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311津波、クジラで乗り越える木の屋石巻水産の奇跡 日本最大の捕鯨基地・宮城県からの復興

八木景子初めて“捕鯨問題”を海外へ発信した映画監督・プロデューサー
巨大「くじらの大和煮」缶詰が倒れ流される(提供:木の屋石巻水産)

左:木の屋ホールディングス 木村長門社長 右:木村隆之副社長(提供:木の屋石巻水産)
左:木の屋ホールディングス 木村長門社長 右:木村隆之副社長(提供:木の屋石巻水産)

2021年3月11日、東日本大震災より10年になる。

復興への道のりは容易ではない中、幾多の災難も乗り越え、元気に成長し続けている企業がある。木の屋石巻水産である。今や「金華さば缶」ですっかり全国的に有名になったが、元々は、先代がクジラの行商で創業した会社である。

木村長門社長が率いる木の屋ホールディングス(以下、木の屋石巻水産)が、苦難があるなかでありながら、なぜ苦難あるごとに業績を伸ばし続けられているのか。

日本の捕鯨基地マップ(提供元:農林水産省)
日本の捕鯨基地マップ(提供元:農林水産省)

<日本最大の捕鯨基地:宮城の復興クジラ産業の可能性>

宮城県のクジラ産業は大きく県を支えてきた代表的な産業の1つだが、そうした事実を知らない人が増えてきている。かつて商業捕鯨が真っ盛りの昭和の時期、宮城県からの捕鯨従事者は、全国の多くを圧倒的に占めた。長崎大学の調査によると全国の約3割が宮城県出身とある。

具体的な数字では1963年の農林水産省が発表している資料センサス によると、

母船式捕鯨従事者は、全国3576名中、宮城県出身が767名、

沿岸捕鯨従事者は全国201名中、宮城県出身が93名と約半分近くも占めていた。

遠洋漁業の様子(写真提供:大洋漁業株式会社)
遠洋漁業の様子(写真提供:大洋漁業株式会社)

クジラに群がる住民(資料提供:勇魚文庫)
クジラに群がる住民(資料提供:勇魚文庫)

現在の船員の総数は、この約50年で規模が大きく縮小しつつも

母船の全国の船員80名に対し、宮城県出身は7名、

小型捕鯨の全国の船員19名中、宮城県出身が9名と約半数。

<木の屋石巻水産が受けた主な3つの修羅場>

宮城県内でクジラ産業を生業として成長している木の屋石巻水産だが、これまで大きな3つの修羅場を感じたという。

1)鯨肉がない

1つ目は、1980年代に商業捕鯨が禁止された時、鯨肉が手に入りにくくなり、当時、大手が優先され中小企業には鯨肉が手に入らない時期もあった。そして、とうとう先代の遺志を物理的に継ぐことができず鯨肉を供給できなくなり3年間のブランクができてしまった。

しかし、木村長門社長や弟の隆之副社長は卸業者に何度も足を運んでは断られても諦めず通ったという。ある日のこと、卸業者の営業からいつものごとく断られているところに卸業者の社長が入ってきて「せっかく遠くから来ているのだから鯨肉を分けてあげなさい」と一言いってくれて流れが一気にかわったという。長年、兄弟で上京しては諦めずに粘って通った甲斐があった。

鯨肉(撮影:八木景子)
鯨肉(撮影:八木景子)

2)<2011年の津波による全壊>

2つ目が言わずもがな未曾有の東日本大震災。鯨肉も手に入り会社が軌道に乗りかけていた時だった。自宅、オフィス、工場、全てを根こそぎ破壊された。

200トンもの重さがある同社のシンボルでもあった「鯨大和煮缶」を模したタンクも300メートルも流された。

しかし、そのことがメディアに報じられたことにより支援の声が全国に広がった。

現在では、震災前よりも売り上げが伸びているという。

ボランティアによる缶詰洗い(写真:木の屋石巻水産)
ボランティアによる缶詰洗い(写真:木の屋石巻水産)

