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本当に「命を守れる」防災を考える(4) ~気象報道:テレビの気象解説で一人でも多くの命を守るには~

片平敦気象解説者/気象予報士/防災士/ウェザーマップ所属
天気図や雲画像はテレビの天気コーナーには欠かせない。(ウェザーマップ資料。)

■ 最も身近な天気予報の入手先

 読者の皆様は、日々の天気予報を入手する際、どういったメディアを頻繁に利用されるだろうか。この記事の読者の皆様にとってはインターネットやスマホアプリを利用して天気予報をご覧になり、毎日の生活に活用しているという方も多いだろう。気象庁ホームページも最近はコンテンツが充実し、使い勝手もかなり良くなった。この夏からは、大雨災害の「危険度分布」もスマホの位置情報機能(GPS)と連動するようになり、ワンタッチで自分が今いる地域の危険度を把握できるようになった。身近に迫る危機をより直感的に、かつ、リアルタイムで分かりやすく把握・活用できるように、今後も改善が進んでいくことだろう。

 

天気予報などの入手先についてのアンケート。テレビが圧倒的に多い。(気象庁による調査結果の報告書より引用。)
天気予報などの入手先についてのアンケート。テレビが圧倒的に多い。(気象庁による調査結果の報告書より引用。)

 一方で、気象庁が気象情報について2018年1月に行ったアンケート調査(同年3月に結果が公表された)においては、気象情報を入手する手段として最も多かったのは「テレビ」で、全体の86.6%とかなり高い割合となっている。ウェブサイトの46.7%、スマホアプリの42.5%と比較すると、まだまだテレビから天気予報を入手するという方々は圧倒的に多いようだ。世代別にみても、最も高いのは60~70代の93.3%だが、20代でも80.5%で、若い世代においても概ね4~5割のウェブサイトやスマホアプリとは大きな開きがあるのが現状である。

 

 今回は、防災情報の重要な伝達手段である、主に「テレビ」における気象報道・気象解説について、問題点や課題、改善策について考えていきたい。

  

■ 頻繁に使われる「最強」「最大」

 テレビのニュースや気象解説の中で、「最強台風が接近中」「記録的な高温」などの言い回しを聞いたことがある方は多いだろう。規模の大きな台風が近づいていたり、連日の猛暑が続いたり、特に今年(2018年)の夏はこうした表現で注意・警戒を促す報道を頻繁に目にしたと感じる方も少なくないかもしれない。

 

 一方で、「最強」「最大」や「記録的」を毎年のように、いや、毎月、毎週のように目にしていて「またか?!」と感じる向きも多いのではないか。いわゆる「あおり」の表現が頻繁に使われていて、オオカミ少年のように思われることがないか、私は非常に懸念している。

 

 そもそも、その「最強」や「記録的」というのはウソなのだろうか。いや、そうではないのだ。様々な条件付きではあるが、統計的には確かに「最強」だったり「記録的」だったりするのである。

 例えば、「〇月」に「非常に強い勢力」で「日本に近づく」のが過去の統計では例がない、など、時期や地域、強さを絞り込んだうえであれば、その条件に合致する台風の中では「最強」というものだったりするのである。猛暑も然り。「〇月△旬」に「□□地方」で「気温が××℃以上」になるのは観測史上初めてで「記録的」と声高に叫んだりする。こうした現象について「最強」「記録的」などと言葉の一部だけを強調して、表現されることがあるのだ。テレビ画面の右上などに表示される字幕(サイドスーパー)や見出しにおいて、そんな文言をよく見かけると思う。

 

2018年台風第21号(2018年9月3日17時の気象衛星画像)。この台風は、25年ぶりに非常に強い勢力で日本に上陸し、記録的な台風となった。
2018年台風第21号(2018年9月3日17時の気象衛星画像)。この台風は、25年ぶりに非常に強い勢力で日本に上陸し、記録的な台風となった。

