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ウクライナ侵攻「静かな武器」食糧危機の情報戦が狙う標的とは?

平和博桜美林大学教授 ジャーナリスト
ロシアからの砲撃で炎上する穀物倉庫=5月30日、ウクライナ・ドネツク(写真:ロイター/アフロ)

ウクライナ侵攻による食糧危機をめぐる情報戦が、世界的に拡散している――。

欧州連合(EU)のフェイクニュース対策プロジェクト「EUvsディスインフォ」やドイツ国営放送のドイチェ・ヴェレが、情報戦をめぐる検証を行っている。

戦争の影響によって穀物などの輸出が停止し、価格高騰が世界的に広がる。

国連世界食糧計画(WFP)は、世界で4,400万人が飢餓の危機に瀕しているとして、ロシア軍が海上封鎖する黒海の航路確保を求めている。

食糧危機をめぐって、欧米はロシアの黒海封鎖を非難し、ロシアは経済制裁の解除を要求する。

情報戦が狙う標的とは?

●「食糧危機の責任」

クレムリンの偽情報のエコシステムは、ロシアへの国際的な制裁が食糧と燃料価格の高騰の原因であると、国際世論に信じさせようとしている。このようなメッセージは多言語で拡散され、欧州や近隣諸国だけでなく、中国メディアも後押しし、世界的に広がっている。

EUvsディスインフォ」は5月26日、そんな報告を公開した。

それによると、ロシアが拡散する情報戦の一つが、「ウクライナの穀物は、貧困国ではなく、武器供給の支払いとしてEUに輸出されている」というものだ。

ロシアのワシリー・ネベンジャ国連大使が5月19日、国連安全保障理事会の場で、そう主張している

国営ロシア通信(RIA)は5月23日付で、「ウクライナが、穀物をアフリカ・中東ではなく、ルーマニア経由でEUに輸出している」とし、「武器供給の支払い」というネベンジャ氏の発言を紹介している

また、ハンガリーのニュースサイトも、5月20日付で同様の主張を掲載した

これに対して「EUvsディスインフォ」は、ロイター通信の報道を引いて、こう指摘する。

ロシアの侵攻以来、ウクライナの港湾が封鎖されているため、ウクライナは穀物を西部国境から鉄道輸送、もしくはドナウ川の小港を経由して、ルーマニアに輸出せざるを得なくなっている。2022年4月26日現在、約8万トンの穀物をルーマニアの黒海の港、コンスタンツァに送っている。

ロシア軍が黒海を封鎖し、穀物輸出が停止している問題は、これまでもメディアで報じられてきた

タス通信は5月19日付で、ロシア下院のヴャチェスラフ・ヴォロージン議長が、米国、カナダ、スイスの名前を挙げ、「ロシアへの経済制裁で、エネルギーと食糧の価格高騰を招いた」と主張した、と伝えている。ロシア外務省報道官も、その前日に同様の主張をしている、という。

「EUvsディスインフォ」とドイチェ・ヴェレによれば、EU米国の制裁は食糧や農産品は対象とされていない。ただ、後述のように、制裁の影響は別の形で表れている、とも指摘されている。

また、「ウクライナの機雷敷設が穀物輸出阻害の原因」との情報を、RTアラビア語版やチュニジアのメディアなどが発信していたという。

ドイチェ・ヴェレは、これを検証不能とした。だが、ガーディアンや米政府が出資するラジオ・フリー・ヨーロッパ/ラジオリバティなどは、機雷はウクライナがロシア軍の侵攻を阻止するために設置したもの、としている。

●食糧を武器化する

オデーサ地域の港が再開できなければ、それは間違いなく、世界の食糧安全保障に対する宣戦布告になる。そして世界中で飢きんと不安定化、大規模な人々の移動をもたらすだろう。

国連世界食糧計画事務局長、デイビッド・ビーズリー氏は、5月19日の国連安全保障理事会の演説で、そう指摘した。ウクライナには約2,000万トンの小麦が出荷できずに留め置かれているという。

ロシア、ウクライナは有数の穀物輸出国として知られる。

国連食糧農業機関(FAO)の3月25日付のまとめでは、2021年の世界の小麦輸出量のうち、ロシアが18%(3,290万トン)で1位、ウクライナが10%(2,000万トン)で6位となっている。

ロシアの元大統領、ドミトリー・メドベージェフ氏は4月1日、テレグラムへの投稿で、多くの国々の食糧安全保障がロシアに依存しているとし、「我々の食糧は、我々の静かな武器であることが分かった」と述べている。

プーチン大統領は5月26日、イタリアのマリオ・ドラギ首相との電話会談で、「西側諸国の政治的動機による制裁が解除されれば、穀物や肥料の輸出によって、食糧危機の克服に多大な貢献をする用意がある」と述べたという

