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「米国の宝」と呼ばれる男  トランプ大統領が嫉妬するドクター・ファウチのコミュ力

片瀬ケイ在米ジャーナリスト、翻訳者、がんサバイバー
大リーグの始球式で暴投し、ソーシャル・ディスタンスか?といじられるお茶目な面も(写真:代表撮影/ロイター/アフロ)

ファウチ抜きに走る大統領

 米国では再び新型コロナウイルスの感染者が激増している。トランプ大統領は7月21日、ほぼ3カ月ぶりに新型コロナ対策の記者会見を再開した。しかしそこには、コロナ対策本部の要であるアンソニー・ファウチ国立アレルギー感染研究所長の姿はなかった。それどころか、Dr. ファウチにはコロナ対策の会見が再開されることさえ伝えられていなかったという。

 「コロナ騒ぎ」をさっさと収束させて、大統領選挙に向けて経済再開を推進したいトランプ大統領と、「未知のウイルス」に対して慎重な対応を呼びかけるDr. ファウチとの間には、春の段階から亀裂が見え隠れしてた。

 特に最近ではトランプ大統領自身やホワイトハウス側近が、あからさまにDr. ファウチを批判している。大統領は今月はじめ、テレビのインタビューで「(Dr. ファウチは)多くの間違いを犯した」、「彼はちょっとしたアラーミスト(alarmist、大げさに警戒する人)だ」と述べた。また、通商担当のナバロ大統領補佐官も7月15日、USAトゥデー紙に「アンソニー・ファウチは、私が関わったすべてのことで間違っていた」と題する批判的な寄稿をした。

 トランプ大統領を支持する政治家や市民が「大統領の足をひっぱる存在だ」、「医療専門家が独裁者よろしく市民に命令するのか」、「米国経済を破壊する気か」といった激しい非難をDr. ファウチにぶつけることも多い。

 しかし世論調査によれば、新型コロナウイルスに関する情報でトランプ大統領の言うことを信じるという市民は30%しかいないのに対し、市民の64%がDr. ファウチの言うことを信じると答えている。

 なぜDr. ファウチが「米国の宝」と呼ばれ、多くの市民から信頼されるのだろうか。

知識と経験に裏打ちされたコミュ力

 ファウチ氏は医師として、研究者として50年のキャリアを持つ。うち36年間は米国国立衛生研究所(NIH)で感染症対策を担当し、80年代のレーガン大統領時代から米国市民の健康を守ってきた。新型コロナウイルス以前にも、HIV、SARS、MERS、H1N1、エボラ出血熱、ジカウィルスなどあらゆる病原体と格闘し、感染症に関しては米国内で最も広範な知識を持つ研究者と言える。

 特筆すべきは、ファウチ氏が今でも医師として臨床活動を続けている点だ。あるインタビューでその理由を聞かれ、「医者であることが、私のアイデンティティ。医者としての視点が、私の行動すべてに影響している。今のパンデミックについても、実際に人が病気で苦しみ、死んでいく。医者の本能で、それを現実のものとして感じることで、パンデミックの見方も違ってくる。40年にわたり患者と一緒にHIVと戦ってきて、本当に多くのことを学んだ」と答えている。

 40年前、HIV/エイズがまだ「ゲイ男性のかかる特殊な未知の病気」とみなされていた頃、患者たちは状況を放置する政府や、科学者が一方的に研究を進めるだけの衛生当局に強い不信感を抱いていた。

 怒りの標的となったのが、NIHの若き研究者としてHIVに取り組んでいたファウチ氏だった。当時は科学者が、医学や科学知識のない患者や活動家を相手にする雰囲気になかったが、ファウチ氏は抗議デモでNIHに押しかける患者支援の活動家らと対話し、共に治療法を模索すべく信頼関係を構築していった。

 子どもの頃から家業の薬局を手伝い、人の役に立ちたいという思いで医師を目指したDr. ファウチ。相手の状況や気持ち、要望をくみ取った上で、科学的な知識に基づく現実的なアドバイスをしながら、ウイルスの征圧という共通のゴールに向けて一緒に進んでく。そんな真摯な態度が、Dr. ファウチの優れたコミュニケーション力の根っこにある。