 もちろん、上記の算出方法に間違いはないので、「最強」「記録的」というのは、その条件においてはウソではない。細かく条件を絞ったうえで、確かに「最強」であったり「記録的」であったりすることに間違いはないのである。しかし、この「最強」「記録的」に意味はあるのだろうか。極論すれば、ある特定の日にちだけに絞り込んで、例えば、「9月19日に接近した台風としては最も強い」とか「9月19日の最高気温としては観測史上最も高い」とか言うことだって可能だろう。その前日や翌日にそれより強い台風が来たり、それより高い気温を観測していたりしたって、その日において最強・記録的な値であるならば、事実は事実だ、と言えるわけだ。こんな方法は、厳しく言えば、インパクトだけを追求した言葉遊びに過ぎないと思う。

 

 私にとっては、こうした軽はずみな「最強」「記録的」は、ただのあおり文句にしか聞こえない。そして、そうやって頻繁に「最強」など軽々しく使ってしまうものだから、オオカミ少年化が進み、最終的には「以前も最強って言っていたし、どうせ今回も大丈夫」「テレビの言うことなんて、あおるだけであてにならないし」と軽んじられてしまう結果につながることに気づかない関係者もいるように思えてしまい、当事者であるひとりの気象解説者として、私自身は非常に危惧している。本当の意味で「最強」「記録的」と伝えるべき、非常に危機的な事態に陥ったり差し迫っていたりする際に、普段から刺激的な言葉ばかり聞かされていたがために、視聴者・住民の心に響かなくなってしまうのであれば、これは由々しき事態だと思われる。

 

 さらにいえば、もしかしたらそうした結末に至ることに気づいていながらも、「とりあえず、今、より多くの人の目に触れればそれで良い」と考え、あえてインパクトのあることを前面に打ち出して伝えている「確信犯」もいるかもしれない。確かに、どんな手法であれ、情報に注目してもらってこそ初めてその先へ進めると考えると、「見てもらってなんぼ」という価値観を完全に否定するつもりは私にはない。でも、そうしたある種の「不誠実」な気象報道・気象解説を続けると、一時の注目は集まるかもしれないが、最終的には「また騒いでいるだけ」と見捨てられ、ゆくゆくは淘汰されていくことになると私は強く思っている。

 

 気象解説者としては、視聴者の方々に誠実に向き合い、同様に気象にも真摯に向き合い、自然現象に対して過小評価も過大評価もせず、技術者・専門家としての「技術(スキル)と倫理(モラル)」をしっかりと持って災害時の気象報道・気象解説に臨むことが、地味かもしれないが、長期的に見れば住民の防災意識の向上やその放送局の気象報道に対する信頼につながると思う。その信頼が、いざという時の避難・安全確保の行動に直結していく重要な姿勢になると私は考える。

 

 また、テレビの番組はチームで作るものだ。番組全体として不必要な「あおり」の方向に進みそうな事態に直面した際に、「それは言い過ぎ・やり過ぎです」と言えるのは局内にいる唯一の専門家である気象解説者だけなのだから、ミスリードにならないように、しっかりとした「技術と倫理」を身につけて業務に臨むべく、常に気を引き締めていきたいと私自身も思っている。

 

■ 「分かりやすさ」の履き違え

 また、テレビだけでなく、TwitterやFacebookなどSNSやブログでの気象予報士の投稿は、発信者の姿勢が問われるさらに顕著な事例かもしれない。特にSNSでは、短い文字数で何か表現しようとするとどうしても内容を削りに削って、しかもインパクトのあるような文言を使って注目を集め、投稿が拡散してほしいと意図することになるが、その内容が、読む人を時として不快に感じさせたり、不適切・不謹慎な表現方法だったり、という場合も散見する。

  

「台風」のツイート数の日々の推移。台風第21号が直撃した9月4日から5日にかけて急増。SNSで災害情報を検索したり発信したりする人も増えている。(Yahoo!リアルタイム検索の結果より。)
「台風」のツイート数の日々の推移。台風第21号が直撃した9月4日から5日にかけて急増。SNSで災害情報を検索したり発信したりする人も増えている。(Yahoo!リアルタイム検索の結果より。)

