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元日本代表MF山瀬功治が振り返るオシム監督の教え「ピッチ上の全ての行動が、全てつながっている」

河治良幸スポーツジャーナリスト
(写真:アフロ)

イビチャ・オシム元日本監督の死去(享年80歳)が伝えられました。国際的な名将であり、日本ではジェフユナイテッド市原・千葉、日本代表の監督として多大な功績を残しました。

またジェフと日本代表の両方で指導を受けた阿部勇樹氏をはじめ、多くの選手・元選手が人間としても成長できたことをメッセージに残すなど、本当に偉大な監督であったことを改めて感じさせられます。

オシム氏に直接指導を受けた経験のある現役選手、特にJリーグ所属の選手となるとかなり少なくなっていますが、Jリーグ23年連続ゴール記録を達成したJ2レノファ山口のMF山瀬功治はその一人です。

今から16年前、オシム監督の代表初采配となった2006年8月のトリニダード・トバゴ戦が、横浜F・マリノスに在籍していた山瀬選手のA代表デビューでした。そして翌年のカメルーン戦では記念すべき代表初ゴールを記録しています。

写真:築田純/アフロスポーツ

その後、オシム氏は2007年11月に脳梗塞で倒れて、山瀬選手の恩師でもある岡田武史監督に日本代表は引き継がれました。

オシム氏の当時の思い出と今にも生きていることを山瀬選手に聞きました。

ーーオシムさんが亡くなられたというニュースがあって。山瀬選手も日本代表で指導を受けた経験がある中で、聞いた時にどう思いましたか?

とても日本のサッカー界に色んなものを残してくださった方だと思うので、すごく残念で、ご冥福をお祈りしますとしか今は言いようがないですね。

ーー山瀬選手が日本代表に招集された当時はアテネ五輪世代が多かったですけど、当時の記憶というのは?

僕にとっては初めての代表で、初招集をしてくださった方でもあるので。代表への道を最初に作ってくださったのはオシムさんという感謝は今もあります。

ーーそれ以降もあの世代の選手たちと切磋琢磨しながら山瀬選手もやってきたと思いますけど、そういうキャリアの中であの代表招集はどういうものでしたか?

僕自身は初招集されたのが、感慨深さとかよりも、自分が怪我から復帰したてだったとか。色んな状況があった中で、自分が代表に入るとは想定していなかった。だから、どちらかというと”びっくりした”という印象の方が残っているんですよね。

ただ、やはりA代表の活動をできるかどうか、そこに身に置くことができるかどうかはサッカーの技術的な部分もそうですけど、国を背負って戦う機会を得られるというのは精神的というか、色んな部分で刺激になる。

それがきっかけで、また色んなものの考え方だとか、そういう部分が大きく変わる出来事ではあるので。やっぱりあの時、代表に招集されて、そこでキリンチャレンジカップを経験できたというのは、やっぱり僕のサッカーキャリアでもすごく大きな転機の1つだったと思います。

ーー翌年のカメルーン戦での代表初ゴールは今思い出されると、初招集の時とも違う感慨がありましたか?

そうですね。初招集の時が、僕にとっては想定外でスタートした代表活動だったとしたら、あの時はチームでにのパフォーマンスだとか、そう言ったものはそれなりうに手応えをつかめた年でもありましたし、いい意味で自信を持って代表の活動に参加できた時期でもあったので。

そういう意味ではやっぱり、その中でプレーとして見せられるかどうかに意識を向けられていたというか。最初は付いていくと言ったらおかしいですけど(笑)。そこから、どうやって付いていくかから、どうパフォーマンスを発揮していくか、アピールするかという段階になって、ゴールは意識していた部分ではあったので。それが1つ形になったのは印象に残っています。

僕の場合は代表でのゴールがそんなに多くないですから、全部が思い出深いですけど、代表での初得点だったので、あのゴールは違った意味で本当に感慨深いゴールでした。

筆者スクリーンショット
筆者スクリーンショット

ーーオシムさんのサッカーで、「考えながら動く」「動きながら考える」というのはよく言われますけど、実際にどういうことを感じていましたか?

やっぱりものすごく頭は使わされましたね。もともと僕が物事を考えてやるのが苦手ではないので、そこまで違和感なく入れましたけど、それでもやっぱり練習だとか試合が終わった後には体の疲労以上に、それまでの試合や練習を行う以上に、疲労を感じるぐらいサッカーをいろいろ考えさせられながらプレーさせてもらったので。

今のサッカーって考えてやるのは当たり前じゃないですか。普通のことだと思いますけど、当時はそこまで浸透していないというか、当時も考えながらやっていたとは思いますけど、やっぱり現代サッカーの必要な能力ややるべきことを日本のサッカー界に先駆けてもたらされた方だと思います。

そういったものを経験できた僕も含めた選手たちは息の長い選手が多いのかなという気がしますけどね。そういうベースがあるから、その時々で何をしないといけないのかを掴みながらやれているのかなと。それがサッカーを長く、なおかつある程度、質が高い状態で続けていくには必要不可欠なことだと思うので。

そういったことをオシムさんに僕もそうですけど、指導を受けた人は知らず知らずのうちに、身に付けさせてもらったんじゃないかなと思います。

ーー基本的なことではあるんですけど、サッカーは一人じゃできないよということをオシムさんはすごく強調して言っていたので。今のレノファ山口もチームのために走ることが最終的には自分に対する恩恵にもなってくると名塚善寛監督がおっしゃってますけど、そういう部分を当時のオシムさんから感じたというのはありますか?