プーチン氏の同様の主張は、5月28日のフランスのエマニュエル・マクロン大統領、ドイツのオラフ・ショルツ首相との電話会談でも繰り返されている

ウクライナ侵攻に対するロシアへの経済制裁と食糧危機を結びつける主張だ

欧州委員会のウルズラ・フォン・デア・ライエン委員長や、米国のアントニー・ブリンケン国務長官らは、このようなロシアの主張を「食糧の武器化」だとして相次いで非難している。

●アフリカ、中東が直面する

前述のFAOのまとめでは、ロシア、ウクライナへの小麦輸入依存度が30%を超す国は33カ国。アルメニア、アゼルバイジャン、ジョージア、ベラルーシなどの周辺国以外では、両国からの輸入依存度100%のエリトリアを始めとしたアフリカ、中東諸国が大半を占める。

その多くは後発開発途上国(LDC)、低所得・食糧不足国(LIFDC)に分類される

これらの地域では、ウクライナ侵攻をめぐって、西側諸国とは一定の距離を保つ国々も少なくない。

※参照:ウクライナ侵攻「見えない情報戦」でロシアが勝っている? その理由とは(05/23/2022 新聞紙学的

食糧危機は、まさにこれらの国々が直面する問題だ。

アフリカ開発銀行の調べでは、ウクライナ侵攻以来、小麦の価格は45%以上、肥料の価格は300%急騰しているという。

そして、食糧危機を欧米によるウクライナへの武器供給やロシアへの経済制裁と結び付けたロシアの主張、また欧米のロシアに対する「食糧の武器化」との非難は、視線の先にこれらの国々が入っている。

ポリティコによれば、5月31日に開かれた欧州理事会の首脳会談に、アフリカ連合議長を務めるセネガルのマッキー・サル大統領がリモートで参加している。マクロン大統領は「アフリカ諸国が(ロシアの主張の)罠に落ちないよう、警戒が必要だ」と述べたという。

これに対してサル大統領は、食糧と肥料の不足は「極めて深刻で憂慮すべき事態」だとし、EUを非難するロシアのストーリーはアフリカですでに「広がっている」と指摘したという。

セネガルは、3月2日の国連総会におけるロシア非難決議と、4月7日の国連人権理事会におけるロシアの理事国としての資格停止決議で、いずれも棄権に回っている。

さらにフィナンシャル・タイムズによると、サル大統領はこのような懸念を指摘したという。

我々アフリカ諸国は、ロシアへの制裁として、SWIFT(国際銀行間通信協会)決済システムが停止されることによる混乱の巻き添え被害を非常に心配している。

ロシアへの経済制裁には穀物は含まれないものの、ロシアのSWIFTからの排除が、ロシアからの穀物や肥料の購入の支払いを難しくしているのだという。

ポリティコは、イタリアのドラギ首相が、首脳会談後の記者会見で、こう指摘したと報じている。

(多くのアフリカ諸国は)西側を支持しているわけではない。国連の(ロシア制裁の)投票で見たように、多くが棄権した。食糧安全保障の闘いに敗れた場合、これらの国々に西側を支持してもらうことは金輪際望めない。これらの国々は当然のように、裏切られたと受け止める。そもそもの原因が誰かなどという問題は、どうでもよくなってしまう。

セネガルのサル大統領は、EU首脳会談から3日後の6月3日にはプーチン大統領と会談。ツイッターにフランス語と英語でこう投稿している

プーチン大統領は、ウクライナの小麦の輸出を促進する用意があると我々に表明した。ロシアは小麦と肥料の輸出を確保する準備ができている。

投稿はこう続く、「私はすべてのパートナーに、小麦と肥料を対象とした制裁を解除するよう呼びかける」。小麦と肥料は制裁対象ではないが、SWIFT排除が支払いの障害となる、との主張だ。

プーチン大統領はやはりサル大統領との会談後、ロシア国営のロシア1とのインタビューでも、ウクライナの穀物の輸出経路確保に前向きな発言をしている。

そんなロシアのストーリーは、アフリカに浸透し始めているようだ。

(※2022年6月6日付「新聞紙学的」より加筆・修正のうえ転載)

桜美林大学教授 ジャーナリスト

桜美林大学リベラルアーツ学群教授、ジャーナリスト。早稲田大卒業後、朝日新聞。シリコンバレー駐在、デジタルウオッチャー。2019年4月から現職。2022年から日本ファクトチェックセンター運営委員。2023年5月からJST-RISTEXプログラムアドバイザー。最新刊『チャットGPTvs.人類』(6/20、文春新書)、既刊『悪のAI論 あなたはここまで支配されている』(朝日新書、以下同)『信じてはいけない 民主主義を壊すフェイクニュースの正体』『朝日新聞記者のネット情報活用術』、訳書『あなたがメディア! ソーシャル新時代の情報術』『ブログ 世界を変える個人メディア』(ダン・ギルモア著、朝日新聞出版)

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