 SNSではネット上ということもあり、ある意味テレビでは普段は言わないような表現・例えなどを使って、さらにはあおり気味に書いた投稿も少なからず目にしたことがある。また、前項の「見てもらってなんぼ」に通ずる部分でもあると思うが、災害が起こる前に、予想される現象をパロディっぽく表現して注目を得るように投稿するなど、当人からすればきっと「工夫」していると思われるものも見受けられるが、私個人としてはその中に「不快」に感じるものも少なくない。

 

 何をもって「不適切」と感じるかは受け手側の主観によるが、もし仮に、その災害で犠牲が出たり被害が出たりした場合に、そうしたふざけた投稿を被害者や関係者が見たらどう思うだろう、という視点が欠けていると感じる投稿や解説も見かけるのだ。また、その時の災害で被害が出なかったとしても、同様の災害で家族や友人を失った方、住居に大きな被害を受けた方など、もしかしたら今でも苦しんでいる方もいらっしゃるかもしれないのに、あまりに軽いニュアンスの解説も見受けられ、時として、腹立たしさすら覚えることもある。

 

 繰り返すが、「見てもらってなんぼ」で、そうした気軽な投稿だからこそ大きく拡散して、広く目について、それを読んだ方々の実際の防災行動に結びつくことだってあるだろう。「そんな固いことを言うな」というご意見もあろうかと思う。しかし、もしそうであっても、災害の被害に遭った方のことを十分に思いやれない気象解説は、きっと本当の意味では視聴者・利用者の「心に響く」解説とはならないのだろう、と私は強く思っている。誰かを傷つけたり不快にしたりする可能性のある気象解説は、「分かりやすさ」の一言で許されるものではないはずだ。特に災害が予想される際には、「分かりやすさ」と「奇抜さ」を履き違えないように、自戒を込めつつ、各メディアでの気象解説に臨みたいものである。

 

■ 「人が亡くなったことを伝える報道」から「人が亡くならないようにする報道」へ

 気象予測の精度が向上し、事前に適切な行動をとれば、災害から少なくとも命だけは守れるという状況が増えてきた。普段のニュースでは、事件や事故などで人が亡くなったりケガをしたりするなど悲しい報道が多いが、こと気象に関しては、人が亡くなったりケガをしたりする前に、事前の「予防」として時間を割いて、警戒を訴えることが可能だと言える。

 

 これができるかどうかは、各放送局の防災意識の高さがダイレクトに影響するだろう。災害が起こる前というのは、台風や豪雨の場合はいわゆる「強い画(え)」がまだ無い。暴風雨や土砂災害の映像があれば、その危険度や危機感が映像の力でストレートに視聴者に伝わりやすいと明確に感じられ、番組でもトップニュース扱いになりやすいが、そうした事態にまだなっていないもののこれからなる可能性が高まっている時(この時にどう報道されるかが、防災という観点では最も重要なフェーズである)にどのような体制をとれるかについては、非常に重大な判断を要すると思われる。

 

豪雨発生前の時点でコンピュータにより計算されていた雨量予想。こうした予測資料を適切に読み解き、危機を察知し、事前に適切な緊迫度で伝えることができるか、気象解説者の力量も問われる。(ウェザーマップ資料。)
豪雨発生前の時点でコンピュータにより計算されていた雨量予想。こうした予測資料を適切に読み解き、危機を察知し、事前に適切な緊迫度で伝えることができるか、気象解説者の力量も問われる。(ウェザーマップ資料。)

 気象解説者による災害を警戒した解説、鉄道・道路など各方面での事前の備えなどを適切に十分に伝えて、広く視聴者・住民の皆様に迫る危機を示し、行動指針を提示できるかどうか。いざ災害が始まってしまった後で、ただ単に暴風雨の映像だけ流して「警戒してください」と呼びかけるのは、厳しく言えば「手遅れ」なのだ。気象庁や各放送局の気象予報士、契約する気象会社と緊密に連携し、災害の「危機レベル」を事前に的確に把握し、災害が起こる前に特別番組などの体制を組めるかが重要である。

 また、災害発生以前に危機を察知し、心に響く解説をすることができるか、担当する気象解説者の力量も問われる。放送局内にいる数少ない専門家として、気象解説者の責任は非常に重いと言わざるを得ない。

 

