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ウクライナ侵攻「ブチャの放置遺体が動いた」偽ファクトチェックを繰り返す狙いとは?

平和博桜美林大学教授 ジャーナリスト
ロシア軍が撤退したキーウ近郊の街、ブチャ=4月2日(写真:ロイター/アフロ)

ウクライナ侵攻のロシア軍撤退後の街、ブチャで路上などに多数の遺体が放置されていた。これらを根拠なく「フェイク」と主張する偽ファクトチェックを、ロシア政府アカウントが拡散している――。

ウクライナ政府の4月3日の発表では、ロシア軍が侵攻から撤退した首都キーウ近郊のブチャなどの地域で、すでに410人の遺体が発見されたという。

同国政府を始め、欧米などの各国は戦争犯罪を指摘。国連事務総長のアントニオ・グテーレス氏も独立した調査を要求するなど、国際世論の批判は高まり続ける。

そんな中で、ブチャの惨状を映す動画の中の「遺体が動いた」とする偽ファクトチェックがソーシャルメディアで拡散している。

偽ファクトチェックは、英語やロシア語のほか、イタリア語、ドイツ語などでも拡散が確認されている。

そして、市民の殺害を否定するロシア政府のアカウントも、相次いでこの偽ファクトチェックを共有している。

情報戦の「武器」として繰り返される偽ファクトチェック。その狙いとは?

●190万回の閲覧

「(動画の)12秒のところで右側の“遺体”が腕を動かしている。30秒のところでは、バックミラーに映る“遺体”が座り込んでいる」

ロシア発祥のメッセージサービス「テレグラム」にロシア語でそんな投稿をしたのは、「ウォー・オン・フェイクス」と名乗るアカウントだ。4月3日の午前10時28分(ウクライナ時間)に投稿し、すでに190万回(日本時間5日朝現在)の閲覧がある。

このアカウントが取り上げているのは、ロシア軍撤退後のキーウ近郊の街、ブチャの惨状を明らかにしたウクライナのインターネットテレビ「エスプレッソTV」の動画だ。車両が進む市内のヤブルンスカ通りに、放置されたままの遺体が次々に映し出される。

その遺体が「腕を動かしている」、別の遺体は「座り込んでいる」と、このアカウントは主張している。

このテレグラムのアカウントは、ロシアによるウクライナ侵攻開始のタイミングで開設。さらに、欧州連合(EU)がロシア国営メディア「RT」「スプートニク」の配信を禁止した3月初めに、ウェブサイトを立ち上げている。

ファクトチェックを偽装してフェイク情報を拡散する偽ファクトチェックと見られ、ドイツ公共メディア「ドイチェ・ヴェレ」や米シンクタンク「大西洋評議会」が、検証記事でその現状をまとめている。

※参照:ウクライナ侵攻「偽ファクトチェック」5カ国語で発信、大使館が次々に拡散する思惑とは?(03/14/2022 新聞紙学的

イタリアのファクトチェックメディア「オープン・オンライン」のデビッド・プエンテ氏や、英BBC、同局のシャヤン・サルダリザデ氏、ニュースサイト「オーロラインテル」、米ニューズウィークのエフゲニー・ククリチェフ氏、オランダの調査報道メディア「ベリングキャット」のエリオット・ヒギンズ氏らの検証によれば、「遺体が動いている」という事実はなかった。

「腕を動かしている」と主張している場面は、自動車のフロントグラスについた水滴が、遺体に重なって見えているだけだと、これらの検証は指摘する。

また、「座り込んでいる」と主張している場面は、遺体が映り込んだドアミラーのゆがみによるもの、と指摘している。

これらの指摘を受け、偽ファクトチェックのアカウントは、「腕を動かしている」との主張については、その後、取り下げている。

●「4日間」を否定する

このアカウントはまた、ロシア軍がブチャからの撤退を表明した3月30日から、遺体放置などの惨状への批判が高まった4月3日までの期間について、「この4日間、これらの(惨状を写した)動画はどこにあったのか」とし、その間のウクライナ軍の攻撃による被害ではないか、と主張する。

この投稿の約50分後、ロシア国防省もこれをテレグラムで共有しており、こちらも11万回を超す閲覧がある。またロシア外務省も、その約3時間後に共有している。

さらにロシア国防省は4月3日午後6時半前(モスクワ時間)、改めてテレグラムにブチャをめぐる声明を公開している。

その中でも「4日間」を取り上げ、ブチャ市長のアナトリー・フェドルク氏が4月1日に公開した動画で、3月31日に同市がロシア軍の占領から解放されたと述べた際に、民間人殺害などについて言及していない、と「矛盾」を主張している。

