日本バスケ界で田臥勇太が背負ってきたもの、そしてこれから背負っていくもの

昔も今も常に日本バスケのトップに立ち続ける田臥勇太選手(筆者撮影)

 今シーズンからBリーグを定期的に取材するようになってから、ずっと楽しみにしてきたのが田臥勇太選手との再会だった。幸運にも2004年11月3日に日本人選手として初めてNBA公式戦に立つ姿を現場で目撃していた身として、あれから14年が経過した今、彼がどんな心境でプレーしているのかを確認してみたかったからだ。

 3月11日、田臥選手が所属する栃木ブレックスの本拠地『ブレックスアリーナ宇都宮』を訪れた。田臥選手から話を聞かせてもらう前に名古屋ダイヤモンドドルフィンズ戦を観戦したのだが、胸の中が熱くなるような衝撃を受けた。

 アリーナの席を埋め尽くした4000人を超えるファンがアリーナを黄色一色に染め尽くした。スターター紹介の時は彼らは総立ちで選手たちを迎え入れ、いざ試合が始まるとチームが得点する度に立ち上がって声援を送る一方で、名古屋が得点するとまったくの無反応。それは見事なまでの「ホームコート・アドバンテージ」だった。これまで栃木以外で5チームの主催試合を取材してきて、こんな極端な応援スタイルを演出できるチームは初めてのことだった。

 コート中央に設置されたオーロラビジョンではファンを盛り上げる文字が躍り、プレー映像も次々に流してくれる。音響には所々でオルガン演奏を交えるなど、アリーナの雰囲気はまさにNBAそのものだった。アリーナの規模は比較にならないが、観戦しているうちに栃木のチームカラー(黄色と紺)とも相俟って、かつて取材したことがあるインディアナ・ペイサーズの本拠地アリーナにいるような錯覚を覚えるほどだった。宇都宮という街にバスケ文化が根付いていることをすっかり実感させてもらった。

 2008年のチーム誕生から在籍し続ける田臥選手。地域住民をバスケでここまで熱狂させることができるようになったのも、日本初のNBA選手として田臥選手が果たした役割は計り知れないはずだ。

 「もう10年目ですけど、年々地域の方が密着してというか応援してくれて、というのを本当に感じるので…。でもチームスタッフもそうですし、選手もそうですし、栃木っていうのはそういうバスケットがある、ブレックスがあるというのをプライドを持って作り上げていけたらいいなというのをすごく思っています。

 ほんと年々ですね。チームが結果を出せない時は厳しい声ももらっていたし、なかなかこういう雰囲気では…。でもずっとチームがどういう成績であれ、諦めずに一緒に戦ってくれるファンの方々がずっといてくれて、どんどん大きくなってきているので、僕もこのチームにいて一緒に成長していけてる感じがすごくあるので、そこもこのチームの良さなんだと…。まだ言っても若いチームだし、どんどん大きくなっていけるようにと思ってやっています」

 ここまで来られたのも、もちろんチームスタッフや選手たちの助けがあったからこそだ。だが常にチームの中心にいたのが田臥選手だったはずだ。ただそれは栃木ブレックスに限ったことではない。遠征に出たとしても彼のプレーを見るために全国のバスケ・ファンが会場に足を運んでいる。例えば3月3、4日に実施された京都ハンナリーズ戦では、2試合連続で今シーズン初の3000人を突破する盛況ぶりだった。これまで何人かのチーム関係者から話を聞かせてもらっても、一様に田臥人気の凄さを証言してくれた。彼の存在は今も日本バスケの“顔”なのだ。

 「そういう存在でいられるのは限られた選手だけだと思いますんで、そこには感謝の気持ちを忘れずに…。でも自覚と責任を持って、そうやって自分のプレーを見たい、ブレックスの試合を見たいって1年でも長く思ってもらえるようにという思いでやってます。

 ここ2、3年じゃないですかね、そういう気持ちになれたのは。30代前半の頃はまだそう思っていても余裕はなかったし、20代の頃なんてそんなの考えなかったし、自分のことばっかりで…。30代に入って、そうやって日本に戻ってやることになって、で、こうしてBリーグになってっていう、環境がいろいろ変わる中でそういうタイミングで自分がいられているというのが本当に有り難いなというのを年々感じますし、歳を重ねれば重ねるほど有り難いなと思うようになるので、だからこそ1年でも長く(やりたい)と、バスケットがどんどん好きになってますので、続けたいなという思いは強くなりますね」

