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米国のコロナ対策緩和に不安が募るがん患者

片瀬ケイ在米ジャーナリスト、翻訳者、がんサバイバー
米国癌学会はコロナによるがん患者ケアとがん研究への影響報告を発表(AACR提供)

コロナ禍でのがん患者ケア

 新型コロナのために制限つきの日常生活を送るようになって、もうすぐ3年目に入る。この間、米国政府はソーシャル・ディスタンス、ロックダウン、手洗い、マスク、ワクチンなど様々な感染対策を打ち出してきたが、これまでに米国人の約6人に1人が新型コロナに感染し、死者数も100万人に近づきつつある。

 それでも猛威を振るってきたオミクロン株の新規感染件数や入院者数がやっと減少傾向となり、収束の兆しが見えはじめた。感染レベルはまだまだ高いものの、大多数の市民はマスクにも、マスクやワクチン接種の義務化をめぐる議論にも嫌気がさし、一日も早く解放されたいと思っている。マスク着用義務など厳しい感染対策を行ってきた州でさえ、規制緩和に向けて動きはじめた。

 しかしそんな状況を手放しで喜べないのが、多くのがん患者たちだ。米国癌学会(AACR)が2月9日に発表した「がん研究とがん患者ケアにおけるCOVID-19の影響」という報告書(注1)には、コロナ禍でがん患者や医師、研究者が直面した様々な障害や苦悩が浮かび上がる。

がん患者に孤独を強いたコロナ禍

 例えばテキサス州ダラス市近郊に住むレイチェルさん。33歳で3人の幼い子供を持つママだ。2020年11月の婦人科検診で卵巣腫瘍が見つかった。良性腫瘍だろうという見立てですぐに手術をして病理検査を行ったところ、実際には転移した胃がんであることがわかった。コロナ禍でのがん専門医との面談は、最初からオンラインのズームを通してだった。

 遠く離れたヒューストン市のMDアンダーソンがんセンターの臨床試験に参加できることになったが、治療開始前に夫がコロナに感染し、その後レイチェルさんもコロナの症状を発症。余命が1年程度かもしれない進行がんで、望みをかけた臨床試験による治療開始を遅らせなければならない日々は、果てしなく長く感じられたと言う。またコロナ感染対策で病院には患者本人しか入れない。自宅から離れたがんセンターで、レイチェルさんはがんに対する不安を抱え、家族と離れて一人孤独の中で治療に臨まなければならなかった。

 幸いにも治療の効果でレイチェルさんの症状は安定し、また子供たちの世話ができるようになった。それでも3週間に一度はコロナとがんの両方を心配しながら、ヒューストンに通う日々を送っている。

コロナ禍で医療アクセスに制限

 一方、カリフォルニア州サクラメントに住む68歳のラリーさんは、2010年から慢性リンパ性白血病と共に生きてきた。様々な治療や臨床試験、治療の副作用や再発を経験し、2019年末にはシアトルのがんセンターでCAR-T細胞療法の臨床試験に参加した。しかし2020年春にコロナの第一波が米国を襲い、医療チームはラリーさんに家から出ないようにアドバイスした。

 ラリーさんのように血液のがんを患い治療を受けている人は、感染症から体を守る免疫機能が著しく低下している。本来なら臨床試験の一環として生検や画像検査などのフォローアップを行う必要があるが、コロナ禍に免疫不全のラリーさんが飛行機に乗ってシアトルに移動するのは論外だった。CAR-T細胞療法そのものは地元で続けられるように工夫してもらったが、シアトルのがんセンターでのフォローアップは1年半できないままだ。

 オミクロン株による新規感染件数が下がって来たとはいえ、全米の一日あたりの新規感染件数は今も10万件以上にのぼる。筆者の住むテキサス州をはじめ、10州では集中治療室の空きベッドは15%以下。医療スタッフの不足で一般病棟に患者を受け入れられない病院もあり、心臓発作やがんを含む疾患の合併症が悪化しても、受け入れ病院が見つからないケースが続出している。

 コロナ感染対策の緩和とともに、マスクの利用が減り、ワクチン接種をしないままの人が増えれば、感染レベルはあまり下がらないかも知れない。今のように、いざという時に入れる病院がないといった状態が続けば、がん患者らは引き続き家に閉じこもり不安な生活を送らざるをえない。

がん患者こそコロナワクチンが必要

 高齢者や、肺がんなどを含む基礎疾患を持つ人が新型コロナ感染症に感染すると、重症化するリスクが高い。それを防ぐために、米国ではがん患者も優先接種グループとして扱ってきた。しかしワクチンをめぐり不正確な情報やデマが流布し、一方で身近な医療従事者に相談しにくい状況が続いたために、「がんを患ったから」、「がん治療を受けたから」などの理由で「ワクチンは怖い」と自分だけで判断してしまう人もいる。「がん治療中の患者はコロナ関連の誤情報を信じやすい」というバージニア・コモンウェルス大学の研究結果(注2)もある。

