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新型コロナワクチンの治験に参加してみた

片瀬ケイ在米ジャーナリスト、翻訳者、がんサバイバー
mRNAワクチン候補か、塩水か?コロナワクチンの治験での注射(筆者撮影)

ワクチン治験に参加したわけ

 一足お先に新型コロナワクチンを接種してきた。と言いたいところだが、注射されたのはプラセボの塩水かも知れない。

 今も毎日、数万人単位で新型コロナの新規感染者が出ている米国。政府の強力なバックアップのもとで複数の新型コロナワクチン開発が進められ、すでに3つのワクチン候補が最終段階の大規模治験に入っている。その中の一つ、独バイオンテック社と米ファイザー社が開発に取り組むmRNA(メッセンジャーRNA)ワクチンの治験が、筆者の自宅近くの診療所でも開始された(注1)。地元テレビ局のニュースで、自らも黒人の治験担当医師が「みんなが使えるワクチンであることを検証するためにも、マイノリティの人達にぜひ志願してほしい」と呼びかけていた。

 米国では白人と比べて、黒人やアメリカ先住民を筆頭とするマイノリティのコロナ死亡率が圧倒的に高い。日本の新型コロナ罹患数は欧米よりはるかに低いが、米国ではアジア系も例外とは言えない。人種別死亡率を調べたAPMリサーチによれば、黒人は白人の3.6倍、アメリカ先住民は3.4倍、ヒスパニックが3.2倍、アジア系でさえ白人の1.3倍なのだ(注2、8月18日までのデータから)。

 人種によりワクチンの効き目が違うとも思えないが、そうしたことも含めて調べるのが大規模治験。ファイザー社のワクチン開発が成功したら、日本にも6000万人分供給する合意をしたそうだし(注3)、筆者もアジア人代表のつもりで志願してみたのだ。18歳から85歳のおおむね健康な3万人の参加を募るこの治験は、全米の140以上の医療機関で実施されている。参加者の要件、試験の実施要領、データの収集方法などこと細かに決まっており、独立的立場の「治験審査委員会」から承認を得た上で、厳格に実施される(注4)。

 筆者は8月末に診療所を訪れ、健康状態などが試験参加要件に合うことを確認。治験の内容とリスクの説明を受けて同意をした後、まずはPCR検査と採血をした。そして、いよいよ注射器に入った「ワクチン候補薬」がやってきた。

 「筋肉注射だけど、注入量はインフルエンザ・ワクチンより少ないから、痛くないと思うわよ」と、注射器を手にした治験担当者は言った。注射は苦手な方だが、確かにほとんど痛みは感じなかった。アレルギー反応が起きないかどうか30分ほど診療所で様子を見た後、緊急時の治験医師への連絡先を渡されて帰宅した。特に問題がなければ、スマホにダウンロードしたアプリで定期的に体調を報告する。

治験参加者はスマホから定期的に体調を報告する。これで長期的な副反応などを追跡調査する。(筆者撮影)
治験参加者はスマホから定期的に体調を報告する。これで長期的な副反応などを追跡調査する。(筆者撮影)

 このワクチンは2回接種なので、3週間後に2回目の接種を受けることになる。

ランダム化比較試験って、こういうこと

 ランダム化比較試験は、治験(臨床試験)の中でも、一番信頼性が高いと言われる。大勢の参加者のうち、ランダムに振り分けられた半数はワクチン候補薬、残り半数にはプラセボとして生理的食塩水を注射する。バイアス(思い込み)を排除するために、治験を実施する医師も、注射を受ける参加者も、誰がどちらの注射を受けるかわからないようになっている。

 つまり私も治験には参加しているものの、本当にmRNAワクチンの候補薬を接種されたのか、ただの食塩水を注射されただけなのか、まったくわからない。

 新型コロナワクチンの治験は、テキサス州をはじめ感染が蔓延している地域で、保育所や食料品店、医療機関など、日常的に人に接する環境の参加者を求めている。接種後、感染しないよう気をつけて過ごしていても、感染者が多い環境にいれば、やがて感染する人もでてくるだろう。ワクチン候補を接種した人と、プラセボだった人の経過を比べ、ワクチン候補組で感染率が低い、感染しても重症化率が低いなどの明確な差がデータとして出れば、ワクチン候補は有効だということになる。

 また治験参加者からは注射前、注射を受けた1カ月後、6カ月後、1年後、2年後に採血をし、ワクチン注射による免疫応答についても詳しいデータをとる。安全性に関しても、参加者は2年にわたり定期的に体調を報告することになっている。

やっぱり気がかりな安全性

 どんなワクチンでも副反応が誰に対してもゼロということはない。注射針を刺せば、多少は痛い。バイオンテックとファイザーの治験について言えば、6月22日までにワクチン候補の注射を受けた248人の経験をもとにすれば、注射による副反応の可能性は、注射部位の赤みや痛み、腫れ、頭痛、発熱、悪寒、疲労だという。ただし、いずれも軽度から中等度で1日~2日の一過性のものだったそうだ。

 私の場合は、接種の翌日、注射をした上腕が筋肉痛のように痛んだが、これはインフルエンザのワクチン接種でも毎回経験することなので、驚かなかった。それ以外には何も不快な症状はでなかった。