解体される巨大鯨大和煮缶詰(提供:東日本大震災アーカイブ宮城・石巻市)
解体される巨大鯨大和煮缶詰(提供:東日本大震災アーカイブ宮城・石巻市)

3)<2014年の国際司法裁判所ICJ敗訴による国民の空気>

3つ目は、2014年の国際司法裁判所ICJ敗訴。震災後、新社屋もでき立ち直った頃、国際司法裁判所ICJでまさかの敗訴との報道。日頃からクジラのファンである消費者の国民にまで「日本はクジラを違反して獲っていたのだ」、「食べてはいけないものだったのだ」という空気が広がりつつあり今回ばかりは困ったものだと思っていたという。

そうした空気の中、国際司法裁判所ICJの判決に疑問をもって製作した拙作のドキュメンタリー映画「ビハインド・ザ・コーヴ〜捕鯨問題の謎に迫る!〜」の上映会が自民党本部で行われ士気があがったという。

国際裁判ICJ(写真:wikipedia)
国際裁判ICJ(写真:wikipedia)

国会議員試写会(写真提供:自民党本部)
国会議員試写会(写真提供:自民党本部)

これまであった主な3つの修羅場を振り返ると、いつもピンチのあとにチャンスが必ずやってくる、と木の屋石巻水産の経営陣は語る。

現在、No.1の売れ筋の「金華さば缶」も鯨肉が足りなく、開発した商品である。

<「安定供給」の舵取りは?>

「金華さば缶」が売れてもクジラにこだわる理由は、先代がクジラをリヤカーに引きながら会社を設立し、企業理念にくみこまれているからだという。

企業理念

1、商品開発に全力を尽くす|水産加工品メーカーのモデル

2、前向きに考える|チャレンジ・前進・進歩・成長

3、鯨食文化の保存|使命感・社会的役割

しかし、いくら企業理念があっても鯨肉の安定供給は行政の話でなんとも民間にはできない。

絶滅危惧種は、実はクジラの方ではなく「民間のクジラ取扱業者」ではないだろうか。苦しい声をお上に言えないまま、泣く泣く店じまいをしていった店は少なくない。

かつて日本が高度成長期に水産庁の交渉担当者は欧米と対等に闘う戦力案を幾度も政府に提出しては首相に断られてきた歴史がある。しかし、今は状況が真逆である。超党派の国会議員が捕鯨産業を後押ししている。水産庁にとってこれまでにないチャンスが到来している。しかし、肝心な舵取り役はいるのか?

クジラの形をしたオフィスをバックに(提供元:木の屋石巻水産)
クジラの形をしたオフィスをバックに(提供元:木の屋石巻水産)

<「やれるのに、やらないこと」が怒られる>

ズバリ、社内で怒られる時は、どういう時かを主要な人たちに訊ねたみたところ、失敗することは責められない、という。むしろ、

「やれるのに、やらないこと」が怒られる、というのが共通した認識であった。

特に二の足を踏み過ぎているうちに沈没していまいそうな日本の捕鯨の今の状況において、極めて参考になる指針である。

クジラ産業が、宮城県の産業として再び大きく復活し復興へと繋げるには「安定した供給=鯨食文化保存の生命線」の道を開くことができるかは民間サイドではなく、行政が鍵を握っている。

初めて“捕鯨問題”を海外へ発信した映画監督・プロデューサー

東京生まれ。ハリウッド・メジャー映画会社に勤務後、「合同会社八木フィルム」を設立。長年恐れられていた捕鯨の問題を扱った映画『ビハインド・ザ・コーヴ』は自費を投じ製作をした。2015年に世界8大映画祭の一つであるモントリオール世界映画祭に選出された他、多くの映画祭で選出。ワシントンポスト、ニューヨークタイムズ、ロサンゼルスタイムズなど海外の多くの大手メディアに取り上げられた。しかし、配給会社がつかず、さらに自ら借金と寄付を募り配給まで行った。日本のドキュメンタリー映画としては珍しく世界最大のユーザー数を持つNETFLIXから世界へ配信され大きな反響を呼んだ。新作「鯨のレストラン」は現在展開中。

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