 まだNBA挑戦を続けていた田臥選手を取材していた頃、終始メディアに囲まれ続けた田臥選手が時折見せる苦悩する姿に心苦しさを感じたこともあった。一挙手一投足すべてが監視されているような状態だったのだから、どんな人間でも精神的な安定を保つのは不可能だった。昔ほどではないにしろ、今も人々の関心を集め続けている状況に身を置いていることに変わりはない。それでも現在の彼はバスケ選手として周囲に目を向ける精神的な余裕が出始め、新たな境地からバスケと向き合えるようになれたということなのだろう。

 一昨年Bリーグが誕生した時に、川淵三郎チェアマン(当時)から「Bリーグのカズ(三浦知良選手)になってくれ」というメッセージを託された。だがJリーグ創設当時の三浦選手は26歳と選手としてピークを迎えている時期で、プレーでファンを魅了しリーグを牽引していける若さがあった。しかし田臥選手は35歳でBリーグ1年目を迎えた。三浦選手と同じ立場でリーグを牽引していくのは簡単なことではないはずだ。

 「あまり細かいことは気にしないです。自分の中では一生懸命バスケットができてますので、今の状態で1年でも長くカズさんみたいに50歳過ぎても…(笑)。やはりすごいなと思います。まだ折茂(武彦)さんとか上には上がまだいますので、自分もそういった先輩たちみたいになれるようにやりたいなと思ってます」

 現在の田臥選手に気負いはまったくない。自分が中心になってリーグを支えていこうなんて意識がないからだろう。その言葉を聞く限り、ここまでバスケを続けてこられた環境に、そして自分を支えてきてくれたファンに感謝を抱きながら、その思いを少しでも長くコート上で表現したい──ただその1点に集約されているように思う。たぶん田臥選手のバスケ人生の中で、今ほどバスケを謳歌している感覚はないのではなかろうか。

 ここ最近になって渡邉雄太選手、八村塁選手といったNBA入りが期待される日本人選手が現れ始めた。八村選手に至っては日本人初のドラフト指名を受ける可能性まで指摘されている。嬉しいニュースではあるが、裏を返せば富樫勇樹選手の挑戦もあったものの、ここまでずっと田臥選手が「日本人NBA選手」の看板をずっと1人で背負ってきたことを意味する。果たしてこの14年間は彼にとってどんな歳月だったのだろうか。

 「長くは感じてないですね。というよりあんまり考えてないというか(笑)、今の方が大事というマインドなので…。もう十何年経ったんだという思いなんですけど、そんな感じです。今は前を向いて、それは引退した時に感じることなのかな程度にしか思ってなくて、今は1年でも長くバスケットをしたいという思いだけなんです。でも雄太とか塁は本当に頑張ってほしいとは思いますけどね」

 田臥選手はNBA時代のことを“チャプターの1つ”だと表現してくれた。あくまで彼のバスケ人生の一部でしかなく、そこだけに特別な思い入れがあるわけでもない。これまで体験してきたすべてのチャプターは彼の思いが詰まったものばかりであり、それらを積み重ねながら現在の田臥選手が形成されているのだ。そしてその物語は現在進行形であり、さらにその先へと繋がろうとしている。

 こちらの危惧や推察は完全なる取り越し苦労でしかなかった。田臥選手の中で多少の心境の変化はあったとしても、コートに立つスタンスは何ら変わっていない。現役選手として大切なのは“今”なのだ。現在もチャンピオンシップ進出を目指して、チームとともに目前の試合で勝利をもぎ取る──それがすべてなのだ。

 とりあえず田臥選手がコートを去る日が来るまで、もう二度と過去を振り返ってもらうことはないだろう。それは同じスタンスで戦い続けている彼に対して失礼なことだと理解できた。今はコート上でのプレーからその生き様を感じ取るだけで十分だ。まだまだその勇姿を目に焼き続けていきたい。

1993年から米国を拠点にライター活動を開始。95年の野茂投手のドジャース入りで本格的なスポーツ取材を始め、20年以上に渡り米国の4大プロスポーツをはじめ様々な競技のスポーツ取材を経験する。また取材を通じて多くの一流アスリートと交流しながらスポーツが持つ魅力、可能性を認識し、社会におけるスポーツが果たすべき役割を研究テーマにする。2017年から日本に拠点を移し取材活動を続ける傍ら、非常勤講師として近畿大学で教壇に立ち大学アスリートを対象にスポーツについて論じる。在米中は取材や個人旅行で全50州に足を運び、各地事情にも精通している。

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