 9月8日、米国を含む複数国で第3相試験を開始している英オックスフォード大学と英アストラゼネカ社の治験では、英国で一人の治験参加者に「原因不明の神経症状」がでたことから、自発的に治験を一時中断すると発表した。まずはこの原因不明の症状および安全性データの詳細について、独立的な立場の委員会が審査をする。副作用の可能性もあるが、偶然、別の原因で症状がでた可能性もある。

 「ワクチン治験で副作用」という見出しが目に飛び込んできてドキっとした。が、アストラゼネカ社の治験が即座に一時中断され、何人もの専門家の目で安全性をチェックする仕組みが機能していることに、ほっとした気持ちになる。

 やはり一般の人が使える安全なワクチンを作るには、こうして多く人で不利益な作用がでないか、出た場合の不利益の程度や原因は何かなどを、つぶさに調べるしかない。治験で安全性や有効性を示すデータを得て、FDAなどの政府機関への承認申請にこぎつけても、さらに別の専門家らがデータをつぶさに確認し、基準を満たしていると納得するまでは承認されないのだ。

信頼性というハードル

 広く一般の人が使うワクチンは、そう簡単にはできない。しかし大統領選挙を11月頭に控えたトランプ大統領は、新型コロナワクチンは「選挙のころ、いや選挙前にもできるかもしれない」と、何度もほのめかした。米食品医薬品局(FDA)はワクチン承認審査の厳格性、透明性を強調しているが、政権の圧力で拙速な開発、承認が行われるのではないかと不安に感じる市民も少なくない。

 特に新型コロナワクチンでは、バイオンテック社とファイザー社のmRNAワクチン候補のように、遺伝子技術を使った新しいタイプのワクチンも開発されており、「本当にうまく行くの?」と、つい疑心暗鬼になりがちだ。

 最終的に承認された新型コロナワクチンができても、一般の人がその安全性や有効性に疑いを持つようでは、使ってもらえない。ワクチン開発に取り組む9社のCEOは9月8日、「FDAの専門家が求める基準を満たす第3相試験によって、安全性と有効性が確立されるまでは、規制当局に承認および緊急使用許可を申請しない」という異例の共同声明を発表している。

mRNAワクチンの実用化なるか?

 mRNAは、タンパク質を合成する『指令』を写し取った遺伝物質。新型コロナのmRNAワクチンを接種すると、体内ではそのmRNAの指示に従って、コロナウイルスの一部のタンパク質が作りだされる。それに反応して、抗体やT細胞反応などの免疫が誘導されるという仕組み。mRNAワクチンは、病原体の毒性をなくして作る従来の不活化ワクチンより早く製造でき、変異が早い病原体や個別化がんワクチンとしての活用などで期待がかかっているが、まだ実用化されたものはない。

 バイオンテック社とファイザー社のmRNAワクチン候補は、動物実験で有効性や安全性を確かめた後、最も安全で適切な用量を特定するために、米国では今年5月にヒトを対象とした小規模治験を開始した。約120人から得た予備的データでは、2回のワクチン接種による重篤な有害事象はなく、中和抗体活性やT細胞反応が示されている。

 またサルを使ったチャレンジ試験(ワクチン接種後、意図的にコロナウイルスに曝露させる)では、予防効果も示されたそう。これとは別に、米モデルナ社と米国立衛生研究所(NIH)で開発したmRNAワクチン候補も、全米で第3相試験を実施している。

 トランプ大統領のように政治目的でワクチンを早く承認しろという人もいれば、ワクチン陰謀論者や、何のワクチンであれ使いたくないという反ワクチン派もいる。しかし米国ではこれまでに、650万人が新型コロナウイルスに感染し、19万人が命を落としたという現実がある。パンデミックはすぐにはなくならない。雑音には耳を貸さず、科学にもとづき粛々と治験を進め、有効で安全なワクチンが一つでも多く完成することを期待したい。

参考リンク

(注1)米国立衛生研究所の臨床試験データベースに掲載されている治験詳細(英文リンク)

(注2)米国での人種別新型肺炎による死亡調査(英文リンク)

(注3)ファイザーとBioNTech、1億2000万回のBNT162mRNAワクチン候補を日本に提供(報道発表)

(注4)ファイザーとBioNTech、COVID-19に対するmRNAワクチン候補を決定し、国際共同第2/3相試験を開始(報道発表)

参考:新型コロナワクチンの早期実用化に向けた厚生労働省の取り組み

在米ジャーナリスト、翻訳者、がんサバイバー

 東京生まれ。日本での記者職を経て、1995年より米国在住。米国の政治社会、医療事情などを日本のメディアに寄稿している。2008年、43歳で卵巣がんの診断を受け、米国での手術、化学療法を経てがんサバイバーに。のちの遺伝子検査で、大腸がんや婦人科がん等の発症リスクが高くなるリンチ症候群であることが判明。翻訳書に『ファック・キャンサー』(筑摩書房)、共著に『コロナ対策 各国リーダーたちの通信簿』(光文社新書)、『夫婦別姓』(ちくま新書)、共訳書に『RPMで自閉症を理解する』がある。なお、私は医療従事者ではありません。病気の診断、治療については必ず医師にご相談下さい。

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