Yahoo!ニュース

森慎二氏の訃報に寄せて…

菊地慶剛スポーツライター/近畿大学・大阪国際大学非常勤講師
大リーグ挑戦以降辛い野球人生を送った森慎二氏(写真:YUTAKA/アフロスポーツ)

森慎二氏を初めて取材させてもらったのは、2006年に西武からデビルレイズ(現レイズ)に移籍したスプリングトレーニングの時だった。当時は右肩違和感で調整が遅れていたとはいえ念願のMLB移籍を果たし、野球人生の絶頂期にいたはずだ。しかしオープン戦初戦で右肩を脱臼したことで、彼の人生は一気に転落へと向かっていった。

そのオフにレイズとマイナー契約を結び直し、2007年も招待選手としてレイズのスプリングトレーニングに戻ってきた。しかしブルペンで投球練習で、右肩を気にしながらまったく力のない球を投げ続ける森氏のピッチングを目の当たりし、一緒に見守っていた某野球解説者が発した「もう無理だよ…」という言葉を今も鮮明に記憶している。彼のプロ野球人生はもう終わったのだろうと感じざるを得なかった。

その年も一度も実戦登板できないまま6月にチームを解雇されたため、スプリングトレーニングを最後に森氏に会うことはなかった。だがシーズン終盤になって、自分が居住するロサンゼルスで森氏がトレーニングを行っていることを知人が教えてくれた。その時は連絡手段もなく本人に会うことはできなかったが、まだ現役にこだわっている姿勢に多少胸が熱くさせられたものだった。

しかし森氏との関係はこれで終わりではなかった。2009年に選手兼任投手コーチでBCリーグの石川ミリオンスターズに入団すると、その後親交のある木田優夫投手(現日本ハムGM補佐)、吉田えり投手が次々に同チームに入団したため、2013、2014年と石川を訪れる機会があり、久々に言葉を交わすことができた。

当時は兼任監督として実戦登板を果たしていた時期だったのだが、自分が練習を見学させてもらった時は右肩の調子が良くなかったらしく、ブルペン投球で思い通りの球がいかず、投球後はなんとも複雑な表情を浮かべていた(その後しばらく試合に投げられなくなっていたという)。その森氏の姿に、自分の中ではレイズ時代の彼がオーバーラップしていた。

結局2015年に古巣西武で投手コーチに就任するまで、2006年春に右肩を脱臼してから9年間、現役にこだわり続けた。たぶん周囲の人たちでさえ彼の復活を心から信じる人は少なかっただろう。まさに孤独の戦いだったはずだ。それでも森氏は自分の投球ができるようになる日を夢見続けていた。

今更ではあるのだが、苦悩の9年間で一度でも良いから自分自身を納得させられる投球をすることはできていたのだろうか。残念ながらどういう心境で現役投手としてボールを置いたのか、確認する術はもうない。

今は森氏が野球人生を全うして旅立ったことを祈るしかない。ご冥福をお祈りします。

スポーツライター/近畿大学・大阪国際大学非常勤講師

1993年から米国を拠点にライター活動を開始。95年の野茂投手のドジャース入りで本格的なスポーツ取材を始め、20年以上に渡り米国の4大プロスポーツをはじめ様々な競技のスポーツ取材を経験する。また取材を通じて多くの一流アスリートと交流しながらスポーツが持つ魅力、可能性を認識し、社会におけるスポーツが果たすべき役割を研究テーマにする。2017年から日本に拠点を移し取材活動を続ける傍ら、非常勤講師として近畿大学で教壇に立ち大学アスリートを対象にスポーツについて論じる。在米中は取材や個人旅行で全50州に足を運び、各地事情にも精通している。

菊地慶剛のスポーツメディア・リテラシー

税込550円/月初月無料投稿頻度:月3、4回程度(不定期)

22年間のMLB取材に携わってきたスポーツライターが、今年から本格的に取材開始した日本プロ野球の実情をMLBと比較検討しながらレポートします。

※すでに購入済みの方はログインしてください。

※ご購入や初月無料の適用には条件がございます。購入についての注意事項を必ずお読みいただき、同意の上ご購入ください。欧州経済領域(EEA)およびイギリスから購入や閲覧ができませんのでご注意ください。

菊地慶剛の最近の記事