 前述したが、気象災害においては、事前の適切な報道により「人が亡くならないようにする」ことができるはずである。平時から気象庁から発表される各種気象情報の意味することを記者・ディレクターなど報道関係者が十分に理解し、気象技術者と十分にコミュニケーションを取れており、災害が予想される際にはどんな報道体制が良いのか意見交換がしっかりとできるような関係を築いておくことが重要だと感じる。また、そうした日頃からのコミュニケーションが取れているのならば、先に述べたような「不必要なあおり」は起こらず、自ずと適切な気象報道・防災報道になるはずだ、と考えている。

  

■ 地方局における「気象解説」体制の充実を

 大規模な災害発生が懸念される場合、NHK・民放を問わず報道特別番組という扱いとなり、東京のキー局から全国に向けて放送される場合が往々にしてある。しかし、気象予報・気象解説という観点では、災害が発生する前の段階の警戒喚起の放送としては、東京から詳細に触れることには限界があると考える。特に、先日の「平成30年7月豪雨」のように集中豪雨が同時多発的に発生する大雨災害、台風などのように比較的広域にわたって列島縦断的に発生する暴風・大雨災害などの際にはなおさら顕著だと思う。

 

 というのも、全国エリアの放送の中で、地域的に絞り込んで伝えられることには限度があるのだ。例えば、雨量についても、気象庁は各地の地方気象台を通じて、各府県をさらに細分した地域で予想を発表しているが(例:和歌山県南部、兵庫県北部など)、これらすべての詳細な地域について東京からの気象解説で報じられることはほとんどない。関東地方、東海地方、近畿地方といった地方レベルの最大値を示すのみである。しかし、こうして漠然と広い地方ごとに報じられても、我が事として感じるのは難しいことだろう。限られた放送時間の中でできることには制約があり、そもそも、東京からのいわゆる「全国ネットの気象解説」と、地方ごとの「ローカルな気象解説」の役割は違う、ということである(どちらが上・下、という部類の話ではない)。

 それぞれの地域の気象に通じたいわば「天気の町医者」とも言うべき気象解説者がいて、地元で馴染みの存在となっていて、いざという時には視聴者の方々の防災行動に直接つながるような詳細な解説をする、という形が効果的なのだろう、と私は思い、そうありたいと日々思っている。

 

2018年9月1日現在の、都道府県別気象予報士数。全国には1万人を超える気象予報士がいる。(気象庁ホームページより。)
2018年9月1日現在の、都道府県別気象予報士数。全国には1万人を超える気象予報士がいる。(気象庁ホームページより。)

 その一方で、現在、全ての府県の全ての放送局にそうした「町医者」的な気象解説者がいるかというと、残念ながらそうではない。天気予報は気象会社からFAXやメール送信されてくる原稿を当番のアナウンサーが読むだけで、気象解説者による日々の「解説」は行っていないという放送局がまだまだ多いのが現状である。放送局の規模(予算)や、必ずしも適切な人材がいない、ということも大きいだろう。

 

 気象予報士はすでに全国に1万人以上がいる。放送に限ったことではないが、こうした気象予報士のスキルアップや身分保障(就業時の待遇など)を実施したうえで、もっと有効に活用していくべきではないかと思う(なお、気象予報士の資格を取っただけではダメで、OJTなりしっかりと修行をしたうえでなら……ということについては以前私が書いた記事を参考にしてほしい)。

 

 天気予報は、究極的には、自分の周囲の状況がどうなるかを知りたい、ということに尽きる。できるだけそれぞれの地域に根差し、しっかりとした「技術と倫理」を持った身近な気象解説者が存在することで、全国各地で防災・減災に一定の役割を果たすことができるのではないか、と感じている。災害時のローカルな気象解説の重要性を地方の放送局ではもっと重視してもらいたいし、自戒を込めてだが、そうした業務に臨む気象解説者にはいっそうの自覚と責任を感じてほしいと思う。

 

■ 安全な場所での生中継・取材を積極的に

2018年台風第21号による大阪市内の被害。暴風により、自動車の転覆や街路樹の幹折れ・倒伏の著しい被害が発生した。(2018年9月5日・大阪市住之江区にて筆者撮影。)
2018年台風第21号による大阪市内の被害。暴風により、自動車の転覆や街路樹の幹折れ・倒伏の著しい被害が発生した。(2018年9月5日・大阪市住之江区にて筆者撮影。)