だが前述の各メディアの検証では、この点も否定されている。

ブチャ市長のフェドルク氏は、ロシア軍撤退表明前、3月28日付の伊アドンクロノス通信の記事の中で、すでに「このブチャで、私たちは第二次世界大戦中にナチスが行った犯罪として聞いた、あらゆる恐怖を目にしている」と述べ、ロシア兵による民間人の殺害、強姦、略奪があった、と指摘している。

さらに、遅くとも4月1日夜には、前述の「エスプレッソTV」の動画が撮影されたのと同じ、ブチャのヤブルンスカ通りに遺体が放置されている様子を写した複数の動画が、テレグラムやツイッターに投稿されていた。

また撤退表明後の、ロシア国防省のメディア「ズヴェズダ」の4月1日付の記事では、「ゴストメル―ブチャ―オゼラ方面で、5日間にわたり敵軍の攻撃を押しとどめることができた」「(ドニエプル川の支流)イルピニ川からキエフ(キーウ)に向かう全長5キロの地域を完全掌握できた」などと述べていた。

ウクライナ国防次官のハンナ・マリャル氏が、ブチャを含むキーウ州全域のロシア軍からの解放を宣言したのが4月2日午後7時半前。

その2時間後、ウクライナ大統領府顧問のミハイロ・ポドリャク氏は後ろ手に縛られた路上の遺体が写る写真とともに、「キーウ州ブチャ。手を縛られ、ロシア兵に射殺された人々の遺体が路上に横たわっている。この人たちは軍に所属していなかった。武器も持っていなかった」と書き込んでいる。

つまり、ブチャの惨状をめぐり、ロシアに対する国際的な批判が高まった4月3日に先立ち、4月1日から2日にかけて、すでにその状況を明らかにする動画や画像はソーシャルメディアで公開されていたことになる。

「ウォー・オン・フェイクス」の投稿も、「エスプレッソTV」の動画とともに、このポドリャク氏のツイートのキャプチャ画像を掲載していた。

●マリウポリ産院爆撃と「同じ」

ロシア国防省の4月3日の声明は、これらの動画は報道写真を「挑発」とし、「マリウポリの産科医院などと同じく、キエフ(キーウ)政権が西側メディアのために制作したもの」と主張している。

激戦が伝えられるウクライナ南東部、マリウポリの産科小児科医院に対して、ロシア軍が3月9日に行った爆撃について、ロシア側は根拠なく否定。「ウォー・オン・フェイクス」は爆撃被害にあった妊婦を「なりすまし」などとし、国際的な批判についてロシア政府は「情報テロ」などと主張していた。

これについても、「オープン・オンライン」やBBCなどによる検証で、否定されている。

ただ、事実を否定する情報戦は、さらに強化されている。

ロシア連邦捜査委員会は4月4日、ブチャの民間人殺害に関する「ウクライナの挑発」を拡散する行為に対して、3月に新設したロシア軍についての「偽情報」拡散に最大禁固15年を科す刑法条項に基づき捜査を行う、とした。

情報戦における「武器」としての偽情報の狙いの一つは、絶え間なく繰り返すことで、情報空間を混乱させ、真偽の境界を曖昧にすることにある。

偽ファクトチェックも、各メディアの検証報道を受け、論点を変え、細部に分け入り、なお発信を続ける。

情報戦における「武器」を持つ手は、なお止まっていない。

(※2022年4月5日付「新聞紙学的」より加筆・修正のうえ転載)

桜美林大学教授 ジャーナリスト

桜美林大学リベラルアーツ学群教授、ジャーナリスト。早稲田大卒業後、朝日新聞。シリコンバレー駐在、デジタルウオッチャー。2019年4月から現職。2022年から日本ファクトチェックセンター運営委員。2023年5月からJST-RISTEXプログラムアドバイザー。最新刊『チャットGPTvs.人類』(6/20、文春新書)、既刊『悪のAI論 あなたはここまで支配されている』(朝日新書、以下同)『信じてはいけない 民主主義を壊すフェイクニュースの正体』『朝日新聞記者のネット情報活用術』、訳書『あなたがメディア! ソーシャル新時代の情報術』『ブログ 世界を変える個人メディア』(ダン・ギルモア著、朝日新聞出版)

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