市民と運命を共にする

 コミュニケーションは、公衆衛生対策の鍵と言われている。感染抑制というゴールに到達するには、市民に行動パターンを変えてもらうしかない。どう変えるのか、なぜ変えなければならないのか、変えないとどうなるのかといった疑問に具体的に答えなければ、人は動かないからだ。

 テレビで視聴者に向かって話すDr. ファウチの言葉は、単刀直入かつ明瞭でありながら、友人に話しかけるような語り口だ。“We are all in this together(みんなで運命を共にする)”と、しばしば口にする。一般市民と同じ目線で、悪いニュースを受け止めつつ対策を考え、良いニュースがあれば共に喜びを分かち合う。

 ここがトランプ大統領のコミュニケーションとの決定的な違いだ。テレビ・タレントでもあるトランプ氏も、率直で庶民にわかりやすい言動で人気を集めた。しかしトランプ大統領のゴールは、自らの業績を宣伝して政権への支持を高めることだ。

 今月再開されたコロナ対策の記者会見でも、トランプ大統領は新型コロナウイルスを「中国ウイルス」と呼び続け、「みんなが反対する中、非常に早い段階で中国からの渡航を禁止した。他の誰もやらなかったことだ」と、これまで何百回と称えた自らの『英断』に再び言及した。

 しかし、いまだに多くの市民がPCR検査を受けられない現実には触れず、「アメリカほどPCR検査を沢山行っている国はない」、「経済再開を推進し、米国経済はこれまで誰も見たことがないほど最高になる」と、一方的に喋りまくる。トランプ大統領の話を聞くと、狐につままれたような気持ちになることが多い。

ノイズに心を乱されない

 プライドの高いトランプ大統領は、自分の筋書通りの発言をしないDr. ファウチが市民から厚い信頼を得ていることに、がまんならないのだろう。大統領自身、「Dr. ファウチは市民を欺いてきた」とする言論をリツイートするなどの嫌がらせを続けている。

 「様々な中傷や脅迫が、私の家族にまでくる。公衆衛生の問題なのに米国はどうしてこれほど分裂してしまったのか」と嘆きながらも、Dr. ファウチ自身は「ノイズはできるだけ早くコンパートメント化(片隅に封印)して、ゴールに集中している」と言う。

 ゴールとは、治療薬、ワクチン開発の推進はもちろんのこと、山火事のように米国全土に広がる感染を鎮静化させることだ。日常的に16時間の激務をこなし、トランプ大統領の記者会見には呼ばれなくとも、あらゆる機会を利用して、根気よくマスク着用やソーシャル・ディスタンシングのメッセージを市民に訴え続けている。

 上司にあたるNIHのフランシス・コリンズ所長は、ファウチ氏を地球上で誰よりも感染症についての知見がある「米国の宝」と称賛し、大統領から更迭を迫られても応じない考えを表明している。

 

 残念ながらトランプ大統領にとってのDr. ファウチは、宝の持ち腐れのようだ。しかし爆発的な感染拡大に苦しむテキサス在住の筆者にとっては、"We will get through this(乗り越えられるよ)”というDr. ファウチの言葉に希望を見出すしかない。

在米ジャーナリスト、翻訳者、がんサバイバー

 東京生まれ。日本での記者職を経て、1995年より米国在住。米国の政治社会、医療事情などを日本のメディアに寄稿している。2008年、43歳で卵巣がんの診断を受け、米国での手術、化学療法を経てがんサバイバーに。のちの遺伝子検査で、大腸がんや婦人科がん等の発症リスクが高くなるリンチ症候群であることが判明。翻訳書に『ファック・キャンサー』(筑摩書房)、共著に『コロナ対策 各国リーダーたちの通信簿』(光文社新書)、『夫婦別姓』(ちくま新書)、共訳書に『RPMで自閉症を理解する』(エスコアール)がある。なお、私は医療従事者ではありません。病気の診断、治療については必ず医師にご相談下さい。

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