オシムさんは走るというフレーズを使って、組織としての連動性だとか、つながりの部分を強調されていましたけど、やっぱりサッカーはチームスポーツで。基本はボールを中心に物事が動くんですけど。

ボールに直接関わらないところの走るという動きもそうだし、それ以外のコーチングとか様々な行動が結局、全部つながってボールサイドのところに何かしらの影響を与えているのがサッカーだと思うんですよ。

だからボールの周りにいる人だけのアクションだとか、動き、そういう行動だけが影響するんじゃなくて、逆サイドの選手のちょっとした動きだとかが全部つながっている。ピッチ上の11人全ての行動が、全てつながっているんだというのがサッカーだと思う。

その大切さを1つの連動というところですね。関係性だとかをオシムさんはチームのために走るとか”水を運ぶ人”みたいなフレーズもありましけど、全部が結局は繋がってるんだよというのをすごく、教えてくれてたんだろうなと今振り返ってみると、改めて分かりますよね。

僕なんかもそうですけど、当時はボールを受けて、自分で仕掛けてだとか。どちらかというとボール近辺、3人目の動きまでを入れたとしても、ボール周辺の動きという意識が強かった。

それがある程度、大事な部分という意識もありましけど、こうやって年を重ねて、ポジションも変わったりだとか、自分のできるプレースタイルも変わってというところで。やっぱりボール近辺だけじゃなくて、ピッチ上全ての部分がどれだけ連動しているかとか、どれだけつながりを持ててだとか、行動ができるかがすごく重要だと意識してやっている部分があるので。

それっていうのは当時、オシムさんが言ってたことではあるんだろうなと。オシムさんは走るということを大事にしていて、別にそれじゃないやり方もあると思いますけど、ピッチ上の11人が常に何かしらのアクションを起こしてつながり続けるということが大事なんだと、今は身をもって感じています。こういうことだったんだろうなと。

ーー本当に”愛弟子”と言われる阿部勇樹さんや山瀬選手のような代表で指導を受けた選手もそうですけど、直接指導を受けていない選手も、間接的にはオシムさんの影響を受けた指導者だったり、関わったスタッフから学んだりとか。色んな形で影響していると思うんですけど、オシムさんに対して、日本サッカーがこう成長していくことで報いていきたいなという、いち選手としての思いは?

今でこそ本当に日本人のサッカー選手でもワールドレベルで、個の力で物事を打開できたりだとか、個の力で勝負できるようなスキルを持った選手が増えてきている。昔はまだまだ一人一人のクオリティ、質ということを考えると、個で勝負する形では無かったんですよね、日本サッカーというのは。

じゃあ、それだけ組織としてそういう世界を相手に戦うかで、組織として戦うのに何が大事なのと。どうすれば選手一人ひとりの持っている力を足し算じゃなくて掛け算のような形で増やしていけるのかというところで、そのやり方最初はジェフでしたけど、日本サッカー界に持ち込んでくれた、特に世界レベルで持ち込んでくれたのがオシムさんだと思うので。

それがやっぱり今でも日本サッカー界の1つのベースには間違いなくなってますよね、組織としての。もともと、日本人は組織として動くというのが得意でもあるので、だからその強みをどうすればいいのか、分かりやすく根付かせてくれた方だと思うし、そこにプラス個人の能力としてもワールドレベルの選手が増えてきている。

その両方、個の力と組織の両方が合わさって行くのがやっぱり、これから日本のサッカー界がさらに上を目指して行くためには必要だとは思うので。組織としてのベースを日本サッカーに持ち込んでくれたという部分で、日本のサッカー界が受けた恩恵は計り知れないだろうなと思います。

僕はそこまでめちゃくちゃ指導を受けられたわけではないので、逆にその部分の指導を事細かくというか、頻繁に受けられる環境だったらまた面白かっただろうなというところは残念に思うんですけど。

オシムさんだけじゃないですけど、オシムさんの力も借りながら発展してきた日本サッカー界がこの先どういう成長を見せてくか。それがお世話になったオシムさんに示せる1つのお礼だと思います。

そして多少なりとも指導を受けた身としては、プレーでもそうですし。この先どういう形で選手を続けて行くのか、いつ引退するかは今分からないですけど、そう言ったものを後世に伝えて行く。それがオシムさんに指導を受けた者としての1つの責任でもあります。

僕に限ったことじゃないと思いますけど、そういう色んな方から受けた経験や考え方を後世につなげて、どんどん積み重ねて行くというのが、日本サッカー界の発展につながって行くと思うし、その一端を担えればなと思っています。

そのためにも、これから先の1つ1つ、今できることをしっかりやりながら過ごしていきたいなと思います。

スポーツジャーナリスト

タグマのウェブマガジン【サッカーの羅針盤】 https://www.targma.jp/kawaji/ を運営。 『エル・ゴラッソ』の創刊に携わり、現在は日本代表を担当。セガのサッカーゲーム『WCCF』選手カードデータを製作協力。著書は『ジャイアントキリングはキセキじゃない』(東邦出版)『勝負のスイッチ』(白夜書房)、『サッカーの見方が180度変わる データ進化論』(ソル・メディア)『解説者のコトバを知れば サッカーの観かたが解る』(内外出版社)など。プレー分析を軸にワールドサッカーの潮流を見守る。NHK『ミラクルボディー』の「スペイン代表 世界最強の”天才脳”」監修。

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