時代を先取りしすぎた携帯ゲーム機「ゲームギア」 任天堂のライバルだったセガの“象徴”

セガのゲーム機「ゲームギアミクロ」(C)SEGA

 セガの携帯ゲーム機「ゲームギアミクロ」(全4種類)が10月6日、各4980円で発売されることが発表され、ネットで話題になっています。元となった「ゲームギア」は1990年10月6日に1万9800円で登場し、カラー画面を売りに、携帯ゲーム機市場で一定のシェアを奪いました。今はソフトメーカーのセガですが、当時はゲーム機とソフトの両方を手掛け「任天堂のライバル」という位置付けでした。同機の可能性を振り返ります。

◇ゲームボーイと逆路線も時代に合わず

 ゲームギアを語るとき、切り離せないのが、1989年に発売されてヒットした任天堂の携帯ゲーム機「ゲームボーイ」(発売当時は1万2500円)です。ゲームボーイの画面は、カラーでなく白黒だったのですが、これは電池の寿命(単3型アルカリ乾電池4本で約35時間)を長くするための選択でした。ちなみに「ファミリーコンピュータ」の価格は1万4800円でしたから、ゲームボーイの価格が特別に安く感じたわけではありません。それでも「テレビを占拠せず、単体でゲームができる」という手軽さを武器に発売当時から人気でした。

 そしてゲームギアの特徴を一言で言えば、ゲームボーイの逆路線を行くゲーム機でした。単3型アルカリ乾電池6本でプレー時間が3~4時間ですからゲームボーイと比べると違いが明確です。電池持ちの時間と価格は弱点でしたが、コンセントから電源を取れるACアダプターをつなげたら電池の時間は関係ありません。そしてカラー画面は、大変魅力的でした。

 しかし、多くのゲームメーカーは、ゲームボーイ向けにソフトを供給したことに加え、アーケードではセガ自身が出して人気を博した「テトリス」もあろうことかゲームボーイに取られてしまい、「テトリス」は400万本以上の大ヒットとなりました。そして当時の子供たちの遊び方のスタイルは、電池持ちの良さが重要でした。家でゲームを遊ぶと親の干渉がありますから、携帯ゲーム機を屋外に持ち出し、友達同士で回して遊ぶため、アダプターを使いづらかったのです。現代の「携帯ゲーム機は1人1台」というスタイルとは、まるで違うわけです。

 ゲームボーイは、ゲームギアの発売から8年後の1998年に「ゲームボーイカラー」を出し、累計出荷数を1億1869万台に伸ばしています。つまりカラー路線は間違っていなかったのですが、電池の持ちがあってこそでした。結果論になりますが、ゲームギアのコンセプトは時代に合わなかったのです。それでも「世界出荷数は1000万台超」(セガ広報部)というのですから、ゲームギアは一定のシェアを取りました。

 もう一つ。不運だったのはゲームギアの発売から4年後、「プレイステーション」と「セガサターン」という、グラフィック重視の据え置き型ゲーム機が登場して人気を博し、その盛り上がりに反比例するように、携帯ゲーム機が売れなくなりました。こうしてゲームギアは、セガ唯一の携帯ゲーム機として、幕を下ろす形になりました。

◇車内搭載テレビの可能性も

 ゲームギアは、別売りの「テレビチューナーパック」(1万2800円)を装着すれば、テレビになりました。自動車のシガレットライターソケットから電力を供給できる「カーアダプタ」(3500円)があれば、低価格の車載搭載テレビに早変わりしたのです。当時はカーテレビなるものがありましたが高価でしたし、ブラウン管でしたから、スペースが限られる車内とは相性が悪かったのですね。

 関係者に「ゲームギアを自動車メーカーに売り込まなかったの?」と尋ねると「当時、ゲーム機は子供のツールで、大人に売る発想がなかった」と教えてくれました。自動車に搭載する商品を作るぐらいですから、ビジネスの可能性には気づいているわけで、何とも惜しい話ではあります。さらに、アイドルとして人気絶頂だった高橋由美子さんを起用したイメージアップ戦略も行っていました。歯車がかみ合えば、もっと売れていたのかも……と思ってしまいます。

 ちなみに携帯電話では、ゲームギアの発売の9年後にあたる1999年にNTTドコモから日本初のカラー液晶搭載の携帯電話「F502i」が、テレビ視聴で言えば2005年にKDDIから日本で初のワンセグ(テレビ視聴)対応携帯電話「W33SA」が発売されています。ワンセグ対応の携帯ゲーム機も含めて、ゲームギアの先取り感は驚くものがあります。

 任天堂のライバルとして渡り合いながらも、届かなかった「惜しさ」を含めて、かつてのセガの“象徴”と言えるゲーム機のような気がするのです。時代の流れに思いをはせながら、ゲームボーイと戦ったゲームギアの息吹を感じたいと思います。