 しかしほとんどのがん患者、がんサバイバーにとって、コロナワクチンは有効かつ安全だ。米国の公衆衛生当局や全米総合がん情報ネットワーク(NCCN)、AACRや米国臨床腫瘍学会(ASCO)などのがん関連団体は、がん患者とコロナワクチンに関する情報提供につとめ、接種を呼びかけてきた(注3)。

 さらに2月7日には、フォックス・チェイスがんセンターが、「がん患者におけるmRNAワクチン安全性」に関する研究結果も発表した。この研究では、ファイザーのコロナワクチンを2回接種した約2000人の副反応を調査。対象者の半数以上ががん体験者で、うち18%は手術、放射線、化学療法など治療継続中の患者だったが、がん体験者のワクチンの副反応は注射部位の痛みや体の痛み、疲労感、発熱、頭痛など、内容も発生割合も非がん体験者と同等であることがわかった(注4)。

がん患者や高リスク者を置き去りにしないで

 一方、組織や幹細胞移植を受けて免疫抑制剤を服用している人や、悪性リンパ腫や白血病など血液のがんで治療を受けた人、前述のラリーさんのようにB細胞を標的とするCAR-T細胞療法を受けている人は免疫機能が低下しているため、コロナワクチンを接種しても抗体ができにくい。

 米国では、現在こうした中程度および重度の免疫不全の人には3回のワクチン接種を標準として、4回目の接種をブースターと位置付けている(注5)。昨年10月にコロナ感染症に伴う合併症で亡くなったコリン・パウエル元国務長官も、免疫機能が低下する多発性骨髄腫にかかり治療中で、3回目のワクチン接種を受ける直前に、コロナ感染症にかかってしまった。

 CAR-T細胞療法を受けている前述のラリーさんも、2回の接種では抗体がまったくできなかったという。「私のようなワクチンが効かない患者にとっては、周囲の人がワクチン接種を含めできる限りの感染対策をしてくれることが頼りです」と話す。ラリーさんのようながん患者だけでなく、免疫機能が衰えた高齢者や、まだワクチン接種ができない子どもにとっても、まわりにコロナに感染しない環境をつくることが最大の防御となる。

 コロナ禍を通して、がん患者も医療者も研究者もオンライン診療を活用したり、患者が地域で臨床試験に参加できる仕組みを工夫したりして、治療や研究の継続に取り組んできた。コロナの感染レベルが大きく下がり、本当の意味で安心して暮らせる日が戻ってくる日を誰もが待ちわびている。

 しかし米国の2回のワクチン接種率は今も65%程度。3回目のブースター接種を受けた割合も28%にとどまる。テキサスのように元からマスク着用義務に反対の共和党知事の州では、オミクロン株が猛威を振るう間も街中でマスクしている人はほとんどいなかった。まだまだ感染者が多い中での規制緩和についてがん患者らは、「自分はコロナを振り切った」とばかりにマスクもワクチンも忘れて自分の自由しか目に入らない人々から、置き去りにされる不安を感じている。

関連リンク

注1 米癌学会(AACR)の報告書 Impact of COVID-19 on Cancer Research and Patient Care (英文リンク)

注2 治療中のがん患者はCOVID-19の偽情報を信じやすい(英文リンク、VCU News)

注3 新型コロナワクチンとがん患者さんについてQ&A(米国立がん研究所、海外がん医療情報リファレンス翻訳)

注4 mRNAのコロナワクチンはがん患者にも安全(英文リンク、Fox Chase Cancer Center)

注5 中程度および著しい免疫不全を抱える人とコロナワクチン(英文リンク、CDC)

在米ジャーナリスト、翻訳者、がんサバイバー

 東京生まれ。日本での記者職を経て、1995年より米国在住。米国の政治社会、医療事情などを日本のメディアに寄稿している。2008年、43歳で卵巣がんの診断を受け、米国での手術、化学療法を経てがんサバイバーに。のちの遺伝子検査で、大腸がんや婦人科がん等の発症リスクが高くなるリンチ症候群であることが判明。翻訳書に『ファック・キャンサー』(筑摩書房)、共著に『コロナ対策 各国リーダーたちの通信簿』(光文社新書)、『夫婦別姓』(ちくま新書)、共訳書に『RPMで自閉症を理解する』がある。なお、私は医療従事者ではありません。病気の診断、治療については必ず医師にご相談下さい。

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