 台風時に岸壁の上から暴風雨の中で生中継をする、という報道の手法も、改善するべき時期に来ていると思う。「危ない場所から離れて」と呼びかけているその番組の中で、明らかに危ない場所から中継する、という大きな矛盾だ。これも、「見てもらってなんぼ」の発想がそうさせるのだろう。強い雨・風の中でリアルに危機を伝えれば、より多くの人々の注意を引くことができるので、そうした場所から生中継をする、というわけだ。

 

 こうした手法は、最近は減る傾向にある。当然ながら、記者や取材ディレクターを危険な場所に不用意に派遣することは社会的に許されないわけで、安全な屋内から外の様子をうかがって中継したり、無人のお天気カメラの映像を使って状況を伝えたり、という手法が最近は増えてきた。これは非常に良いことだと思う。

 

 この問題についても、やはり放送局ごとの防災報道に対する意識の高さが大きく影響すると思う。明らかに危険だという生中継の暴風雨の映像が無くても、番組の構成や気象解説などほかの方法を駆使して、より適切な気象報道・防災報道をすることが可能だと私は思う。「強い画」も危機を伝える非常に大きなコンテンツではあるが、伝える側の人間の安全確保が最優先であり、さらには「強い画」だけを求めて思考停止することなく、取材者も含めて危険に身をさらさずに、本当に「命を守れる」気象報道のあり方・手法について実践していくべき時期だと私は思っている。

 

 東日本大震災時、原子力発電所事故の取材に向かうクルーは放射線量を計測する「線量計」を持ち歩き、常に身の回りの状況を把握しながら取材していたことは記憶に新しい。気象災害時においても、自らがいる地域に出されている警報等の気象情報・避難情報を常にチェックし、また、土砂災害警戒区域など危険な地区に立ち入っていないか、しっかりと把握しつつ取材活動をすべきだと感じる。スマホなどのGPS端末を持ち歩くことにより、地図情報を利用して自動的にアラームが鳴るなどの支援システム導入を進めるのも大切な方策のようにも感じる。

 

 こうしたことは、実際にご覧いただいている視聴者の方々からの意見・提案などが非常に大きく影響することだと思う。機会があるごとに視聴者・読者の方々からもぜひとも声を上げてほしい。

 

 

 ここまで4回にわたって、防災・減災に関わる様々な立場について問題点を挙げ、私が考え得る改善策の例を提示してきた。しかしながら、実際に避難などの行動をする「住民」について、問題点や課題はないのだろうか。私は、誤解を恐れずに言えば、実はこの部分が一番根深い問題を抱え、災害の犠牲者がなかなかゼロにならない重大な一側面と考えている。今般の豪雨災害に際しての私自身の対応や、被災地の現地調査の結果などを踏まえつつ、次回(最終回)は「住民」をテーマに、本当に「命を守れる」防災について考えていく予定だ。

 

 

<参考・引用資料>

 2018,気象庁:気象情報に関する利活用状況調査

 2017,片平敦:気象予報士制度は必要か?「予報士1万人」時代の気象業界を考える(全6回)

 気象庁ホームページ・気象予報士について

気象解説者/気象予報士/防災士/ウェザーマップ所属

幼少時からの夢は「天気予報のおじさん」。19歳で気象予報士を取得し、2001年に大学生お天気キャスターデビュー。卒業後は日本気象協会に入社し営業・予測・解説など幅広く従事した。2008年ウェザーマップ移籍。平時は楽しく災害時は命を守る解説を心がけ、関西を拠点に地元密着の「天気の町医者」を目指す。いざという時に心に響く解説を模索し被災地にも足を運ぶ。関西テレビ「newsランナー」など出演。(一社)ADI災害研究所理事。趣味は飛行機、日本酒、アメダス巡り、囲碁、マラソンなど。航空通信士、航空無線通信士の資格も持つ。大阪府赤十字血液センター「献血推進大使」(2022年6月~)。1981年埼玉県出身。

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