野球部に入部している。

 ただ一方で野球への情熱を失うことはなく、大学4年になると「もう選手としてプレーするチャンスはなくなる」と感じ、練習に参加させてもらえるように監督に直訴。これを聞き入れてもらい、マネージャーを務めながら選手たちと一緒に練習に励み、時には練習試合にも出場するようになった。これが田中氏の人生に転機をもたらすこととなる。

 徐々に選手としてけじめをつけたいと考えるようになった田中氏は、米国で実施されるトライアウトを受験する選手を募集する記事をみつけたことで、友人の後押しもあり卒業と同時に参加することになった。

【選手としての集大成のため米国でトライアウトを受験】

 このトライアウトには日本から約50名が参加。中には元プロや社会人野球経験者も名を連ねていた。普通に考えれば田中氏にチャンスはなく、30万円以上の参加費用をドブに捨てるようなものだと思われたが、何と田中氏は参加選手中一番の俊足だったことが評価され、4日間のトライアウトに合格し、独立リーグとの契約を勝ち取ることに成功。合格者は5名前後しかいなかった。

 ビザ取得のため一時帰国したのだが、チームから申請書類がなかなか届かず、キャンプが始まってしまうためビザがないまま再渡米。キャンプ中はオープン戦や紅白戦で打率4割以上を残す活躍をしていたが、結局ビザの問題がクリアにならず、キャンプ最終日にチームから解雇を通告されてしまった。

 突如としてハシゴを外された格好の田中氏からすれば、選手としてけじめをつけるため参加したトライアウトだったのに、逆に選手として未練を残す結果になってしまったのだ。

田中氏はチームから背番号「99」をもらった(田中氏提供)
田中氏はチームから背番号「99」をもらった(田中氏提供)

【米国で先の見えない浪人生活をスタート】

 まだ選手を続けたい思いが強まった田中氏は、トライアウトのコーディネーターからのアドバイスもあり、帰国して日本で学生ビザを取得した後、再々渡米してトライアウトを受けながら採用してくれるチームを見つける道を選択。こうして本格的な米国生活をスタートさせることになる。

 だが浪人生活は決して楽なものではなかった。トライアウトを受けるためにも本来ならしっかり練習したいところだが、人数が揃わず満足な練習もできない状況だった。もちろん試合などできるはずもなく、実戦の場を求めて日本人を中心にロサンゼルスで活動する軟式野球の草野球チームに参加するほどだった。

 その後3年間浪人生活を続けながら、独立リーグのみならずMLBのトライアウトも受験。改めて自分のレベルを思い知らされたことで、ある日突然彼の中で「やり切った」という感覚が訪れ、浪人生活に終止符を打つ決断をした。

【再び裏方としてトレーナーを目指す】

 次に田中氏が選んだのが、再び裏方として選手をサポートするため、トレーナーの道を目指すことだった。そこからコミュニティ・カレッジ(入学試験のない短大)に入学。それと同時に、草野球チームで知り合った人気高級寿司レストランのオーナーに誘われ、寿司シェフとして働き始めた。

 また草野球チームの繋がりから、ロサンゼルスで自主トレを行うプロ野球選手たちのサポートをするようにもなった。例えば木田優夫投手や三澤興一投手のブルペン捕手、吉岡雄二選手の打撃投手やノッカーを務めたりもしている。

 そして5年間の寿司シェフ時代を経て、遂に米国の永住権を取得。これを機にトレーナーの勉強に専念するためレストランを辞め、ロングビーチ州立大に編入した。

【一時はマッサージ師としてX JAPANや有村智恵プロを担当】

 卒業後はATCの資格試験を受けながら、将来の役に立つと感じ、日本の有名マッサージ店のロサンゼルス支店で働き始め、マッサージ技術の習得を目指すことになる。そしてマッサージ師として一人前になると、同店の顧客の1人だったYOSHIKI氏の要請で、X JAPANの海外ツアーに帯同し、メンバーのケアをした。さらに独立後は女子ゴルフの有村智恵プロのLPGA挑戦を機に、2年間彼女の同行マッサージ師を務めてきた。

 こうした紆余曲折の人生を経て、田中氏は自身が目指してきた選手をサポートする裏方になるという夢を、世界最高峰リーグのMLBで実現することになった。それは彼が諦めずいろいろな経験を積んできた“何でも屋”ぶりを、マーリンズが認めてくれたからに他ならない。

 今後も田中氏の奮闘ぶりに期待したい。

スポーツライター/近畿大学・大阪国際大学非常勤講師

1993年から米国を拠点にライター活動を開始。95年の野茂投手のドジャース入りで本格的なスポーツ取材を始め、20年以上に渡り米国の4大プロスポーツをはじめ様々な競技のスポーツ取材を経験する。また取材を通じて多くの一流アスリートと交流しながらスポーツが持つ魅力、可能性を認識し、社会におけるスポーツが果たすべき役割を研究テーマにする。2017年から日本に拠点を移し取材活動を続ける傍ら、非常勤講師として近畿大学で教壇に立ち大学アスリートを対象にスポーツについて論じる。在米中は取材や個人旅行で全50州に足を運び、各地事情にも精通している。

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